ハイドンの弦楽四重奏曲「五度」を聴く ― 2022/05/01 19:57:29
弦楽四重奏曲はどんな曲もいいと思う。今度もハイドンの弦楽四重奏曲で、Op.76-2 の「五度」だ。最初の第1バイオリンが五度下降するメロディーを弾くからこの名前がついている。なんと安直な命名だろうか。音楽はすばらしいのに。
第2楽章は落ち着いている。しかし、いまだに覚えられない。覚える必要はないことはわかっているが、悔しい。
第3楽章のメヌエットは、ずいぶんと無骨な始まりだ。
第4楽章はモーツァルトのように軽やかだ。
ハイドンの弦楽四重奏曲「日の出」を聴く ― 2022/04/30 18:23:23
ハイドンの弦楽四重奏曲 Op.76-4「日の出」を聴いた。この名のいわれは、第1ヴァイオリンの上昇音形が日の出のようだから、ということらしい。そういわれればそうだが、それだったらほかの上昇音形の曲もすべて「日の出」になったはずだ。ハイドンの曲は、名前をつけずにはいられない人懐こさがあるのだろうか。
第2楽章はアダージョだ。2小節めですでにフェルマータが出てきている。そんなに疲れているのか?ハイドン!
冒頭のEs-D-Es を聴くと、 私はモーツァルトのピアノソナタ K. 533 の第2楽章を思い浮かべる。似ているのはそこだけだ。
第3楽章はメヌエット。普通のメヌエットだが、「シ」から始まるのは少しだけハイドンらしいかな。
第4楽章は、下の楽譜の f があるところ(正しくは fz)、の装飾音がバナナで滑ってしまった人のようで、おかしい。
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第4楽章を聴いた。 ― 2022/04/22 23:59:59
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第4楽章を聴いた。この楽章は短調が支配している。ベートーヴェン調の冒頭と合わせて、ちょっと異例だろう。
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第3楽章を聴く ― 2022/04/21 23:59:59
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第3楽章を聴いた。
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章を聴く ― 2022/04/20 23:59:59
ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章を聴いた。改めて聴くと、変奏曲としては単純だ。どの変奏でも、どこかの楽器が主題とほとんど変わらない旋律を弾いている。
バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタを聴く ― 2022/03/02 20:20:05
バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043を聴く ― 2022/03/01 19:14:19
取りためていたビデオで、バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043 を聴いた。クラシックの人たちで単に「ドッペル」といえば、おそらくブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲を思い出すだろう。しかし、私は弦楽合奏を愛する人間であるから、ブラームスよりこちらのバッハの協奏曲がまず思い浮かぶ。このドッペルは、まったくもって、間然する所がない、真の名曲であると思う。私がこのように言っても何の役にも立たないが、ともかく言っておく。私が所属していた八重洲室内アンサンブルでも、この曲を演奏したことがある。
さて、八重洲室内アンサンブルではない、別の団体にいたときの話だ。この団体の弦楽仲間で、いくつか曲を披露する場が出たので、誰かがこの曲を候補に持ってきた。第1楽章だけ弾いてみたのだが、独奏者の一人が弾き終えて「長い」とため息をついた。もちろん、独奏者も、他の仲間も、私を除いてはレベルが高い人たちだから技術上の問題はない。そして、この第1楽章も 5 分前後だからさほど長くはない。ただ、体感として長く感じたのだろう。そう思う理由は、この曲の密度が高いからだったに違いない。私は、「この曲を本番で弾きたいが、皆の意見に従う。ただ、この曲は音楽の基礎体力を鍛える意味で必要だから、練習メニューに載せておくべきだ」という意見を述べた。結局、本番ではこの曲ではない、別の曲を含むセットになった。採用しなかった理由は、聴衆になじみがないことが一番だった。その後、私はこの団体を去ることになった。この曲を練習したことなど、もう皆忘れてしまったに違いない。
この曲に戻る。私がこの協奏曲で一番好きなのは、第3楽章の72小節からだ。伴奏が冒頭のダグテュロス風のリズムを刻むなか、独奏ヴァイオリンの一つが細かな16音符を、もう一つが息長く歌う音符をからめて進む。ここは何度聴いてもいい。
バッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタを聴く ― 2022/02/08 23:59:59
ボロディンのノットゥルノを思い出す ― 2021/12/24 23:59:59
きのう、ボロディンのことを書いたので、ついでに思い出したのがボロディンの「ノットゥルノ」である。これもまた人好きのするメロディーなので、ボロディンには人の心を(少なくとも私の心を)見透かす何かがあったのではないかと疑っている。
バッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番ト長調を聴く(3) ― 2021/12/21 21:18:00
バッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番ト長調を聴くの3回目である。今回は第3楽章の楽譜の冒頭2小節を載せた。メロディーらしいメロディーはなく、和声の綾で聴かせる音楽だ。
それにしてもどうして、バッハは無伴奏のためにはチェロを、そしてチェンバロ伴奏のためにはヴィオラ・ダ・ガンバを、どういう理由で選んだのだろうか。バッハは、合奏用にはヴィオラ・ダ・ガンバではなくチェロを指定しているはずだ(例外はブランデンブルク協奏曲第6番で、これはヴィオラ・ダ・ガンバに2声部が、チェロには1声部が、それぞれ割り当てられている)。
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