バードの5声のミサ曲から「キリエ」を聴く2020/06/01 23:00:00

バードの5声のミサ曲から「キリエ」
バードの4声のミサ曲と3声のミサ曲を聴いたので、残りの5声のミサ曲を聴いてみよう。5声だから当然音に厚みが出てくる。ただ、厚みが出てくるということは軽快さが失われることにもなるから歌う側としては大変である。これから楽譜を引用するが、高声部から低声部にかけて、この楽譜では Superius、Contratenor、Tenor Primus、Tenor Secundus、Bassus となっている。13小節で Contratnor だけに8分音符が出てくる。これは、五声の厚みで押しつぶされそうになる響きの中で、流動性を持たせようとしてバードが入れたのではないかとひそかに思っている。

バードの5声のミサ曲から「グローリア」を聴く2020/06/02 23:00:00

バードの5声のミサ曲から「グローリア」
バードの5声のミサ曲から「グローリア」である。まず、少し驚くのは、「キリエ」と「グローリア」の冒頭が同じメロディーからなることだ。ただ、典礼文は異なるから自然とメロディーも異なってくる。5声がすべて出てくるのは10小節からだが、途中で休みに入る声部もある。ホモフォニックに5声がすべて出てくるのは、ゲネラルパウゼをはさんだ20小節からである。私はここで思わず襟を正す。その後も声部の出入りは少しあるがほぼ4声以上を保ったまま42小節で第1部が終わる。

第2部はほとんどが3声前後で歌われる。バードの5声のミサ曲は、5声で歌われること自体に価値があるというよりは、むしろ5声の充実した(充実しすぎた)響きと、3声の完結した(遊びの許されない)響きとの対比にこそ、価値があるのだと思う。

名前を聞き間違える2020/06/03 22:31:29

テレビを見ていたら、スポーツ関係のコーナーで「岡本綾子」の名前が聞こえてきた。私はゴルフの興味はないが、岡本綾子というプロゴルファーがいることは知っている。岡本さんがどうしたのだろうかと思っていたら、これは聞き間違いだった。アナウンサーが発したのは「坂本隼人」だった。「おかもとあやこ」と「さかもとはやと」を聞き間違えるとは耄碌も極まれり、というところだろうか。ただ、母音はほとんど同じである。

OKAMOTO AYAKO
SAKAMOTO HAYATO

やっぱり、耄碌かな。

バードの5声のミサ曲から「クレド」を聴く2020/06/04 23:23:00

バードの5声のミサ曲から「クレド」
バードの5声のミサ曲から「クレド」を聴いた。10 分前後かかるのでなかなか聞きとおすのは容易でないが、前にも書いた通り、5声の曲で全声を使うところと3声ですませるところのメリハリがこのクレドにもみられる。上記は、5声をすべて使うところで、Et resurexit のせり上がりがかっこいい。

バードの5声のミサ曲から「サンクトゥス」を聴く2020/06/05 23:00:00

バードの5声のミサ曲から「サンクトゥス」
バードの5声のミサ曲から「サンクトゥス」を聴いた。この5声のミサ曲は「キリエ」、「グローリア」、「クレド」とすべて冒頭が(ヘ長調で)A-B-A-G-A の旋律だったが、「サンクトゥス」で初めてこの旋律から離れている。さて、楽譜に記されている、4度の跳躍のカギカッコのような印は何だろう? 私にはよくわからない。他の声部でもこの印は登場するが、3度の跳躍に付されている場合もある。

バードの5声のミサ曲から「アニュス・デイ」を聴く2020/06/06 23:00:00

バードの5声のミサ曲から「アニュス・デイ」を聴く
バードの5声のミサ曲から「アニュス・デイ」を聴いた。このバードの5声のミサ曲ではポリフォニーからホモフォニーへの傾斜が見られる、という意味のことをどこかで読んだ覚えがあるが、私はポリフォニーが大好きだからか、まだポリフォニーの要素が強いと感じる。もっとも、私の合唱経験は貧弱で、ホモフォニーのミサ曲を歌った経験は、シューベルトのト長調のものとシューマンのもの(ただしクレド抜き)しかないので、実体験にも欠けるし、また理論分析も全くない、ただの憶測にすぎない。

それはそうと、バードのミサ曲をかなり集中して書いてきたが、まだバードのことは聞き足りない。特にミサ曲以外のアンセムなどは聞いたことがない。したがって、まだ書くべきことも多いと思う。しかし、まあここでいったんおしまいのするのもいいかと思う。

