白水社のニューエクスプレスプラスの本を見て考える ― 2022/06/14 22:55:21
世の中では円滑なコミュニケーションが重要だといっているが、コミュニケーションというのは伝達すべき何かがあるから重要なのだと思う。しかし、私には伝達すべきものがないし、受容したいものもない。おまけに、私は読み書き会話に疎い。何を言っているのかと思うかもしれないが、日本語だけでなく、英語もエスペラントも疎い。
しかし、言語の本を読むのは好きで、語学書はいくつかある。そんな語学書に、白水社のニューエクスプレスプラスという一連の書籍がある。もとはエクスプレス〇〇語であり、それがニューエクスプレス〇〇語になり、さらにニューエクスプレスプラス〇〇語になったという。これらの変遷は何が違うのかわからないが、たぶんニューがエクスプレスについた時点で、CD が付くようになったのだと思う。ニューのつかないエクスプレス〇〇語は、エスペラント語とフランス語、そしてイタリア語を持っていた。エスペラント語(厳密にはこれは牛の牛肉だが、他のエクスプレスの本と同じように「語」の字をつけたようだ)は、なぜかエスペラントに興味を抱いた 1990 年ごろに買ったような気がする。またフランス語とイタリア語は結婚する少し前に買ったような気がする。というのも、新婚旅行をイタリアとフランスに行くことにしたので、少しは言語を学んでおかないといけないような気がしたからだ。なお、上海語を買う予定もあったが、これは買わなかった。なぜ中国語ではなく上海語かといぶかる向きがあるかもしれないが、それは言うほどのことではない。
ニューエクスプレスプラスになって、改めてエスペラント語を買い、それから中国語とロシア語、タミル語を買った。タミル語は知らない人が多いだろうが、インドの公用語の一つであり、私が足しげく通っていたインド料理の店がタミル語だったので興味を持ったのだ。あと、公立図書館ではけっこうニューエクスプレスプラスの書籍がそろっているのでありがたい。あれば借りている。
さて、不思議に思うことがある。ニューエクスプレスプラスの本は数多くあり、結構珍しいことばもあるが、なぜこの言語がないのかと思うこともある。たとえば、バルト三国の言語のうち、ラトヴィア語とリトアニア語はあるが、なぜかエストニア語はない。もっとも、ラトヴィア語とリトアニア語はどちらもバルト語族であるが、エストニア語はウラル語族(フィンランド語やハンガリー語など)であるので違うといえば違うが、それが理由ではあるまい。それから、ウクライナ語はあるが、ベラルーシ語はない。さらに、現代ギリシア語はあるが、古典ギリシア語はない(なお、ラテン語はある)。ニューがつかないエクスプレスシリーズでは古典ギリシア語はあったようだ。ほかにも最初のエクスプレスではあったのにニューがついてからは出なくなった語があるようだ。
今のところニューエクスプレスプラスの発行は一段落したのだろうか。
音楽的な言語を考える ― 2022/06/07 23:59:59
大学生になってすぐ、背伸びをしたかったのか、NHK ラジオの英語以外の語学番組を聞いてみることにした。当時あったのは、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語である。テキストだけはどれも6か月買ったが、どれも1か月聞きとおせなかった。そのなかえ、聞いて最も心地よかったのがロシア語だった。「ウローク・ノーメル・ドゥヴィナーツァチ」というような声が聞こえてきて、それだけでロシアの大地を想像するのだった。その後買った本で、「ロシア語は聞いていて心地いい言語です」とあったので、私が当時感じていたことは間違いなかったのだと安心した。もっとも、この買った本はロシア語の先生が書いたロシア語の本だから、当然ロシア語はひいきにしているだろう。
さて、最近図書館でウクライナ語の本「ニューエクスプレス ウクライナ語」を借りた。実は、私が買ったロシア語の本の著者である。この本を見ると p.009 に「ウクライナ語は(中略)楽音調に見られるように音楽性豊かなことが特徴です。」とある。この本には CD がついているがまだ聞いていない。聞いてみよう。
「人間ドッグ」を発見する ― 2022/03/22 20:05:22
某所から来たメールマガジンを見ていたら、
〇〇病院 人間ドッグ優待制度のご案内
という件名が目に入った。「人間ドッグ」か、よくあるまちがいだと思い、そのあとの本文を見ると、
〇〇病院◇◇センターが実施する人間ドックの優待制度
と、こちらは正しく「人間ドック」となっていた。こんなまちがいを見つけるぐらいしか楽しみがない人間になってしまったかと思うと情けなくなったが、少なくともクとグの違いはわかる程度の視力は維持できていると思い、生きる気力をつなげることにした。
私は英語ができないから、人間ドックに相当する英語はわからない。それはともかく、「人間ドッグ」から連想するのはなぜか「ウナギイヌ」である。かつての職場の同僚が、「俺はウナギイヌと呼ばれたことがある」と当人が言ったことがあり、どうもこの同僚がウナギイヌに見えてしかたなかったことがある。
ベンゼンとベンジンは違うことを知る ― 2022/03/03 19:59:22
広島弁で「うずろうしい」の意味を知る ― 2022/02/27 19:56:52
早口言葉を考える ― 2022/02/26 20:35:03
身近にいる人から「早口言葉何か言える?」と言われた。私はよっぽど
She sells seashells at the seashore.
