『カレーライス物価』ということばがあることを知る ― 2025/07/02 23:09:39
『カレーライス物価』ということばがあることを知った。これは、民間の調査会社が、物価の動向が食卓に与える影響を実感しやすくするために、カレーライスを家庭で調理した際に1食あたりかかる費用の試算値のことである。
「カレーライス物価指数」調査―2025年4月分(www.tdb.co.jp)
物価が上昇しているのはいやだ。ただ、この記事を見て感じたことは、またカレーを食べたくなった、ということである。物価高への怒りより、食欲の亢進が上回るのは困ったことである。
「8時10分前論争」ということばがあることを知る ― 2025/06/26 13:25:17
少し前に聞いた話だ。〇時□□分前というのは具体的に hh 時 mm 分のことを指すのか、ということで話題になったという。
私はこの論争に巻き込まれたくないので詳しいことは言わないが、〇時□□分前という言い方が日本語にあるのを知ったのは、昔NHKラジオ第2で放送されていた「基礎英語」という番組やそのテキストでだった。It's quarter to eight. という言い方が紹介されていて、これは「8時15分前、という意味です」と先生は言っていた。そのときにいろいろな意味で驚いたことを覚えている。第1に、7時45分を意味するときにhh時mm分前という言い方で、hh 時 より mm 分以前の時刻を表す言い方があること、第2に、「前」の意味で to を使うこと、第3に15分の間隔を表すときに 1/4 を表す quarter を(平気で!)使うことだった。
ついでに、さきほどの話題とは別に、昔どこかで聞いた話を披露する。たとえば集合時間や会議開始時間で「8時までに集まってね」というと、8時という表現にかかわる有効数字を勝手に解釈する(いわゆる遅刻する)人がいるので、わざと「7時50分集合です」とか「7時54分会議開始です」と言って有効数字を意識させる人がいる、ということだ。私も面白がって2度この有効数字分1桁法を使ったことがある。
最後にまじめな労働の話をする。労働基準法では始業時間・終業時間は1分単位で計測しなければならず、時間外労働による賃金は1分単位で計測しなければならない(例外あり)。私は以前、15分単位でしか始業・終業時間を計測できないシステムを使わなければいけなかった職場にいて、労働基準監督署の査察を受けたとき監督官にシステムの不備を指摘された苦い経験がある。俺が導入したシステムでないのに、どうして指摘をされなければならないのか、と憤った経験がある。そしてシステムを設計した人間は労働基準法も知らなかったのかと暗澹たる思いに囚われたのだった。
広島のことばがテレビから聞こえてくる ― 2025/06/16 22:45:32
テレビから聞こえることばはたいていは東京近くのことばで、その次に関西のことばが聞こえる。その他の地方のことばはまず聞くことがない。ところが、最近備蓄米の関係で、ある大手のコメ卸売業者の社長の談話をよく聞くようになった。この業者は広島に本社があり、社長も広島の人と思われる。というのも、社長の話を聞いていると、イントネーションが広島なのである。そして、ブレンド米の話になって、「やおい」ということばが出てきた。この言葉を使うのはまず広島人とみて間違いない。「やおい」というのは「柔らかい」とう意味である。
ハローキティのジャージをはいている人を見る ― 2025/05/14 23:27:50
電車に乗ると、ハローキティの刺繍がしてあるジャージをはいていて、立ちながらスマートフォンを見ている若者がいた。女性でもけっこう勇気あると思うが、男性がはいているとはさらに勇気があるなと思っていた。しばらくすると駅についた。するとハローキティ氏は私の前をあわてて横切った。この駅で降りるのだろうかと思ったらドアには行かず、空いている座席に素早く座り、すぐにスマートフォンに目を落としていた。このハローキティ氏はよっぽど疲れていたのだろうか。「過労キティ」ということばが思い浮かんだ。
