「一人の手」を思い出す ― 2024/10/28 19:22:32
きのう、衆議院議員選挙に行き、最高裁判所裁判官国民審査制度の罷免の可否と合わせて投票してきた。前から何度も書いてきているが、選挙のたびに必ず選挙権を行使しているのは、私自身が善良な選挙権民であるからでは決してない。単に、使えるものを使わないでいるのはもったいないという、けちん坊な、しみったれた精神から来ているのであって、おいしいか否かにかかわらず皿に出されたごちそうは残らず食わないともったいない、という考えと全く同じである。
ただ、それだけだと弱いので、ときどき思い出したように昔教わった歌を思い浮かべて選挙に出かける原動力とする。その歌とは、ピート・シーガーの「一人の手」という歌だ。この歌は、私が小学校4年生のときのY先生か、中学校1年生のときのS先生のどちらかが教えてくれた歌だ。ピート・シーガーは「ウィ・シャル・オーバーカム 」や「花はどこへ行った」などで有名で、この2曲を教えてくれたのはどちらもS先生だったから、きっとこの「一人の手」もS先生が教えてくれたのだろう。私はひねくれ者だからこういう素直な歌の立ち位置とはずれているのだが、まだいたいけだったころに教わった歌だからか、自分の心の中に素直に入ってくるのが不思議だ。
公益通報ハンドブックを見つける ― 2024/07/19 23:59:59
昨今のある事件を受けて、公益通報者保護法が話題になっている。そんなとき、家探しをしていると、「公益通報ハンドブック」が出てきた。わたしがまだ中小企業診断士として勉強会に出ていた時、診断士の方が解説がてら配付したハンドブックで、平成 18 年(2006 年) 8月に発行された小冊子である。私が当時勤めていた職場で、公益のために通報することがあるだろうか、と思いながら解説を聞いていた覚えがある。通報者が確実に保護されるようになってほしい。
住民基本台帳のネットワークを思い出す ― 2023/06/26 23:59:59
むかし、住基カードと呼ばれるものがあった。住民基本台帳カードが正式名称である。住基カードは、住基ネット(正式名称は住民基本台帳ネットワークシステム)と呼ばれるネットワークを通して、各種の自治体のサービスが受けられるという触れ込みのものだった。
はるか昔、この住基ネットについて、こんな話を聞いたことがある。住基ネットを作っていたある大手電機メーカーの話である。このメーカーの社員は住基ネットとは無関係だったが、人事異動により直属上司が変わった。その上司はかつ住基ネットを担当していたという。新たな上司から「おまえは、住基カードを作るつもりか?」と聞かれ、社員は「まだどちらとも決めていませんが、便利なら作るつもりでいます。」と答えた。すると上司は「おまえなあ、悪いことはいわないが、住基カードなんか作るなよ。どんなに住基ネットが危険か、わからないのか。」かように、住基ネットは危険なものだったのだ。
こんな昔の話を持ち出すのは、もちろんわけがあるが、これ以上は無用だろう。
「私憤から公憤へ」を思い出す ― 2022/11/07 23:59:59
昔は岩波新書をけっこう買って読んでいた。その中でもよく読んでいたのは、公害関係のルポルタージュだった。もう手元にはないが、「口伝 亜砒焼き谷」とか「四日市 死の海と戦う」などは今でも強く印象に残っている。そして、公害とは少し違うが、ワクチン禍を取り上げたものとして、吉原 賢二の「私憤から公憤へ―社会問題としてのワクチン禍」も思い出す。私は呑気で凡庸な人間だからワクチンとあれば昔から今にかけて平気で打ってしまうが、やはりそれはおかしいと声をあげ続けることが大事なのだと思う。
国葬を考える ― 2022/07/16 19:01:07
投票に行く ― 2022/07/10 23:59:59
参議院選挙にあたって考える ― 2022/07/05 23:59:59
もうすぐ参議院議員選挙の投票日だ。まだ誰に入れるかは全く決めていない。ただ、自慢してもいいことは、国会議員の選挙も、地方自治体の首長や議員の選挙も、一度も棄権したことがないことだ。もっとも、棄権を一度もしたことがない人はたくさんいるだろうからやっぱり自慢にはならない。それに、私は清き一票を投じているわけではない。人生、恥ずかしいことばかりで生きながらえてきたので、清き一票ということはない。
私の友達で、小学校の生徒会会長選挙に立候補した人物は、「清き一票はもちろん、清くない一票でも、私に投票してください」と堂々と言ってのけた。この友達が生徒会会長に当選したかどうかは覚えていない。
