本が読めなくなる ― 2025/04/23 22:08:23
最近、本が読めなくなった。自分の目は活字を追っているのだけれど、意味が脳に入ってこなくなったのだ。昔からこういう現象はあったが、最近は特にひどくなった。まあ、理解ができなくなるのは加齢のせいだとあきらめればそれでいいのだけれど、やはり悔しい。
本を読むのがしんどくなる ― 2025/01/31 22:39:04
図書館から本を借りて読んでいる。最近は文芸の本が読めなくなった。文庫本の場合は顕著だ。まず、字の大きさがある。私も御多分に漏れず、老眼が進んでいる。私は昔から近視でメガネが手放せなかった。若いころは、老眼になれば遠くが見えるようになる、というバカなことを思っていたが、実際には遠くは相変わらず見えず、近くも焦点が合いにくくなるという苦労を背負うことになった。では字が大きければいいのかというとそうではなく、本の世界に入り込むことができなくなった。とくに外国小説や日本の近代小説の場合に著しい。外国小説では登場人物がカタカナで出て来るから覚えにくいのが困る。日本の小説でも近代のものはあまり見かけない熟語や言い回しが頻繁に出てきて、そこに気を取られてしまいなかなか先に進めない。この二週間で8冊文庫本の小説(戯曲を含む)を借りてきて、読み終えたのは5冊だけだった。ああ、それでも5冊よめれば上等か。
図書館に行く ― 2025/01/07 22:20:19
この日は図書館に出かけた。いつもはコンピュータや理工学の本を借りて来るのだが、今回は珍しく小説を多く借りてきた。果たしてこの年になって小説を読めるだろうか。小説は想像しなければならないので理工学書を読むよりかえっていまの私には大変なのだ。
図書館から借りてきた本が読めなくなってきている ― 2024/12/02 22:58:24
最近は散歩を兼ねて図書館に行き、本を返して、本を借りてくる。本を借りてくるのは当然本を読むためだが、最近本が読めなくなっている。そのため、借りた本に目を通さず、そのまま返してしまうことが多くなった。まったくもったいないことである。せめて1ページでも読んで感想を書きたいのだが、今度は読んでもわからなかったり、かりにわかったとしても何の感想も思い浮かばないことがあったりする。まったくもって困ったことである。
昔の本を読む ― 2024/08/10 13:58:12
昔の本を読んでいる。私は物持ちがよくないので昔の本はそれほどもっていない。また、古本屋で買う本もそれほど多くない。だから読んでいる昔の本はたいてい図書館で借りた本だ。昔の本だから、用語が昔風だ。たとえば、ある昔の本を見ると、電気回路で現在は「フィルター」と呼んでいる素子は「沪波器」と書かれている。しかも「沪」の字の右側の「戸」は「芦」の下側のように、左側がつながっている。中身はわからないが、昔を感じている。
カレー屋と図書館に行く ― 2024/08/01 23:07:12
この日は暑い中歩いて図書館に行って歩いて帰ってきた。図書館に行く途中、初めて行くカレー屋でカレーを食った。
カレーを好んで食う人は普通の人より健康だ、という記事を何かで読んだ。新聞か、Web かだったような気がするが、はっきりしない。
「なんとかを好んで食べる人はそうでない人よりこれこれだ」という記事はあまり信用しない。単なる偶然ということがあるような気もするし、隠れた要因があるような気もするからだ。
カレー屋と図書館に行く ― 2024/07/30 23:59:59
この日は暑い中歩いて図書館に行った。帰りも歩きで帰る予定だったが、危険な暑さが予想されたため、途中電車を使った。図書館から帰る途中、2度めに行くカレー屋でカレーを食った。
最近、よくカレー屋に行っている。昔、糸井重里の萬流コピー塾で、松をとった作品「暑いっちゃカレー、寒いっちゃカレー」を今でも覚えている。
「カラマーゾフ兄弟」を読み進める ― 2024/06/29 12:38:28
ドストエフスキーの「カラマーゾフ兄弟」を読み進めている。文学の読書は最近していなかったので疲れるが、なんとか少しずつ読んでいる。今は「第五篇 プロとコントラ」の「二 ギターを手にしたスメルジャコフ」である。このギターを手にした
という句を見て、私は「ギターを持った渡り鳥」という、どこかで耳にした文句を思い浮かべた。しかし、私はこの「ギターを持った…」が、何のことだか実はわからなかった。どうやら、日本映画の題名のようだ。それにしても、スメルジャコフがギター手にするのは、なぜか違和感がある。
「カラマーゾフ兄弟」を読み始める ― 2024/06/09 22:25:58
図書館に行って、ドストエフスキー作、小沼文彦訳の「カラマーゾフ兄弟 Ⅰ」を借りてきて読み始めている。私はドストエフスキーの小説を一度も読んだことがない。一度、「罪と罰」を読み始めたが、文庫本の上巻の途中で挫折してしまった。「悪霊」はなぜか下巻だけをもっていた。私が実家に住んでいた実家で、隣家のおじさんが「これあげる」といってくれた本の一部にあったからだ。そのうち、同じ出版社の上巻を買うつもりで果たせず、下巻もいつの間にかなくなってしまった。そんなことで、ドストエフスキーを読む機会を失ってしまっていた。
そんな私が「カラマーゾフ兄弟」を読もうとしたのはわけがある。たまたま、なぜか男三兄弟の話があって、「女三姉妹はいろいろいるけれど、男三兄弟はあまり聞かない」という話題になった。そういえば、私が知っている三姉妹は、かしまし娘、コシノ三姉妹、チェーホフの「三人姉妹」などがある。そこで私は、「カラマーゾフの兄弟は三人兄弟ですよ」といかにも読んだふりをした。すると別の人が「ミーチャ、ワーニャ、アリョーシャですね」と即座に突っ込んだ。うー、これでは私が読んでいないのがばれてしまうではないか。これを機会に読んでみることにした。なお、邦訳では「カラマーゾフの兄弟」と「の」が入るが、私が借りた小沼文彦訳と北垣信行訳では「カラマーゾフ兄弟」である。
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