パッヘルベルのカノンを聞く ― 2022/08/02 23:59:59
パッヘルベルのカノンという曲がある(カッヘルベルのパノンではない)。この曲は有名で、某社の給湯器ではお風呂が沸いた合図としてこの音楽が使われている。
昔、あるトイレの洗剤にキンモクセイの香りがつけたら、この洗剤を使っている家の子供が、キンモクセイが咲く季節になって外に出てみて「トイレのにおいがする!」と言った話がある(本当かどうかは知らない)。このお風呂が沸いた音楽を聴き続けた子供は、この曲を聞くたびに風呂に入りたくなるのだろうか。もし風呂が嫌いな子供だったら、この曲まで嫌いになるのだろうか。
R.シュトラウスの「セレナーデ」を聴く ― 2022/07/23 23:59:59
リヒャルト・シュトラウスの「セレナーデ」を聴いた。私にとってR. シュトラウスは縁遠い作曲家だ。なぜかはよくわからないが、独特の転調についていけないからだ。転調そのものにアレルギーがあるわけではない。その証拠にフォーレは大好きだ。だから、R. シュトラウスの音楽になじめない理由がよくわからない。これは若書きの作品だというが、わたしはそうは思わなかった。というのは、途中で独特の転調が表れて、これがR. シュトラウスなのか、と思ったからだった。18歳でこのような音楽を書くのだから、やはり若いころから独特の転調を操っていたことに驚く。
ドヴォルザークの管楽セレナードを聴く ― 2022/07/23 23:59:59
シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(完結) ― 2022/05/17 21:15:16
シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第4楽章を聴いた。わたしが前に思い出した、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲「セリオーソ」の終楽章とは、付点のリズム以外は似ても似つかない。シューマンのほうはしつこしいし、粘着質だし、高音域がほとんど使われていないので晴れがましいところがなく、鬱屈した印象を受ける。
シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(さらに続く) ― 2022/05/16 19:45:13
シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第3楽章を聴いた。緩徐楽章である。多分シューマンが好きな人は、このくねくね感がたまらないだろう。
シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(つづき) ― 2022/05/15 13:45:44
シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第2楽章を聴いた。これもまた、煮え切らない音楽だ。「詩人の恋」の「美しき五月に」も、このような煮え切らない音形だったことを思い出す。
シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く ― 2022/05/14 19:31:54
シューマンの弦楽四重奏曲第3番イ長調Op.41-3を聴いた。シューマンの室内楽は、ピアノの弦のための四重奏曲のほか、ピアノの弦のための五重奏曲、ヴァイオリンソナタ第1番しか知らない。弦楽四重奏曲を3曲書いていたことすらつい最近まで知らなかった。
第1楽章はゆっくりとした序奏で始まる。この煮え切らない、もんもんとした旋律と暗さはさすがシューマンのものだ。(続く)
ベートーヴェンの「セリオーソ」を思い出す ― 2022/05/13 23:59:59
シューマンの弦楽四重奏曲のフィナーレを聴いていて、こんなに付点音符をしつこいぐらい使う作曲家は、シューマンしかいないだろうな」と思っていた。すると突然、やはり付点音符をしつこく使う弦楽四重奏曲を思い出した。あれ、これもシューマンのものだったろうか?おれはシューマンの弦楽四重奏曲なんて今まで聴いたことがないはずなのになぜ覚えているのだろう、と不思議に思った。さらに思い出すこと数日、思い出した節は、シューマンのではなくてベートーヴェンの弦楽四重奏曲「セリオーソ」Op.95だった。シューマンとベートーヴェンを間違えるとは、私もおかしいですね。 次が思い出した一節である。
ベートーヴェンの「セリオーソ」を思い出す ― 2022/05/13 23:59:59
シューマンの弦楽四重奏曲のフィナーレを聴いていて、こんなに付点音符をしつこいぐらい使う作曲家は、シューマンしかいないだろうな」と思っていた。すると突然、やはり付点音符をしつこく使う弦楽四重奏曲を思い出した。あれ、これもシューマンのものだったろうか?おれはシューマンの弦楽四重奏曲なんて今まで聴いたことがないはずなのになぜ覚えているのだろう、と不思議に思った。さらに思い出すこと数日、思い出した節は、シューマンのではなくてベートーヴェンの弦楽四重奏曲「セリオーソ」Op.95だった。シューマンとベートーヴェンを間違えるとは、私もおかしいですね。 次が思い出した一節である。
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