それはともかく、もうすぐ参議院議員選挙である。私が棄権をしたことがないのは、せっかく行使できる権利をむざむざ無にするのがもったいないからで、いってみればごはん茶碗に飯粒が一粒でも残っているともったいないから食べるように、選挙権を行使しているだけの話である。
最近久しぶりに平凡社ライブラリーの「日本残酷物語」を読み返している。本当に残酷で読み続けるのもしんどいが、残酷な目にあった民衆は、当時参政権など考えることもなかっただろう。私が拙いながら政治を考えて誰がいちばんましだろうかを考えて一票を投じているのは、多くの非道な仕打ちを受け世の中を変えたくとも変えられなかった民衆に私が負い目を感じているからでもある。
ありがたいことに、私が住んでいた(そして今住んでいる)地方自治体の首長や議員は、定数より多い立候補者がいる。つまり、住んでいた地方自治体では、首長や議員が無投票で当選したことはない。これはありがたいことだと思う。日本の多くの自治体では、首長が一人しか立候補しなかったり、議員が定数割れしているところがあるのだ。
どこかに書いたと思うのだが、私が通っていた学生寮にいた敬愛する先輩は、ある選挙で誰に投票しようかと真剣に考えたあまり、投票所から学生寮に帰る道に迷ってしまったという。わたしは投票所で迷ったことは残念ながらない。
アメリカでは、雑談として支持政党の話をするのはタブーだという話を聞く一方で、ティーパーティという、支持政党を盛り上げる会が多かったり、また異なる支持政党の支援者が討論することがよくあるとも聞く。どちらが本当かはわからないが、私の臆測では、きっと日本よりは討論をよくしているだろうと思う。
私は知人と政治の話をすることはない。たまに知人から〇〇党をよろしくという電話がかかってくることもあったが、それはそれとして聞いておくだけで、その〇〇党に投票したことはない。
まったく脈略のない文章になったが、こんなことを考えている。
アベノマスクの使い道を考える ― 2021/12/05 19:07:47
私の机の引き出しに、厚生労働省から配布された、使っていない布マスク、いわゆる「アベノマスク」が一つある。布マスクは一人に二つ一世帯に二枚(2021-12-06修正)配られたから、もう一つの、既にない布マスクはどうしたかといわれるかもしれない。この、既にない布マスクは有効に活用したことだけをお知らせする。では、残っている布マスクをどうしようか。マスクとして活用するというのも一つの考えである。しかし、私の家には不織布マスクがたくさんではないにせよ、少しはある。布マスクは小さいし、ウイルスから口や鼻を守ったり、口や鼻から出るウイルスを防いだりする力は不織布マスクより弱い。そこで考えたのは、布マスクを分解して、ガーゼとして活用することだった。具体的には、チェロを練習したあと、弦につく松脂をぬぐうのに使うことにした。物の本には、弦につく松脂をぬぐうにはガーゼがお勧めだと書いてあったのだ。もちろん、ぬぐったガーゼは洗って何度も使う。なお、松脂ぬぐいにあたっては、布マスクをそのまま使うことはせず、分解してガーゼの部分だけを使うことにした。布マスクはガーゼ部分とゴム部分からできているので、ゴムを固定している袋部分の糸を切ってほどいて、輪になったゴム部分を抜いた。なお、はずしたゴム部分も何かのときに使えそうなので身近にいる人にあげた。
私だけのアベノマスクの使い方はこれで決まった。しかし、政府は、配布していない、余ったマスクが大量にあって、倉庫に保管されているのだという。その在庫のマスクは使い道が示されないまま倉庫に眠っていて、今のところ保管料を倉庫会社に払い続けているのだという。まあ、これはムダ使いである。いい使い道があるだろうか。
演奏会に行こうかどうか迷う ― 2021/07/03 23:00:00
新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、演奏会が少しずつ増えている気がする。ただ、私は臆病なのか、なかなか演奏会に行こうという気にはならない。今までなら行きたい演奏会があれば少し無理して行っていたが、今では「コロナだから」という理由を錦の御旗にして演奏会に行かないことができてしまう。
先月(6月)は一度も行かなかった。先々月(5月)は2回行った。4月は行かず、3月は1度だけだった。1月、2月は行っていない。