この過労キティということばを最初に目にしたのはご教訓カレンダーだと思うが、今はそれがいつのものだったか思い出せない。本も持っていたが、見当たらない。自炊してディスクの中にあるのかもしれんが、それが探せない。困ったことだ。
生活習慣病という名前を考える ― 2025/05/05 22:29:46
いつだったか、「生活習慣病」という名称を変えるべきだ、という提言があったことを思い出した。そのとき気になったのは、「生活習慣病」という名前も、昔「成人病」という名前が名称変更されたものだった。成人病が生活習慣病になったのは、かならずしも「成人病」とされる病気は成人だけがなるものではない、というのが理由であったと聞いている。
ではなぜ「生活習慣病」という名称をまた変えようとする動きがあるのだろうか。あるインターネット上の記事で見てみると次のような主張である:生活習慣病の患者のなかには、不摂生など全くないのに、体質などの要因で生活習慣病になってしまう人がいる、という事実を考慮しなければならないからだという。悪しき生活習慣がないのに「生活習慣病」と診断されてしまうと、その患者は自分をコントロールできないダメな人間とみなされてしまい、差別を受けることになる。だから変えないといけない。
では「生活習慣病」に代わる新しい名前は何がいいのだろうか。頭の体操になるだろうと思ってしばらく考えてみたが、結局私には思いつかなかった。
病名が変更されることは過去にあった。精神分裂病が統合失調症に、痴呆症が認知症になった例がある。そして、生活習慣病の一部とされる糖尿病には、具体的な名称変更の動きがある。糖尿病の代わりに「ダイアベティス」を用いる案が数年前に発表されていたことを知った。こちらの名前を変える理由は、必ずしもダイアベティスの症状は尿に糖が出るものとは限らないこと、尿という排泄物に患者が不快感を覚えることなどがあるという。そうなのか。これは、漢字で造語すると意味がとりやすいことが仇になったのかもしれない。
ダイレクトメールを見る ― 2025/04/11 22:12:32
私宛にダイレクトメールが来た。ある業界に属するある会社からのある種のお誘いである。きっとそれだけでは手に取ってもらえないと考えたからか、ある業界に関する調査書も入っていた。その調査書はA4で8ページあり、その会社の宣伝もあるにせよ立派な体裁である。さて、その調査書の表紙には、当社の見解を書いています。お客様のご判断の一助になればうれしいです。
と書かれている。ここを読んで、この調査書をまじめに読もうとする元気がなくなった。誤字脱字が多い私が言っても説得力がないが、「うれしいです」は舌足らずな印象を受ける。「幸いです」とか、「うれしく存じます」だったら読もうとする気になったのに、残念である。
「拳拳服膺」という四字熟語を知る ― 2025/03/05 10:25:16
あることがきっかけで「拳拳服膺」という四字熟語があることを知った。「けんけんふくよう」と読むらしい。意味は、手許の「明鏡国語辞典(第2版)」で調べると、「両手で物をささげ持つように、しっかりと心に銘じて守り行うこと」という意味だとわかった。この最後の「膺」という字がわからないですね。「角川新字源」でこの字を調べた。最初は「まだれ」で調べたら「にくづき」に飛ばされた。それはともかく、この「膺」の字は『肉と、音符ヨウとから成り、肋骨で囲まれた「むね」の意を表わす。』とあった。音符ヨウにも漢字が添えられていたが、どうも該当する字が見当たらない。
そういえば高校の同級生に「けんけん」というあだ名のやつがいた。卒業後十数年後にクラス会があり、久しぶりに顔を合わせたら体格が変わっていた。本人曰く「二十キロ太った」と言っていた。
男女共通の名前を考える ― 2025/02/11 21:40:22
ある人と話していて、たまたま庄司薫の話になった。その人は、「庄司薫、という名前は聞いたことがあったけれど、薫だからてっきり女だと思っていた」ということを言っていた。それはまあ確かに、俳優に八千草薫という女性はいたけれど、同じく俳優で小林薫という男性もいる。薫は男女どちらともある名前といっていいだろう。