「アニュス・デイ」の結尾を載せる。「ドナ・ノービス・パーチェム」(われらに平和を与えたまえ)。

フォーレの「ピアノとオーケストラのための幻想曲」を調べる(0)2020/06/07 23:00:00

フォーレには「ピアノとオーケストラのための幻想曲ト長調 Op.111」という協奏曲的作品があるが、広く知られているとはいいがたい。去年、この作品の2台ピアノ版を聴きに行ったときの感想をブログで述べたが、改めてじっくりと調べてみたい。
この作品は、第一次世界大戦と合わせて語られることが多い。第一次世界大戦が始まったのは 1914 年で、同年にフランスは参戦している。終結したのは 1918 年のことである。フォーレの作品に戻すと、1914 年から 1919 年の作品には、この危機的な時代を表す兆候が表れているという識者の指摘がある。とくにこの兆候が顕著なのが、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番ホ短調 Op.108(特に第1楽章)、チェロとピアノのためのソナタ第1番ニ短調 Op.109(特に第1楽章)、そしてこの幻想曲(特に中間部)である。これらの3曲は、一般的な音楽愛好家のイメージである、サロンの音楽家フォーレという思い込みを打ち破る傑作である。

この曲はト長調という、あまりフォーレが採用しない調性を用いている。この調性が確たる意味を持つとは思えないが、おそらく管弦楽の負担が少なくなるように考えて調号にシャープやフラットがそれほど出てこない調性を選んだのだろう、という推測はなりたつ。過去にフォーレは同じ編成である「ピアノとオーケストラのためのバラード嬰へ長調 Op.19」を作った。この作品の原形はピアノ独奏曲であり、それであれば嬰へ長調というピアニストの指にやさしい曲をそのままオーケストラ伴奏にも生かしたのだろう。このバラードでは、終始オーケストラは陰に回っている。戻って幻想曲では、オーケストラはピアノと対等である。

次からは実際に楽譜を見ながら解説したい。

フォーレの「ピアノとオーケストラのための幻想曲」を調べる(1)2020/06/08 23:00:00

さて、フォーレの「ピアノとオーケストラのための幻想曲ト長調 Op.111」の冒頭は、ピアノソロで始まる。ピアノの譜面を見るとわかるとおり、主題 A のメロディーは A(イ) の音符から始まる。これは、メロディーは移動ド唱法によるレから始まるということだ。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第1小節
以下、本項では特記なき限り、ドレミファソラシは移動ドを表す。
これは非常に不思議である。普通、長調の曲ならばメロディーをドかミかソから始めるからである。しかし、フォーレは確固たる意思のもとにレを選んだ。昔、岩城宏之だったかが、「長調の曲ならばメロディーをドかミかソから始める」という記述に対してそんなバカな話はないと怒ったという記事を読んだ。岩城によれば、ロンドンデリーエアーはシから始まる、レノン=マッカートニーのイェスタディはレから始まる、ほかにもいろいろな例を出していたと思う。ちなみに、ファから始まる有名な曲は思い出せなかったが、調べてみたらトア・エ・モアの「空よ」がある。フォーレに戻すと、フォーレの旋律としては異例ながら、レから斜めに切り込んだメロディーはさわやかである。レの音の次はドでこれは普通だが、次はラである。ラを選んだのもひねくれているが、次にソに行く。そしてミレを経由してドに落ち着く。しかし、このメロディー全体はドにとどまるところが少なく、全体として比重ががソにかかっている。この不安定なメロディーがこの後の動きを見るのにちょっとした役に立つかもしれない。そのほか、メロディーに表れる Cis に着目した旋法的な浮遊感や、左手の裏拍だけによる不安定感と 10 度をふんだんに使った和音でささえる安定感の奇妙な混交が、この曲の行先を暗示させる。なお、譜面の二分音符 = 86 は誤りで、正しくは四分音符 = 86 である。フォーレの初稿の譜面が IMSLP に出ているのでそれを見たら、なんとそちらも二分音符 = 86 だった。

これだけ書いて長くなったが、不思議ついでにもう一つ付け加えると、冒頭に強弱記号がなく、その代わりに con suono と書かれている。英語で言うと、with sound ということだろうか。そのまま訳すと「音を出して」となるが、音を出すのは当たり前である。この場合は、遠くに飛ばして、と解釈するのがよいように思う。強弱の度合いはそこから自然に決まるだろう。