さて、7月はどうしようか。気になる演奏会がある。もし行けたらば、その後報告したい。それにしても、不要不急の外出は控えろ、と言っておきながらオリンピックを開催するのは、どう考えてもおかしい。
東京オリンピック・パラリンピックを考える ― 2021/06/04 19:22:12
私がここで書くことは、東京オリンピック・パラリンピック 2020 は中止すべきだ、ということだ。以下長文でしかも関係ないことを延々と描いているので、不愉快な方はここから去ることを勧める。
今でもノンポリ学生ということばがあるのだろうか。私もノンポリだ。政治にはかかわりたくないと思っている。少なくとも、積極的にはかかわりたくない。思想とか、党派とか、宗派とか、そういうのは御免被る。とはいえ、とりあえず社会があって、その社会の中で人間として暮らしている以上、政治とは無関係ではいられない。そんなわけで、消極的には政治に関わるしかない、と腹を括っている。たとえば、国政選挙や、地方自治体の選挙には、欠かさず投票している。これはブログでも書いたと思うが、投票権がもったいないからだ。あらずもがなのことを付け加えれば、特定の組織から特定の立候補者に入れるような誘いがあったときでも、そのような立候補者に票を投じたことは一切ない。
一度、勤務先で、勤務先のある組織から特定の候補者に入れるような働きかけがあったが、私はその候補者に投票することはなかった。入れなかった理由は単純で、その候補者を応援するために日章旗に寄せ書きするよう組織から促されたからだ。 私は当時、国旗を汚すような行為は犯罪だと思っていたので、犯罪に加担する行為を促す候補者を信用することはできなかったのだ。ちなみに、国旗及び国歌に関する法律が成立するはるか前のことである。寄せ書き事件のとき、私は日本国の国旗が日章旗だと恥ずかしながら思い込んでいたし、国旗を損壊することの罪は外国旗のみにのみ、しかも侮辱の目的をもってという条件つきで適用されるということを知らなかった。
ノンポリということで長い問わず語りをしてしまった。それはともかく、最近考えていることは、東京オリンピック・パラリンピックの開催についてである。私は、オリンピックの開催については、関心がなかった。2年前だろうか、職場の同僚から「東京オリンピックで何か見に行きたいと思いますか」と聞かれたとき、「興味がないから行きたいとも思わない」と答えることはさすがにはばかられた。私だって空気を読む。だから「そうですねえ、ほとんど人気がない競技だったら見に行きたいですね。すいているから」と答えた。もっとも、この答でも、質問者の気を削ぐには十分すぎたかもしれない。その後の話題は途切れた。
相変わらずどうでもいいことを書いている。東京オリンピック・パラリンピック 2020 (以下五輪)についてどう考えるか、ということである。テレビで菅首相が、五輪開催は「安全・安心」うんぬんということを繰り返している。では官邸はどう考えているのだろうか。調べてみた。
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/tokushu/shisaku.html
2021年6月4日現在、次のように書かれている。
東京オリンピック・パラリンピックなど注目施策 我が国の将来の絵姿を具体的に示しながら、 スピード感を持って実現していきます。 東京オリンピック・パラリンピック競技大会 夏の東京オリンピック・パラリンピックは、 人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、 また、東日本大震災からの復興を 世界に発信する機会としたいと思います。 感染対策を万全なものとし、 世界中に希望と勇気をお届けできる大会を 実現するとの決意の下、 準備を進めていきます。(首相官邸HP)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/index.html
緊急事態宣言が現にいま出されているにもかかわらず、人類が打ち勝った証はどう示すのだろうか。感染対策を万全なものとし、とあるが、現に感染者が日本で出続けている。世界中に希望と勇気、とあるけれど、希望だけで感染者を抑えることはできず、勇気は無謀とは違う。いや、決意さえしてればいいのか、と妙な読み方をしてしまうではないか。
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