ちなみに八千草薫の本名は谷口瞳である。瞳という名前は女性に多いような気がするが、作家で山口瞳(本名)がいたから、やはりこれも男女どちらも使える名前だと思う。
昔、夫婦別姓を議論するときに「荒川静香と亀井静香が結婚したら、同姓同名になってしまうではないか」という話題を出した人がいたと記憶する。今ならば、「浅田真央と藤田真央が結婚したら同姓同名になってしまう!」といって騒ぐ人が出るかもしれない(俺だけか)。なお、荒川静香も浅田真央もスケート選手だが、これは偶然だ。
どんな国でも男に多い名前、女に多い名前、男と女どちらもある名前というのはあると思う。はるか昔、ラジオのスペイン語講座を聞いていた時、初級では男と女の会話で構成されていたが、その会話は一週間ごとに男の名前と女の名前が入れ替わるのだった。講師曰く、スペイン語圏の名前にはどんな名前があるのかも含めて親しんでもらいたい、ということを言っていた。スペイン語講座で覚えているのはこれとあと一つだけである。
これはラジオかテレビか忘れたが、フランス語教室の番組で、フランスで男女ともに使われる名前にパスカルがある、ということを言っていたような気がする。それにパスカルは名だけでなく、姓としても使われる。
「1ミリも興味ない」という表現を調べる ― 2025/01/17 22:59:38
最近、「1ミリも興味ない」など、少しも、全く、・・・ないという意味で、「1ミリも」という強意表現をよく見る。これについて私が気になっていたことが2点あって、それはほかの人も言っている。その2点とは次の通りである。
- ミリがかかる単位が不明確である
- ミリの他にも小さいことを意味する接頭辞が多数あるのに、ミリだけ使われる理由がわからない
第1の理由については、本来ミリという接頭辞は単位と合わせて初めて正しい使い方になる。普通、暗黙の了解で単にミリと言ったときはミリメートル(mm)のことだが、物理でお分かりの通り、ミリはメートルだけでなく、質量を表すグラム、時間を表す秒、電流を表すアンペア、および国際単位系(SI)で規定されている組立単位のあらゆる単位に付けることが可能である。この単位が略されていては意味がない。
第2の理由については、SIで規定されている接頭辞がほかにも多くあることだ。0.001倍を表すミリは、0.1倍を表すデシ、0.01倍を表すセンチより小さいものを表せるが、さらに小さいものを表す接頭辞に、マイクロ、ナノ、ピコ、フェムト、アトなどがある。静電容量を表すファラドは、平気でナノファラド、ピコファラドなどを使う。パルスレーザーの中にはフェムト秒単位でパルスを制御できるものもある。
ともあれ、私は使わないことにする。
なお、この用法についてはレファレンス共同データベースの資料も参考になる。 「1ミリも興味ない」という表現があるが、なぜミリなのか、語源や表現ができたきっかけなどあるのか知りたい。(crd.ndl.go.jp)
旧奏楽堂の入口表示に驚く ― 2024/09/11 11:19:48
先週の土曜日、旧奏楽堂で演奏会に出演したときのことをブログに記した。私は出演者であったので、朝から準備のため旧奏楽堂の裏口から入った。すると、入口の案内板に驚くべきことが書いてあった。
旧東京音楽学校奏楽堂左翼家入口
この左翼家とは何だろうか。左翼に属する活動家のことだろうか。私は左翼でもなく、活動家でもないから困ってしまったが、とりあえず入ることに決めた。左手のドアはちょっとガタついていたが問題なく開き、入ったあとは閉じることができた。よかった。
あとで調べると、この左右対称の作りになっている旧奏楽堂は正面玄関に向って右側が左翼家と、左側が右翼家と呼ばれていることがわかった。私が入ったのは左翼家の裏口からであった、というわけだ。 そういうことならば、右翼家入口もあったかもしれないが、見当たらなかった。立ち入り禁止区域にあるためかもしれない。
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