とか
Peter Piper picked a peck of pickled pepper.
と言おうと思ったが大人げないので、実際にニュースに出てきた言葉で早口で言いにくいのがあると答えた。例えば、
貨客船万景峰号(かきゃくせんまんぎょんぼんごう)
とか
駒大苫小牧(こまだいとまこまい)
という例を紹介した。このほかにも、アナウンサーが言い間違いしやすいニュースがあったと思うが、どうだろうか。
聞き間違いを記録する ― 2021/05/31 22:23:30
同音異義語を考えるという記事で、いくつか同音異義語を出してみた。それと少し関係がある。
私の身近にいる人がこんなことを言っていた。<テレビで最近のニュースを聞いていたら「ショートケーキ」という単語が聞こえて何かと思ったら、「消毒液」のことだった。>
傑作だ、と思い、インターネットで調べたら、先例があったので少しがっかりした。殺伐とした報道が多いなか、ショートケーキ🍰が出てくると気持ちが和むだろうが、やはり消毒液とは区別しないといけない。
ちなみにわたしは、この身近な人から「消毒液」ということばを聞いた途端、「聖徳太子」を思い出したが、このことは黙っていた。
同音異義語を考える ― 2021/05/11 22:28:10
このごろよく聞く同音異義語がある。
- 陽性/要請
- 軽症/警鐘
- 感染/観戦
また同音の類似語があり、これは話題になっている。
- 終息/収束
きっとまだあるに違いない。
obsolete と deprecated の違いを調べる ― 2021/04/16 23:00:00
コンピュータの解説文書を見ると、よく obsolete や deprecated という形容詞が出てくる。「非推奨の」や「廃止予定の」などと訳してあることがあるが、さて、どっちがどっちなのだろう。それ以前に、obsolete と deprecated の違いは何だろうか。
この2つの違いを調べていたが、よくわからないままだった。そんなとき、自分が酔狂で訳していた文書に、その文書の文脈の中ではあるが、この2つの違いに関して次のように説明していたのを発見した。すっかり自分で忘れていた。
原文はhttp://abcnotation.com/wiki/abc:standard:v2.2#outdated_syntax にある。関係部分だけ、Google 翻訳した結果に少しだけ私が手を入れた結果を示す。なお、ここで abc ソフトウェアとは、abc 記譜法と呼ばれる楽譜の記譜法に従って楽譜を表示するソフトウェアをいう。
- 非推奨の構文(deprecated syntax)とは、新しい構文によって古くなった規則または構文のことをいう。 非推奨の構文は、厳密な解釈の下でabcソフトウェアに準拠することによってサポートされる必要があるが、新しいトランスクリプションには推奨されない。 非推奨の構文は、abcの将来のバージョンで廃止される(obsolete)可能性がある。 非推奨の構文に遭遇した abc ソフトウェアを適合させるには、厳密な解釈を使用するモードの場合に警告を出す必要がある(ただし、警告をオフに切り替えるオプションがユーザーに提供される場合もありうる)。
- 廃止予定の構文(obsolete syntax)とは、abcソフトウェアに準拠することによってサポートの保証を失う規則または構文のことをいう。 廃止予定の構文は、緩い解釈の下でサポートされる場合がありうるが、新しいトランスクリプションには使用してはならない。 廃止予定の構文に遭遇した abc ソフトウェアを適合させるには、厳密な解釈を使用するモードの場合に(致命的ではないことが望ましい)エラーメッセージを出すか、緩い解釈を使用する場合は警告を出す必要がある(ただし、ユーザーに警告をオフにするオプションが提供される場合もありうる)。
使ってはいけない度合でいえば、obsolete のほうが deprecated より高い、ということだろう。
嫌いなことばを思い出す ― 2021/03/11 23:00:00
まず、「目線」である。「目線」ということばを嫌っている人はいるが、私は「上から目線でものを言う」という使い方の「目線」は嫌ってはいない。むしろ、目線ということばは「上から目線」という言い回しのみであれば私は許容する。また、演劇用語での「目の向きや位置」という意味であれば問題にはしない。私が気にするのは、視線や立場という置きかえが許される場合の「目線」を、私は嫌う。
そして、「深堀」である。「しんくつ」とは読まずに「ふかぼり」と呼ぶのだろうが、どこかこなれていない感じがする。このことばは使われて20年ぐらいたつだろうか。なぜこなれていない感じがするか自分でも不思議に思っていたが、深く掘ることを何にたとえているのかがはっきりしないからだろう。とにかく穴のごとく、深く掘っていけばいい、といういんちきさが出てきているからかもしれない。深く考えるとか、深く追求するとかいえばいいのだろう。
あと、「真逆」である。「まぎゃく」というのもこなれていないことばだと思う。私は「正反対」という。多少音は増えるが、私はこちらを使う。あるページを見ると、真逆と正反対はニュアンスが違うというのだが、どのような違いなのだろうか。わたしにはわからない。
ことばは変わっているのだから、このような嫌いなことばが使われていることを容認すべきなのだろう。しかし、かつての同僚が言っていたように、「理解はするが納得はしない」。
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