いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を聴く2025/04/22 23:05:04

テレビを見ていたら、由紀さおりが、いしだあゆみの名曲、「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌っていた。由紀さおりもさすがに年をとったか往年の安定さが少し失われたが、それでも安心して聴ける。亡きいしだあゆみの歌を今歌わせたら最適の歌手だと思う。

そしてもう一つ思い出した。いしだあゆみが亡くなったことを知った時、いしだが歌った一番よく知られているこの曲のことを少し前のブログに書いたのだけれど、この歌いだしが「ミラシド」の逆行形の「ドシラミ」であることに今改めて気づいた。自分でミラシドのページを立ち上げておいて、そこに今まで「ドシラミで始まる曲が思い出せない」と書いていたのが本当にバカだった。そのおわびに、今ここで楽譜を掲げ、ついでに MIDI にコードも付けた。再生するとリズムがあまりにも鈍重だが、ほかのリズムにする方法を私は知らないので勘弁してほしい。

北朝霞駅の発車メロディーを調べる2025/04/16 22:54:24

北朝霞駅の発車メロディーを調べた。どうやら、朝霞市で、夏の市民まつり「彩夏祭(さいかさい)」の総踊り曲「集まれ!踊り人」というものらしい。身近にいる人が、松村和子の「帰ってこいよ」に似ていると言い出した。確かに似ている。〽あの子は小さくうなずいた、のところのメロディーだ。

フォーレの歌曲集『幻影』を聴く2025/04/07 22:58:17

フォーレの歌曲集『幻影』を聴いた。『蜃気楼』と訳される場合もあるこの歌曲集は、やはり歌曲集『閉ざされた庭』に比べて一曲が長いためか、一つの歌でいろいろな相貌が現れる。特に、第2曲 『水に映る影』の後半で、一度歌のみとなりピアノ伴奏が途切れたのち、3連符を刻むところにフォーレの真骨頂を見る。

フォーレの『春の使い』を聴く2025/04/05 12:27:06

きのうはエレファントカシマシの『上野の山』について書いた。春つながり、4月つながりなので、フォーレの歌曲集『閉ざされた庭』(『閉じられた庭』)に収められた『春の使い』(『使いの女』、" La messagère")を聴いてみた。冒頭のピアノの分散和音に乗って、"Avril" と単刀直入に歌う明るさが好きだ。カミーユ・モラーヌの歌唱がいい。

エレファントカシマシの『上野の山』を聴く2025/04/04 22:41:10

身近にいる人が、エレファントカシマシの『上野の山』を聴いていたので私も一緒に聴いた。今は四月で、上野公園の桜も盛りなのだろう。エレファントカシマシの四月といえば『四月の風』があるが、これは既に記事にしたので、今回は『上野の山』である。ただ、身近にいる人は、この曲の音源を持っていない。聴いていた音源は Spotify である。ということで、楽譜にすることはあきらめた。それにしても、この脱力した歌は何だろう。

中森明菜の「難破船」を聴く2025/03/26 21:56:41

最近、昔の歌謡曲を長尺のテレビ番組で流すことが増えたような気がする。そんな番組を見ていたら、中森明菜が「難破船」を歌っていた。この歌はほとんど覚えがなかったが、それでも少しは聞いたことがあるメロディーがあった。昔は歌番組なんて聞こうと思ってかじりつくことはなかったのに、よく今でも覚えているものだ。

ところで、加藤登紀子作曲のこの歌は、ミラシドで始まる。
楽譜をとりあえず起こしてみたが、中森明菜の歌唱は冒頭かなりハスキーで、とくに「忘れればいい」のところが音程が定まっているのかわからないほどだ。

いしだあゆみの訃報に接する2025/03/22 23:37:18

少し前に、いしだあゆみが亡くなったことを知った。いしだあゆみといえばなんといっても『ブルーライトヨコハマ』である。この曲が発売されたのは1968年だというが、私はもっとあとになってから聞いた気がする。私にとっての最初の歌謡曲はピンキーとキラーズの『恋の季節』で、これも1968年発売だから、昔覚えていることといったらいい加減なものだ。

やはり昔のことだが、親が「歌のない歌謡曲1974」という題のレコードを買ってきた。1974 は西暦を指すと思うが、ひょっとしたら 1972 かもしれない。そして、歌のない歌謡曲と言うのは、クラシックの無言歌と似てはいるが、実際にはカラオケである。当時からカラオケはあったかどうかは覚えていないが、歌のない歌謡曲という言い方はよくしていたように思う。そしてこのレコードには、(歌のない)『ブルーライトヨコハマ』が収められていたように思う。ほかにもこのレコードにはカルメン・マキの(やはり歌のない)『時には母のない子のように』が収められていたようにも思う。クラシックも聴いていたが、私の音楽の骨格は歌謡曲だ。もう、今となっては、歌謡曲ということばも、流行歌ということばも、死語だろう。さびしい。

「山賊の歌」を思い出す2025/03/15 19:33:54

今日は某所に靴下を買いに出かけた。いつも一足の片側だけ穴が開いて穴が開いていないもう一方が使えるのに勿体ない、と思っていたので、今回は三足同じ色で同じ形のものを一度に買った。靴下を三足買いに行ったので、「山賊の歌」を思い出した。たぶん、私が中学一年生のときの担任のS先生から習った歌だと思う。


星屑スキャットの「駅」を聴く2025/03/08 10:53:23

星屑スキャットの「駅」を聴いた。すばらしかった。

「カナダからの手紙」を聴く2025/02/27 22:55:34

テレビに畑中葉子が出ていて、山内惠介(だったと思う)と一緒に「カナダからの手紙」を歌っていた。そういえば昔、中学生だったころ、同級生の T くんとこんなことを笑いながら言い合っていた。
「カナダからの手紙」っておかしいよな、だって、最後に「あなたのいない、一人旅です」といっているけれど、あなたがいなけりゃ一人旅に決まってるよな、何当たり前のことを言ってるんだよ。
そのときはそれでおかしがっていたけれど、考えてみれば「あなた」がいなくても第三者が「わたし」と一緒に旅をする場面も考えられる。だから、別に「あなたのいない一人旅」でもおかしくはない。つまり、重言ではないということだ。ただ、中学生のころはなんでもおかしかった。箸が転んでも笑うのは女子だけではなかったのだ。

それはそうと、最近定期的に行く場所の途中に、「歌謡曲レッスンします。当方、平尾昌晃の親戚です」という看板がかかっている。平尾昌晃の親戚というのはどれほど威力があるものかはわからない。ついでに、「遠い親戚より近くの他人」ということわざがあり、これは遠くに住む親戚より近くの他人が頼りになる、という意味だろう。さて、遠い親戚というと、場所的な関係のほかに血縁の程度(親等など)が離れている意味にもとれるが、この場合何親等までなら近い親戚といえるのだろうか。急に気になった。