絹という字を忘れる2026/05/16 23:59:59

最近は物忘れが激しい。豆腐を買いにスーパーに出かける途中で「モメン」と「キヌ」を思い浮かべていると、「モメン」の漢字は木綿だと思い出せたのに「キヌ」が出てこない。

困ってしまったので、連想が働けば出てくるかもしれないと考え、太田裕美の「モメンのハンカチーフ」と夏木マリの「キヌのクツシタ」という、2つの曲を交互に思い出しながら買い物を済ませた。帰り道になってやっと「キヌ」が絹だという字だとわかった。連想のおかげかどうかはわからないが、時間がかかっても出てきてあんしんした。ということは、まだ大丈夫だろう。

大学名における新字体と旧字体を考える2026/05/07 17:38:04

ある SNS で、正式名称が旧字体である大学についての記事があった。その大学名自体は伏せられていたので、どの大学のことだろうと気になった。私が知っている、大学名が旧字体の大学はこれぐらいだ(アイウエオ順)。

  • 慶應義塾大学
  • 東京藝術大学
  • 獨協大学
  • 白鷗大学

ほかにも探してみた。

  • 皇學館大学
  • 國學院大學
  • 駒澤大学
  • 志學館大学
  • 獨協医科大学
  • 日本文化大學
  • 姫路獨協大学
  • 麗澤大学

もっとも、何をもって大学が「正式」と判断しているかはわからない。たとえば上記で挙げた中で、東京藝術大学のホームページを見てみよう。文面やロゴのほとんどが旧字体を使っているのだけれど、文部科学省への届け出に使っているのは新字体を使っている例がある。

また、上記にあげた白鷗大学の「鷗」の字についてみていこう。旧字体「鷗」は人名用漢字として認められているにも関わらず、新字体「鴎」は人名用漢字として認められていない(もちろん常用漢字外)という例もある。

スワヒリ語の本を読む2026/04/24 23:28:18

スワヒリ語の本を借りて読んでいる。といっても、スワヒリ語で書かれた本を読んでいるわけではない。スワヒリ語の入門書を読んでいるだけだ。なぜ読んでいるかと聞かれても、理由はない。図書館に行ってスワヒリ語の本があったから借りてきただけだ。

最近、目的があって本を読む、というのがつらくなった。それだけではない。目的があって楽器の練習をするとか、目的があって勉強をするとか、目的があって体力を鍛える、とか、そういうことができなくなった。つまり「目的」ということばが嫌になった。どうしてかは自分でもわからない。

だから今は、「やりたいときに、やりたいことを、やりたいだけやる」だけの生活になっている。

「漢字を開く」という言い方があることを知る2026/04/15 22:50:06

ある方のブログを読んでいて、「漢字を開く」という言い方があることを初めて知った。「漢字を開く」というのは、漢字を使ってもひらがなを使っても表記として正しい場合に、漢字を使わずにひらがなを使うことをいう。具体的に開くべき漢字は人によってさまざまだ。逆に、ひらがなの表記を漢字に書き直すことを「閉じる」という。

たとえば、上記の段落でいえば、「或る方」という表記があれば「ある方」にすることが「漢字を開く」ことに相当する。「平仮名」という表記があれば、「ひらがな」という表記にするのも漢字を開くことに相当する。「様々だ」も「さまざまだ」としてしまえば漢字を開いたことになる。

私のブログは比較的開いていると思う。特に、SくんとKくんとか、イニシャルで特定の人物を指すときは、「君」ではなく「くん」として開く。この方が優しい印象を与えるからだ。

はるか昔、しんぶん赤旗の日曜版を読んだことがある。この日曜版を見て驚いたのは、ほとんどの表記が「開い」ていたことだ。おそらく漢字を使っているのは名詞だけで、動詞でさえ(スル動詞を除いて)開いてような気がする。つまり、「ひらく」、「とじる」という表記だった。たぶん、記憶違いに違いないのだが、その開き方が半端ではなかったという印象が強く残っている。

自分がブログを書くときは漢字の開き閉じには結構迷う。「子供」か「子ども」か、「友達」か「友だち」か、などだ。私は、今の考えでは「子供」、「友達」を使うと思うが、ひょっとしたら時により「子ども」や「友だち」を使っているような気がする。あるいは、「友達」か「友だち」か迷うのがいやで「友人」という別の単語に置き換えることが多い。

ただ、漢字を開くか、閉じるか以前に、一つの記事で表記に揺れがあるのが最もまずいことだ。まずはそこから気を付けていこう。

ねずみ色という表現を考える2026/04/09 22:27:24

最近ある人から聞いた話を少し改変して紹介する。私に語ったその人が老人福祉施設へ行ったところ、高齢の婦人が色鉛筆を使って塗り絵をしていて、傍らに施設の若い職員がついていた。すると婦人が色鉛筆の束をしばし見て、「ねずみ色の色鉛筆はどこ?」と職員に尋ねた。すると職員は「ねずみ色?」とあっけに取られた様子になり、しばらく言葉を発しなかった。この二人のやりとりを見るに見かねたその人は、つい大声で職員に向って「グレー」と叫んでしまった。職員はやっと色がわかってねずみ色の色鉛筆を探して婦人に渡したという。

今の若い人には「ねずみ色」ということばが通用しないのだろうか。「灰色」ということばなら通用したのだろうか。いろいろ考えさせられた。そういえば、世界中で一番有名なミッキーマウスは何色だったろう、と思い出そうとしたがどうしても思い出せなかった。インターネットで見てみると、服を脱いでいるとき、上は黒色だった。

