成長を考える2022/05/05 09:36:17

音楽と少しだけ関係していることを考えた。成長についてである。 最近、といっても数年前のことになる。あるとき、ある場面で、ある人から言われたことがあって、「人はいくつになっても成長する」のだそうだ。もっともその人がそう思ったのは、その人の身近にいた、某銀行の某頭取の言動を見た結果だそうだ。「おまえには言われたくはねえよ」と心の中で悪態をつきながら、そういうこともあるのかと「人はいくつになっても成長する」ということばはいまだに覚えている。 それで、音楽とどう関係しているのかということになるが、それはもう少し置いておこう。 さて、私は音楽を趣味としている。将棋に「指す将」と「観る将」がいるように、音楽にも弾く楽しみと聴く楽しみの両方がある。弾く楽しみは聴く楽しみとは別種ではないかと思う。というのは、弾いて私が出す音は、観賞用としては聴くに堪えないものだからだ。では弾いて何が楽しいかというと、自分が考えたり操作したりした結果として音が出てくる、その過程が楽しいということだ。 もう私は年を取ったが、易しい曲ならば新曲であっても練習をすればある程度弾けるようになる。これは不思議なことだ。もっとも、ある程度弾けるという基準は私の場合甘くしている。テンポはだいたい一定で、ミスはよくて一段に一つ、悪ければ一小節に一つ程度としている。これをもって弾けるなどとは甘い、と文句をつける方もいるだろうが、それは私個人の基準だからそういうものだと思ってほしい。 そして、ある程度というのはそこまでであって、それ以上は改善しない。それが素人の悲しい定めであるが、他人様に聞かせるものではないと割り切っている。あ、最近は YouTube にアップロードしているからそうでもないか。いやらしいなあ。 今より年を取れば、練習をしても弾けない曲はさらに増えるだろう。そうなることは悲しいが、今まで弾けない曲が弾けてきたことをもってよしとしなければならない。 こう書いてきて、弾けなかった曲を弾けるようになることが成長なのかというと、それは違う気がしてきた。どう違うのかは、追って書こうと思う。