チェロの体系を翻訳した感想を記す(5) ― 2020/08/01 23:00:00
チェロの体系を翻訳した感想を記す。小品
チェロの小品
ここで小品というのは、ソナタでもなく、またソナタに匹敵するほどの規模の曲、たとえば長めの変奏曲などでもなく、また協奏曲でもなく、無伴奏ソロの曲でもない作品、という意味だろう。それであればたくさんあるのはわかる。ここでも、どれがチェロのオリジナルで、どれが違うかという、はたから見れば価値の低い問題に、私は考え込んでしまう。どうしてかは自分でもわからない。チェロオリジナルでなければ歌詞つきの歌とピアノなのか、ヴォカリーズなのか、ピアノ独奏曲なのか、ほかの楽器とピアノの曲なのか、といろいろ考えてしまう。
たとえば、フォーレの作品について、「夢のあとに」とか「ラメント」となどはもとは歌曲なのに対し、「エレジー」や「シシリエンヌ」はチェロオリジナルである。同じことは、メンデルスゾーンにもいえて、「歌の翼に」は、もとは歌曲だがその後器楽曲用に編曲されている。一方、無言歌 Op. 109 はチェロオリジナルだ。メンデルスゾーンの無言歌はピアノ独奏曲しかないと思い込んでいた私は、調べてこの Op.109 がチェロとピアノのための作品だと知り驚いた。
ここのチェロ小品では調べたいことがまだある。たとえば、シューベルトの無言歌とはどういうものかを知りたい。追って翻訳をつづけていく。
チェロの体系を翻訳した感想を記す(6) ― 2020/08/02 21:17:29
チェロの体系を翻訳した感想を記す。
ポピュラー曲
ポピュラー曲の曲はあまりにも少ない。これは、近現代の曲で難易度をつけるのを面倒に思った編集者が、あわてて作った項目ではないだろうか。ピアソラの「ラ・グラン・タンゴ」のみが太字となっているのは妥当だとは思うが、すべて難易度をつけて小品か曲集のほうに割り当てるのが本来のあり方だと思う。
選集
選集は難易度が付与されている。スズキ・メソードは体系立てられているからこちらに来るのは当然だろうが、よくわからないのは本来小品のほうに収録すべきであろう曲集もこちらに来ていることだ。わたしの考えでは、同一の作曲家が作った楽譜であれば小品のほうに、複数の作曲家の作品を選んだ楽譜であれば選集のほうに、それぞれ収録すべきだろう。だから、選集にあるバルトークやネルクの作品は、小品集に回してもよいのではないかと思った次第だ。
ふと、日本のチェロ楽譜状況を考えてみると、クラシックに限定した名曲選集として国内で発売されているものは、スズキ・メソードを除くと10冊以下ではないかと思った。私はそのどれも持っていないのでお恥ずかしい話なのだが、クラシック限定名曲集が少ないのは、チェロを弾いている人はオーケストラに参加することだけの人が大部分なのではないか。言い換えればピアノを弾く人との二重奏を楽しんでいるチェロ弾きはほとんどいないのではないか。私自身はどうかというと、チェロ弾きからピアノ伴奏のお願いをされることは何度もあった。しかし、チェロ弾きの私がピアノ弾きに伴奏をお願いします、と申し込むことは30年以上前からずっとなかった。これは私のチェロが下手だからということのほか、私の付き合いが非常に限られていることもある。
以上をもって、チェロの体系の感想はきょうで終わりとする。ただし、過去に訳したもののやり残しを継続して翻訳する作業や語訳を修正する作業などは今後も行う。
NHK の将棋番組を見る ― 2020/08/03 20:13:26
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を聴く ― 2020/08/04 23:00:00
最近はもっぱら弦楽四重奏曲を聴いている。このあいだ聴いたのはメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 op.80 だった。私はメンデルスゾーンの作品は苦手で、なんかチャラチャラしているだけのような気がしていたからである。ただ、交響曲の一部とか、有名なヴァイオリン協奏曲とか、ニ短調のトリオはよく聴く機会があり、そのたびに感動した。今回の弦楽四重奏曲も、まだ私の中に食い込むところまではいっていないが、なかなかの作品ではないかと思った。
どこかで誰かがいったことには、西洋音楽史の中で今までの誰にもない新たな作曲方法論のない作曲家で有名なのは、バッハとメンデルスゾーンしかいないのだという。私は半ばその言を肯定しているが、バッハもメンデルスゾーンも結果として作品は名曲だからいいのではないかと思う。おそらくその誰かも同じことを思っているのだろう。