関連した話を思い出した(細部はあやふやで史実とは異なっている可能性が大である)。第二次世界大戦でフィリピンを占領した日本軍であったが、フィリピンの戦いで日本軍は敗れた。しかし、日本降伏後も現地の島に残った日本軍の兵士がいた。その日本兵が現地の島に住んでいることがのちにわかったことから、(おそらくは日本国政府が)その日本兵に対して投降を呼びかけることにした。おそらくは日本兵が隠れていると思われるジャングルに向って、次のように拡声器で呼びかけという。「ただいまからオレンジ色のもの(車?衣服を着た人?)を見かけたら、安心して投降してきてください。」これを聞いて、その日本兵は投降しないと決めたという。なぜなら、オレンジという、敵国語を使う相手は信用ならず、きっと傀儡政権に違いないと信じ込んだからだ、というものだ。

そう、このとき「みかん色」とか「だいだい色」といえばよかったのだが、このように呼びかけたときにはすでに、オレンジ色という呼び名が多数だったのかもしれない。

リスキリングという言葉におびえる2026/02/28 10:44:07

最近、「リスキリング」ということばをよく耳にする。reskilling のことだろう。私はこのことばを聞くとおびえる。なぜかというと、リスキリングが re-skilling に聞こえず、res-killing に聞こえるからだ。つまり、キリングが killing 、すなわち殺し、殺人に聞こえてしまうので、おびえるというわけだ。日本の人たちが、リスキリングということばを平気で使うのが私には信じられない。

単語を切るところを違えてしまう「なぎなた読み」は普通はかわいかったりおかしかったりするものだ。たとえば、今でも「スポンサードリンク」という文字が「スポンサー・ドリンク」に見える。ただ、殺しや殺人が入ってしまうのは怖い。

「食べ食べしゃぶ放題」を思い出す2026/02/16 22:47:00

少し前に一人で火鍋を食うという記事を書いた。このときの火鍋は、豚のロースと鶏肉が食べ放題だったのだが、どちらも肉が薄く、まるでしゃぶしゃぶ用の肉に見えた。そうか、「しゃぶしゃぶ食べ放題」ということか、と合点した。その途端、突然「食べ食べしゃぶ放題」を思い出した。三宅裕司夫人の作とされる、スプーナリズムの傑作である。三宅夫人には他にも「マソリン、ガンタンで!」(ガソリン、満タンで!)という、やはりスプーナリズムの姉妹作もある。私は本当に、これらの傑作を夫人が発したのかどうか、にわかには信じがたいが、他にもスプーナリズム以外の傑作の語録があるようだ。まあ、面白ければそれでいいということだと思う。

ダイヤルがある場所を調べる2026/02/14 10:45:31

ダイヤルの例(ダイヤル錠)

少し前の私のブログで、怪しい電話がかかってくる という記事を書いた。そういえば、ダイヤルが出てくる歌に関しての記事も書いたことがあった。フィンガー5の「恋のダイヤル6700」を思い出す とか、恋に落ちて -Fall in Love- を聴く などという記事だ。そこで、身近にいる人に「今時、ダイヤルが使われている機械や装置ってあるのかなあ」と尋ねてみたら、「ああ、ダイヤル錠がある」と教えてくれた。そこで某所のダイヤル錠(ダイアル錠)を写したので掲げておいた。

それにしても「ダイヤル」と「ダイアル」のどちらを使うべきなのだろうか。「ピアノ」と「ピヤノ」のどちらかを選べと言われれば「ピアノ」なのだが、「ギリシア」か、「ギリシヤ」か、「ギリシャ」かなど、困る例はいくらでもある。まあここは正書法などないということにしておこう。

怪しい電話がかかってくる2026/02/10 21:25:55

最近、怪しい電話がかかってくることが多くなった。この場合、怪しい電話というのは単に迷惑電話というだけではなくて、詐欺を目的とする電話ではないかという意味での怪しい電話である。結局怪しいと判断してすぐに電話を切った。さて、なぜ怪しいと判断したかというと、こういうことだ。

第1の点は、自動音声でかかってくるということだ。もちろん、詐欺を目的とする電話は人間のオペレータがかけてくる電話もあるが、自動音声でかかってくるということは、世論調査などをのぞけばめったにないことだ。

第2の点は、抑揚が日本の共通語、つまりテレビやラジオなどのアナウンサーが話している抑揚から少しかけ離れているということだ。いや、関西弁や東北弁があってもいいのだけれど、そういった地域語なら地域語なりの整合性があるはずだ。それが感じられない。少なくとも、NHK のテレビでときどき AI による音声合成でニュースが読み上げられるが、その域には達していない。

第3の点は、これがおもしろかったのだが、日本語が変なのだ。私の家にかかってきた怪しい電話は最近2件あり、自動音声による限り別々の業者だった(一件は実在する宅配便業者で、もう一件は実在は不明だがアンケート集計業者を名乗っていた)、お願いのことばが共通して「ダイヤルを押してください」だったのだ。どうしてこのような文章が得られたのだろうか、興味がある。

「先達はあらまほしきことなり」を調べる2025/11/30 06:58:18

何がきっかけか忘れてしまったが、とつぜん「先達はあらまほしきことなり」ということばが浮かんだ。確か徒然草の一節だったはずだと思い、どの段に載っているかを調べたが見つからない。もう少し調べると第52段、仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ…で始まる段だとわかった。意味はなるほど、ということだったがここでは記さない。

「先達」は「せんだち」と読み(「せんだつ」とも読む)指導者。案内人という意味が辞書に載っている。「石清水」とは「いわしみず」と読み、京都府八幡市にある石清水八幡宮のことを指す。徒然草第52段の解説で「岩清水」と誤って書かれている WEB サイトもある。俺もよく誤りをするから笑えない。しかし、「岩清水」の表記だと、つい私は漫画「愛と誠」で出てきた、「早乙女愛よ、岩清水弘は君のためなら死ねる!」という一文を思い出してしまう。