バレエを見ながらブラームスのワルツを聴く2025/03/27 09:33:52

きのうはぼんやりしながらバレエを見ていたら、音楽にブラームスのワルツが使われていた。ブラームスのワルツと言えば、Op.39-15が有名だ。連弾版や簡易独奏版はイ長調、(簡易でない)独奏版は変イ長調のこの曲だけが有名になっていて、他の曲は知らないでいたら、たまたま Op.39-15 以外のワルツもバレエに使われていて、そのなかの一つ、Op.39-1 がソドレミで始まっているのを知って狂喜乱舞した。以下が楽譜である。

中森明菜の「難破船」を聴く2025/03/26 21:56:41

最近、昔の歌謡曲を長尺のテレビ番組で流すことが増えたような気がする。そんな番組を見ていたら、中森明菜が「難破船」を歌っていた。この歌はほとんど覚えがなかったが、それでも少しは聞いたことがあるメロディーがあった。昔は歌番組なんて聞こうと思ってかじりつくことはなかったのに、よく今でも覚えているものだ。

ところで、加藤登紀子作曲のこの歌は、ミラシドで始まる。
楽譜をとりあえず起こしてみたが、中森明菜の歌唱は冒頭かなりハスキーで、とくに「忘れればいい」のところが音程が定まっているのかわからないほどだ。

ベートーヴェンの交響曲第2番を聴く2025/03/16 17:15:09

今日はかつしかシンフォニーヒルズへ行って、ベートーヴェンの交響曲第2番を聴いてきた。ソドレミで始まるイ長調の第2楽章はこんな感じだ。リスト編曲のピアノ譜による。

「山賊の歌」を思い出す2025/03/15 19:33:54

今日は某所に靴下を買いに出かけた。いつも一足の片側だけ穴が開いて穴が開いていないもう一方が使えるのに勿体ない、と思っていたので、今回は三足同じ色で同じ形のものを一度に買った。靴下を三足買いに行ったので、「山賊の歌」を思い出した。たぶん、私が中学一年生のときの担任のS先生から習った歌だと思う。


牧村三枝子の「みちづれ」を聴く2025/01/27 22:19:38

この日の晩、録画していた「ザ・カセットテープ・ミュージック」を見ていたら、スージー鈴木が、牧村三枝子の「みちづれ」を紹介していた。スージー曰く、今年は「変拍子演歌」が流行る、この歌を聴いてみろ、といって紹介したのがこれだった。変拍子といっても、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のようにしょっちゅう拍子が変わるものではなく、ゆっくりとした三拍子がいつの間に四拍子になるという、自然に聞こえるタイプでこれは珍しい。しかも、歌いだしが「ソドレミ」である。変拍子の部分は楽譜には起こさなかったが、ソドレミの部分は早速このブログで紹介しよう。

「われらにたまいし」を歌う2024/12/25 19:28:25

今日はクリスマスである。異教徒の神が生まれた日なので私は無視をしてもいいのだが、世界平和のために、異教徒の神を寿ぐ歌、すなわち聖歌を歌うことにした。「カトリック聖歌集」の#3「われらにたまいし」の冒頭である。ソドレミで始まる。

なお、表題は「我らに魂」ではなく、「我らに給いし」である。

フォーレの「アポロへの賛歌」を聴く2024/11/14 23:12:07

少し前に買ったフォーレ全集のなかから「アポロへの賛歌」(Hymne à Apollon)を聴いた。以前 YouTube で聴いたことはあったが、こうして CD で聴くのは初めてだ。よちよち歩きの旋律におずおずと和声を付けたかのような趣がある。この後フォーレは「ペネロペ」というギリシャの物語を題材にとってオペラを書くことになるので、その練習だろうか。5/4拍子が珍しいが、古代ギリシャではこれが普通だったのだろうか。ついでにいえば、私が聴いたこの曲は歌がミラシドで始まっているで楽譜もそうしているが、IMSLP の別の版ではミラシドではない別の節が始まっている(5/4拍子は変わりない)。何があったのだろうか。

なお、この歌は編曲されて、Benjamin Bernheim というテナー歌手によって 2024 年パリオリンピックの閉会式で歌われたという。

「ドロップスのうた」を聴く2024/10/31 22:18:01

テレビを見ていたら、「おかあさんといっしょ」の特集番組が放映されていて、そこから「ドロップスのうた」が聞こえてきた。わたしは「おかあさんといっしょ」はほとんど見ていなかったが、なぜかこの「ドロップスのうた」は覚えていた。たぶん、ドレミファブックで聴いていたのだと思う。私は昔から泣き虫で(今でもそうだ)、歌詞に出て来るこの泣き虫神様が好きだ。

「一人の手」を思い出す2024/10/28 19:22:32

きのう、衆議院議員選挙に行き、最高裁判所裁判官国民審査制度の罷免の可否と合わせて投票してきた。前から何度も書いてきているが、選挙のたびに必ず選挙権を行使しているのは、私自身が善良な選挙権民であるからでは決してない。単に、使えるものを使わないでいるのはもったいないという、けちん坊な、しみったれた精神から来ているのであって、おいしいか否かにかかわらず皿に出されたごちそうは残らず食わないともったいない、という考えと全く同じである。

ただ、それだけだと弱いので、ときどき思い出したように昔教わった歌を思い浮かべて選挙に出かける原動力とする。その歌とは、ピート・シーガーの「一人の手」という歌だ。この歌は、私が小学校4年生のときのY先生か、中学校1年生のときのS先生のどちらかが教えてくれた歌だ。ピート・シーガーは「ウィ・シャル・オーバーカム 」や「花はどこへ行った」などで有名で、この2曲を教えてくれたのはどちらもS先生だったから、きっとこの「一人の手」もS先生が教えてくれたのだろう。私はひねくれ者だからこういう素直な歌の立ち位置とはずれているのだが、まだいたいけだったころに教わった歌だからか、自分の心の中に素直に入ってくるのが不思議だ。


クープランの「ティク・トク・ショクまたはマイヨタン」を聴く2024/10/11 10:19:02

フランソワ・クープランの「ティク・トク・ショクまたはマイヨタン」(Le tic-toc-choc, ou Les maillotins)を聴いた。クラヴサン曲集第3巻第18オルドルの第6曲である。これを聴いたのにはわけがある。

この10月からNHKラジオ第2放送の「まいにちフランス語応用編」の最初と最後に、この曲が流れてくる。最初はピアノの曲というだけで正体がわからなかったが、何度か聴いてやっとわかった。現代のピアノで弾くのは左手と右手による重なりあいと同音連打で大変だ。二段鍵盤によるクラヴサンならピアノよりは楽だと思うがそれでも右手は難しいと思う。