その後、上記のどこかの誰かを確認した。三枝成彰は「大作曲家の履歴書」の単行本において十数人の作曲家を取り上げている。そのなかで、メンデルスゾーンの項で次のように書いている(pp.97-98):
ところで、音楽/芸術というものは常に時代の先端を走っていくものしか認めないという。 ここ二百年来の芸術観において、 時代の潮流に背を背けながらも今日に名前が残っている作曲家はバッハとメンデルスゾーンだけである。 西洋では伝統を大切に守るだけでは満足せず、 今までの人間が所有しなかったものを新しく作り上げていくことにこそ価値を見いだしていたのである。 よって、いかに才能があったとしても前進とオリジナリティがないものは単なる 「伝統芸能者」であり、「音楽家」とはみなさない。 そんな価値観が当然とされるなかで、 この二人だけは例外なのだ。いや、時代背景を考えれば、 前向きであることが当然とされた世の中でそれを拒み、 なおかつ名声を得た作曲家はメンデルスゾーンだけといってよいだろう。
私の記憶があやふやだったことがよく分かった。
ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲を聴く ― 2020/08/05 20:11:36
この曲を初めて聴いたのは、当時の勤務先の同僚から借りたCDからだった。ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲全集だったはずだが、ほとんどを忘れ、覚えているのはこの第7番と第8番だった。第8番はスコアまでなぜかもっていたのだが、第7番はスコアはもっておらず、それでもいくつか印象深いところがある。冒頭のクネクネしたメロディーは、これをメロディーというのかわからないが、聴いた当時からショスタコーヴィッチ固有のアクの強さを感じたのだった。
関係ないようだが、音楽評論家には2種類のタイプがあるのではないか。ショスタコーヴィッチを称えてブリテンを貶めるタイプと、ブリテンを称えてショスタコーヴィッチを貶めるタイプである。第3のタイプとしてショスタコーヴィッチもブリテンもともに称えるタイプもいるかもしれないが、少数だろう。
第4のタイプとして、ショスタコーヴィッチもブリテンもともに貶めるタイプがいるとすれば、その人は音楽評論家ではないと思う。
プロコフィエフの弦楽四重奏曲を思い出す ― 2020/08/06 21:29:55
プロコフィエフのほうは、高速道路をスイスイと進むスポーツカーのような疾走感が第1楽章にあって、これもまた好きだったが、もう30年以上聴いていない。YouTube で探すと第1楽章も第2主題の提示でゆっくりするが、やっぱり昔聴いた印象はかわらず、すっきりした現代音楽だ。きちんとした録音を探してゆっくり聴く時間をとりたいものだ。
ラヴェルの弦楽四重奏曲を思い出す ― 2020/08/07 21:13:54
かなり昔のことだが、ある場所でアマチュア3団体の室内楽を聞いたことがある。ピアノが入った楽器編成の2団体の演奏はすばらしかったが、ピアノのない、弦楽四重奏団の演奏が冴えなかった。曲目はラヴェルの弦楽四重奏曲だった。曲そのものが難しかったことが主なのだろうが、演奏者の、特に第一ヴァイオリンの音程が甘かったという記憶がある。もっとも、楽器が入った2団体は、それぞれフォーレの四重奏曲第1番ハ短調 Op.15 と五重奏曲第1番ニ短調 Op.89 という、わたしの好きな曲を演奏したので、ひいき目があることは承知してほしい。
その後、この曲の生演奏を聞いた記憶がない。ひょっとしたら聞いているのかもしれないが、そのときの冴えない演奏が強烈すぎて、後の冴えた演奏が思い出せないのかもしれない。
音程が甘いと聞くに堪えなくなる。これは、どんな楽器でも、歌でも、西洋音楽であればそうだと思う。ではブルーノートの持ち味を生かした曲では音程が甘くていいのではないかと考えてみた。しかし、そのような曲でも、ブルーノートの音程というのがあるはずで、単なる甘い音程ではその曲の持ち味を殺すことになるだろう。うーん、どういえばいいのか、わからなくなってしまった。
バッハの無伴奏チェロ組曲を聴く ― 2020/08/08 19:09:33
実をいうとバッハの無伴奏チェロ組曲を聴くとことめったになかった。同じ無伴奏でもヴァイオリンのソナタやパルティータのほうをよく聴いていた。ただ、人生の終わりに近づき、チェロを下手ながらも弾いている身であるから、ここらで無伴奏チェロ組曲のCDを聴くべきだと思いなおした。誰が弾いているのでもよかったが、トルトゥリエのを選んだのはたまたまである。
