名前を聞き間違える2020/06/03 22:31

テレビを見ていたら、スポーツ関係のコーナーで「岡本綾子」の名前が聞こえてきた。私はゴルフの興味はないが、岡本綾子というプロゴルファーがいることは知っている。岡本さんがどうしたのだろうかと思っていたら、これは聞き間違いだった。アナウンサーが発したのは「坂本隼人」だった。「おかもとあやこ」と「さかもとはやと」を聞き間違えるとは耄碌も極まれり、というところだろうか。ただ、母音はほとんど同じである。

OKAMOTO AYAKO
SAKAMOTO HAYATO

やっぱり、耄碌かな。

インターハイの意味を知る2020/04/26 23:00

2020 年度のインターハイ中止が決定された、という報道があった。インターハイということばはよく聞くが、ではインターハイとはどういう意味なのだろう。知らなかったので調べてみた。インターハイの正式名称は、全国高等学校総合体育大会で、インターハイはInter-High School Championships の略称であることがわかった。そうか、ハイは High School のハイなのか。わたしはてっきり、デビス杯とか、高松宮杯とか、そんなカップのことを表すのかと思っていた。

私は高校時代、インターハイとは無縁であった(甲子園のほうは、予選の応援に駆り出されたということだけであれば無縁とはいいがたい)。スポーツが若いころからできず、今でもできないことは負い目に感じるが、仕方がない。

基礎疾患を考える(3)2020/03/28 23:00

基礎のついでに、忘れられない話を残しておく。NHK のラジオ語学番組に「続基礎英語」という講座があった。もちろん、「基礎英語」の続きとして設けられた、程度の高い基礎英語、ということだ。私はけっこうこの「続基礎英語」を聞いていてテキストも買っていた。あるとき、テキストの投書欄にこんな記事が掲載された:

私は「続基礎英語」を、毎日「続」けるのが必要な基礎英語と思っていて、ずっと続けて聞いていました。ところがあるとき、講座名は「基礎英語」の「続」き、ということを聞いて愕然としました。しかし、今、続けることが必要、ということには変わりないと思っています。

このぼけ具合、なんともいいではないか。ちなみに、今、続基礎英語なく、基礎英語[0-3]などがある。

基礎疾患を考える2020/03/26 23:00

最近、「基礎疾患」ということばを聞くようになった。
厚生労働省の資料がある。

https://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091028-02.pdf

これは新型インフルエンザワクチンの優先対象とする基礎疾患であるが、ともあれ、次に分類されるものが基礎疾患であるという。

1.慢性呼吸器疾患
2.慢性心疾患 (高血圧を除く)
3.慢性腎疾患
4.慢性肝疾患 (慢性肝炎を除く)
5.神経疾患・神経筋疾患
6.血液疾患
(鉄欠乏性貧血と、免疫抑制療法を受けていない特発性血小板減少性紫斑病・溶血性貧血を除く)
7.糖尿病
8.疾患や治療に伴う免疫抑制状態
8-1悪性腫瘍
8-2 関節リウマチ・膠原病
8-3 内分泌疾患(肥満含む)
8-4 消化器疾患
8-5 HIV感染症・その他の疾患や治療に伴う免疫抑制状態
9.小児科領域の慢性疾患

なお、9.の小児科領域の慢性疾患の列挙については割愛する。

「基礎疾患」という言葉は昔から、少なくとも上記資料ができた当時からあったわけだ。なぜ私が「基礎疾患」にこだわっているかというと、「基礎」ということばにはプラスのイメージがあって、「数学の基礎」とか「基礎英文法」とか、そういう表題の書物には絶大な信頼を寄せることができる、と思っていたからだ。そこへきて、疾患という負のイメージをもつものに基礎という正のイメージをもつものが合体したのだから、???となっていたのだ。さて、ここでいう「基礎」は英語ではなんというのだろうか。 basic だろうか? fundamental だろうか?私の期待はどちらも裏切られて underlying という形容詞が使われていた。ちなみに、疾患というのも disease だけかとおもったら underlying (medical) conditions などという言い方が頻出のようだ。

送り仮名を考える(3)2020/03/24 23:00

私が送り仮名で抱えている悩みに「おこなう」がある。通常は「行う」とかくのだが、これは「いく」と読む「行く」と紛らわしい。だから私はたいてい
「おこなう」を「行なう」と書く。こう書くのは少数派である。あるとき、ある本の著者が「行なう」と書いていたので、同志を得た気分になった。

送り仮名を考える(2)2020/03/23 23:00

その後、
http://fanblogs.jp/yoshiminelisa/archive/101/0
というページを見てみると、文化庁が国語施策として、内閣告示・内閣訓令によって送り仮名について決めていることがわかった。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/index.html

