バードの4声のミサ曲「クレド」を思い出す2020/05/21 23:00:00

バードの4声のミサ曲より「クレド」
2日前から書いているバードの4声のミサ曲から「クレド」である。クレドは長いので最初は閉口するが、作曲家がもっとも腕をふるうところでもあり、練習していくと真価がわかるようになる。この「クレド」もそうだった。掲げた楽譜で、ベースが Et resurrexit tertia die と上昇進行で歌うところは、横綱の土俵入りのようでかっこいいと思っている。他のパートもついてきて、この歌詞の少しあとに、やはり同様の上昇音型でパートが次々に Et ascendit coelum と歌う。当時の情熱を思い出し、久しぶりに歌いたくなってきた。この1年、調子を悪くしたため声が全くでないのだけれど。

バードの4声のミサ曲「サンクトゥス」を思い出す2020/05/22 23:00:00

バードの4声のミサ曲より「サンクトゥス」
引き続きバードの4声のミサ曲から「サンクトゥス」である。長いクレドのあとで短いサンクトゥスは気が抜けやすいけれど、なかなかそうはいかない。上に掲げた楽譜は冒頭である。単純に音階を上がり下がりするだけなのだけれど、4声で歌うと味わい深い。そしてこの旋律も、徐々に変容する。第6音(この調ではEs)が導入されたり、第3音(この調ではB)が半音上がったり(すなわちHに上がったり)、第6音も上がったり(すなわちEに上がったり)する。

バードの4声のミサ曲「ベネディクトゥス」を思い出す2020/05/23 09:57:45

バードの4声のミサ曲より「ベネディクトゥス」
バードの4声のミサ曲から「ベネディクトゥス」である。通常は前の「サンクトゥス」から休みなく続けて歌うことが多いだろう。ここの聞きどころは、動きが少ない中、少し細かな動きで現れる上昇音型であろう。上の楽譜では8分音符のある前後である。
前にも、私が歌ったときの楽譜は、譜面がヘ短調で書かれC(4/4拍子)であったことを書いた。ここでも同じことを繰り返してお伝えする。さらにこのベネディクトゥスでの楽譜について書くと、私の楽譜では、前後が C の中1小節だけ 2/4 に変更される箇所が2回出てくる。ところが、ここで引用した楽譜はそのような個所はない。2/4 が2回出てくればつじつまは確かに合っている。私の楽譜は、フレーズのことを考えて校訂者が 2/4 にしたほうがよいと判断したのだろうか。よくわからない。ちなみに、私の楽譜は CHESTER MUSIC 発行で、Edited and arranged for modern use by Henry Washington と書かれている。

バードの4声のミサ曲「アニュス・デイ」を思い出す2020/05/24 10:42:24

ウィリアム・バード:4声のミサ曲より「アニュス・デイ」
バードの4声のミサ曲の最後は「アニュス・デイ」である。この曲の最初のs三分の一は2声か3声で簡素である。のちの三分の二で4声がそろうが、簡素な書き方は維持されている。最後の数小節を掲げた。私の手持ちの楽譜には48小節のpa-cem と歌うベースパートで「しんをもつ」とメモにある。「芯を持つ」のことだろうか。支えないといけないところだ。その数小節先、50小節の do-na には「先を考えて」とメモしている。ここでまずいことをしたことがあったのだろうか。いまとなってはわからない。

バードの3声のミサ曲から「キリエ」を聴く2020/05/25 23:00:00

バードの3声のミサ曲から「キリエ」
きのうまででバードの4声のミサ曲を思い出した。今度は3声のミサ曲だ。久しぶりに聴いてみた。実にいい。キリエなんて、上の譜例に挙げただけで終わりだ。普通に歌えば90秒もかからない。バードの書き方は、4声のミサ曲でも3声だけ歌って残りの1声はお休みという箇所がけっこうあるのが驚きだった。つまり、4声で初めて充足するという書法ではなく、3声で充足していて残り1声が遊びにまわっていたのだった。

ということだと、3声のミサ曲では遊びがないことになるが、その遊びのなさが引き締まった印象を与えている。私にこのバードのミサ曲のすばらしさを教えてくれたのはもう30年以上前になると思うが合唱団のOさんだった。「バードのミサ曲はどれもいい。特に3声のミサは絶品だ」といっていたのは本当だった。

バードの3声のミサ曲から「グローリア」を聴く2020/05/26 21:11:38

バードの3声のミサ曲から「グローリア」
バードの3声のミサ曲から「グローリア」である。こちらはミサ通常文はかなり長いから、より多くの節が交錯してすばらしさもまた格別である。私としては気になるのは、上記譜面であげた高声の53小節、(mi-se-)re-re no-(bis)の no が突っ込んで入ってきているところだ。ここにバードの遊び心を感じる。このツッコミは1小節半遅れて中声と低声に受け継がれる。

さて、すばらしいといっても私の目に浮かぶのは黴臭くかつ埃臭い、そして辛気臭い、古くからある、しかし響きがいい教会の内部である。私はそんな教会に行ったことはないのでいい加減なことを言っているが、神というものを感じさせるのには音楽は格好の手段ではないかと思う。

バードの3声のミサ曲から「クレド」を聴く2020/05/27 20:32:00

バードの3声のミサ曲から「クレド」
バードの3声のミサ曲から「クレド」である。ミサ通常文のクレドは他の通常文に比べて最も長い。昔、この曲のレコードを何度も聴いて耳について離れなかったのは、キリエの冒頭と、クレドの末尾(上記の譜例参考)だった。高声と低声で156小節アウフタクトから et vitam venturi saeculi と十度でハモリ、中声が追いかけるところだ。他にもかっこいい箇所がいくつもあるはずなのに、ここだけ何十年も忘れずに記憶していたのが不思議だ。

バードの3声のミサ曲から「サンクトゥス」を聴く2020/05/28 23:00:00

バードの3声のミサ曲から「サンクトゥス」
3声のミサ曲から「サンクトゥス」を聴く。クレドに比べると短いが、なぜかここの gloria tua の入りは久しぶりに聴いて思い出した。なぜなんだろう。低声から出てちょっとつっかかる感じで高声がかぶさる箇所の印象が強かったのだろうか。

バードの3声のミサ曲から「ベネディクトゥス」を聴く2020/05/29 23:00:00

バードの3声のミサ曲から「ベネディクトゥス」
バードの3声のミサ曲から「ベネディクトゥス」を聴く。前の「サンクトゥス」よりさらに短い。ふつう、ベネディクトゥスと一緒に続けて歌うのだろう。Osanna in excelsis が末尾に歌われるのはベネディクトゥスと同じだが、メロディーはサンクトゥスとベネディクトスでは異なる。これを当然というべきなのか、それとも意図的に違えたのかはわからない。こちらの in excelsis のメロディーのほうが、落ち着いた気分になる。

バードの3声のミサ曲から「アニュス・デイ」を聴く2020/05/30 18:43:29

バードの3声のミサ曲から「アニュス・デイ」
バードの3声のミサ曲から最後の「アニュス・デイ」を聴く。この冒頭のメロディーは、ベネディクトゥスの冒頭と同じなのだ。あえて同じメロディーにしたのだろう。そして、このアニュス・デイは、わずかに教会旋法の名残がする。上記譜面のEsがその名残である。ここが E であってもいっこうにかまわないと思うが、バードはあえて Es にした。この風味を私はなかなかだと思うが、はたしてバードはどんな気持ちだったのだろうか。案外、何も考えていないかもしれない。