はるか昔、クラシックではない、ある楽団にチェロの身分で参加したことがある。その団員から、「バッハの無伴奏は誰のを聴いていますか。私は〇〇のが好きです」と言われて、返事に詰まったことがある。だれだれの無伴奏チェロ組曲といって意識して聴いたことはなかったからだ。私は動揺を隠しながら「そうですね、ナヴァラのですかね」と答えたが、たぶんこのときまでに聴いたナヴァラの無伴奏チェロ組曲は第2番ニ短調だけだったはずだ。それもカセットテープでエアチェックしたものだった。
叱られることを覚悟して言うが、バッハの無伴奏チェロ組曲は、チェロ弾きにとって唯一無二の絶対として崇め奉る必要はないと考えている。たしかに立派な曲であるが、チェロの曲はほかにもたくさんある。無伴奏であることに意味を見出す人は多いと思うが、チェロはもともと通奏低音楽器なのだからほかの楽器といっしょになって(たいていは鍵盤楽器だ)初めて一人前となるのが本当のような気がする。私の趣味が変なのかもしれないが、バッハの作品でいえば無伴奏のチェロ組曲は近寄りがたいのに対し、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのための組曲ほうがずっと素直に聞ける。ただ、このご時世、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのための作品をチェロとピアノで弾くことはもう許されないようで、それが残念である。
こう書いていると、チェロは本来人懐こい性格の人間が奏者になるべきなのだろう。私のような気難しい人間はチェロなど弾くのでなかったのだろうか。ここまで書いて、言いたいことを言うのは十年早い、もっとチェロがうまくなってからだ、という外野の意見が聞こえてきそうだ。
弦楽四重奏曲をどれだけ聞いたかを振り返る ― 2020/08/09 12:49:39
私が持っている弦楽四重奏曲の CD は少ない。私が持っている CD のほとんどはフォーレかスカルラッティの作品で、したがってフォーレの弦楽四重奏曲を除けば所持している CD はわずかである。
- シューベルト D804、D810、D887、D703
- ヒナステラ(第1番、第2番、第3番)
- モーツァルト(「春」、「狩」)
- ハイドン(「五度」)
- ベートーヴェン(Op.18-3、大フーガ)
- フォーレ
- フランク
- ドビュッシー
- ラヴェル
探せばほかにも出てくるかもしれないが、今のところはこれだけである。なお、テレビで放映されて私個人が楽しむ DVD に録画録音しているのはこれらとは別にある。
それにしても買ったCDの中で弦楽四重奏曲がこれだけというのはひどいものだ。フランク、ドビュッシー、ラヴェルの弦楽四重奏曲は、フォーレの弦楽四重奏曲の入っている CD を買ったらたまたま入っていた、という扱いですからね。もう少しがんばって弦楽四重奏曲を聴きたい気もするが、もともと弦楽四重奏曲というジャンルにがんばるということばは似合わないと思う。もちろん、弦楽四重奏曲が音楽の史上最高の形態であると主張する方は頑張ってもらってよいが、私にとって弦楽四重奏曲は肩の凝らない、気楽に聴けるクラシックのジャンルである。それらがたとえ、ベートーヴェンやブラームス、ショスタコーヴィチ、バルトークなどの大作曲家が真剣に作った曲でも、私は気楽に聴いている。
チェロの稽古を受ける ― 2020/08/10 23:00:00
この G のオクターブ降下を、私は4-1 でとった。そのあとで「楽譜の4-4の指示とは違ってしまいました」とつぶやいたら、「いや、4-1でいいんです。4-4は合理的ではありませんから。ただし休符のあとの G は 2でとります。そうすると、その次の C-D-E は 1-2-3 でとれるので楽です。」とのことばだった。ありがたいと思ったあとで、オクターブ下の G は 1 で取って当然だろうとウェルナーの指示に疑問を抱くようになった。ウェルナー教則本の人気が今一つなのは、今言ったような「練習のための練習」、もっといえば「役に立たない練習」が多いからなのではないか、と思った。ともあれ、練習はこの3ページめで終わった。次回は第5ポジションを含む曲4ページめからである。

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