がそのページである。ここの通則4を見ると、送り仮名のつけ方が決められていることがわかる。わたしが以前に挙げた例だと、

「話」は送り仮名をつけない。「答え」は「え」をつけるのが正しいが、「答」も許容する(ちなみに「問い」と「問」も同様)。「祭り」は「り」をつけるのが正しいが、「祭」も許容する。

ということである。

送り仮名を考える(1)2020/03/21 23:00

何かの拍子で、昔 void 氏という、有名な方がいたことを思い出した。その方は、昔のインターネットニュースグループ(fj.*)などで、「半角カナって何ですか?」「話しって?」と突っ込むことが多くあった。

後者について述べておこう。日本語の動詞の中には名詞化できるものもある。たとえば「話す」の場合、「エスペラントを話す」という用法は普通で「エスペラントの話」ともいえる。後者の「話」は「はなし」とよむ。ところが、動詞の送り仮名につられて「話し」と書く人がいる。void 氏によれば名詞の「話」は完結していて、「エスペラントの話し」とあれば「えすぺらんとのはなしし」と読むのであって、それはおかしい、という突っ込みであったのだろう。

同じように動詞と名詞の境があるものとして「答える」と「答」、「祭る」と「祭り」がある。「答える」の名詞化されたものは「答え」か「答」か、前者が多いような気がする。私は後者を使うようにしている。「祭り」か「祭」は迷うが、私は「祭」のほうを使うようにしている。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11110311666

を見てみると、「動詞が名詞化した場合,送り仮名を省いてもよいという原則があります。」というのだが、私は省くほうを使っている(特に「話」の場合)。ずれているのだろうか。ちなみに、将棋では「詰将棋(つめしょうぎ)」のように送り仮名はふらないのが将棋界、特に詰将棋界の暗黙のルールである。

苦しいときの対処法を考える2019/11/04 10:37

出所が全く不明のことばがある。どういうわけか忘れられない。
「苦しいときはお茶を飲め」
最近はいろいろと苦しいから、このことばを思い出してお茶をたくさん飲もうと思う。

ことわざを思い出す2019/11/01 23:12

これはことわざというのだろうか。ふと思い出したことばがある。
小人閑居して不善をなす
そして、ちょっと前には別のことばを思い出した
下手の考え休むに似たり
情けないたらありゃしない。

高校国語教育改革を考える2019/10/11 23:21

いろいろなところで、高校国語教育改革についての是非が聞こえる。といっても、私が知っているのは東京新聞を通じてだけのことであり、かつ東京新聞に掲載されている記事には高校国語教育改革に異議を唱える論調しかない。

ここでいう高校国語教育改革とは、高等学校の国語が再編されることを指す。特に、記事で問題視されていたのは、小説や詩歌を学ぶ「文学国語」が選択制になることにより、文芸に触れる頻度が低下し文化を享受する力が失われることを危惧することである。そして同時に問題視されるのは、選択制として新設された、論理的な文章を学ぶ「論理国語」に関して、実用性を重んじるあまり、国語としての味わいが無視され、内容が軽薄に陥り、無味乾燥となってしまうことを危惧することである。

「文学国語」が選択制になることで小説や詩歌に触れる機会が少くなること、「論理国語」が選択制となることで論理的な文章を学ぶ機会が増えること、これらにわたしは積極的に賛成する。なぜか。現在の国語、すなわち、「論理国語」をうっとうしく思い、「文学国語」を賛美してきた人間は、非生産的になるからだ。そのいい例が、私だ。

論理的な国語を学んでいないから、本記事のような破綻した文章しか書けない。文学的な国語が多少得意だったことから、いい気になって、現代詩や現代文学を読むことに精を出してきた。だから勤務先での仕事をフルでこなすことに嫌気がさし(勤労を百パーセント賛美するような文芸があるだろうか?)、そのためにうだつが上がらない人生を歩んできた。

以上の筋書きは、果たして論理的だろうか。私の人生がうだつが上がらない、というのは自他ともに認めるところだろう。ただ、私一人の例がすべての人たちに対して通用するわけではない。まあ、やってみてうまくいかなければ帰ればいいだけのことである。

教育の難しいところは、人文科学や社会科学の難しいところは、Aという施策で成果を上げたということを客観的に判断することが難しい、ということである。

ゆとり教育も、昔から悪玉に挙げられたし、今でもそんな声が大多数だ。しかしゆとり教育が本当に悪かったのかということは、慎重に議論されるべきだと思う。