さて、5小節からは管弦楽に伴奏が移る。ただし、この移行において、メロディーも和声も、すべて全音下(長二度下)に水平移動している。この関係は冒頭のメロディーのラ⇒ソの全音下降のリフレインとみるのはうがちすぎか。それはともかく、メロディーはクラリネット2本が、そして伴奏はハープが担う。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第5小節
クラリネットの en dehors は、浮き立たせて、という意味だ。ピアノ冒頭の con suono と根っこは一緒なのかもしれない。なお、フォーレの初稿ではこのメロディーはホルンにも書かれていたが(あるいはホルンだけを想定していたのか)、ていねいに消されている。管楽器の特性を考慮すると、この場合はすっきりした語り口のクラリネットが、芳醇な音色のホルンより似合う。何か日本酒の批評のようになってしまいましたね。

1小節がA-G、5小節がG-Fと来た、それならば9小節はF-Es と来て、どんどん螺旋状に下降するのではないかと不安に思う。この予想は半ば当たっていて、9小節はピアノに旋律がもどってきて予想 F-Es を奏するのだが、次の進行を少しいじっていて、10小節以降は2小節以降と同じになる。ちょっとしたマジックだが、そこはフォーレの小手調べというところだろう。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第13小節
最初の主題の提示がおわる前、13小節から14小節にかけて、オーボエとフルートが、あくびをするようなオクターブ跳躍+短2度のフレーズを奏する。ここでは単なる接続のように聞こえるが、のちにB主題にも表れる前触れである。驚嘆すべきは、13小節のオーボエの Cis とセカンドヴァイオリンの C が、そして14小節のフルートの F とファーストヴァイオリンの E が、短2度で衝突しているにも関わらず、ごく自然な響きとして聞こえてくることだ。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第15小節
第15小節からはアルペジオを伴ったピアノのソロが披露される。このメロディーは、冒頭ピアノの2小節から3小節にかけて、AG DG D DCisB|AGから、GDCisBA の旋律を移動させたことがわかる。このメロディーはそれほど展開されないが忘れたころに出てくるので、これを A' としてもいいだろう。 

フォーレの「ピアノとオーケストラのための幻想曲」を調べる(2)2020/06/09 23:00:00

今回は練習記号1、19小節から調べる。ここから練習記号2までは冒頭4小節のテーマの軽い展開である。まず目を引くのは、付点音符のピアノと管楽器の掛け合いだ。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第23小節
この掛け合いは、ちょっと管楽器には分が悪い。いくつかの演奏を聴いていると、ピアノの16分音符に管楽器の付点がずれてしまっているようだ。ここは仕方ないだろう。
次に目を引くのは、ピアノのメロディーが、2オクターブや3オクターブとして補強されていることである。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第26小節
この補強はピアノとオーケストラのための協奏曲ということからなされたのだろう。ただ、これによって細かなニュアンスが失われているところもある。上記は26小節から28小節の譜面だが、フォーレの初稿による27小節から28小節の下記譜面と比べてみよう。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第27小節
オクターブの補強がないかわり、付点の音を消えないようにはっきり伸ばそうとする意図が感じられる。

フォーレの「ピアノとオーケストラのための幻想曲」を調べる(3) ―2020/06/10 23:00:00

今回は練習記号2、29小節から調べる。ここから第1ヴァイオリン(譜例のVn1)に主題Bが登場する。
フォーレ「ピアノとオーケストラのための幻想曲」第29小節
この前半2小節はオクターブ上昇があり、さらに最初の小節には長2度の上昇・下降を伴う旋律がある。この、オクターブ上昇と2度の組み合わせは、ネクトゥーをはじめとするフォーレ研究家によって、悲壮感や崇高さが表されていると指摘されている。後半2小節は、ネクトゥーによれば全音音階の一部をなしていると指摘しているが、全音音階というよりはむしろ、独自の音階を用いて和声の精妙さを表している例とわたしはみなしたい。そして細かいことだが、ヴィオラだけが後半2小節、小節またがりのスラーが指定されていて、弦全体の滑らかさを保つような工夫がなされていることに注目したい。もっと細かいことをいえば、32小節の第3拍チェロバスの B と第4拍第1ヴァイオリンの H で禁則とされる対斜が起きていると指摘する向きがあるかもしれないが、フォーレならば何でも許されるのだ。さて、ピアノは何をしているのかというと、ひたすら六連符で管弦楽のメロディーの周りを縫うように装飾している。この装飾も純粋な繰り返しの箇所もあればわずかに手を変えている箇所もあり、息が抜けない。
なお、言い忘れたが、コントラバスを除く弦セクションはこの練習記号2から練習記号7の手前まで、弱音器(ミュート)をつけるよう、指示がある。