繰り言が多くなる2024/03/10 23:59:59

最近は繰り言が多くなった。「年寄りの繰り言」とはよく言ったものだ。ということで、以下はただの繰り言である。

世の中を騒がせている事件がある。その事件の当事者たちは自分たちは知らなかった旨の答弁をしている。この答弁をしていて、評論家たちは、当事者たちはこの事件を風化させ、忘れさせることを目的としているのではないかと批判している。私もそう思うが、私が当事者であれば保身のために同じようにするだろう。

ある職場で、くだらない(と私が思う)宿題が私にある人から課された。まじめに解決に向けて取り組めばよかったのだが、私がくだらないと思ってしまっていたので取り組む気には全くならなかった。そのうちその宿題ののこと自体をすっかり忘れてしまった。宿題が提示されてから数か月して「宿題の件はどうなっていたか」とその人から確認のメールがあって、あわてて気づいたほどだ。ただ、くだらないと思っていたことは思い出した。今さら何もする気もおきない。何も返事を出さずに放置しておいた。そのうち私はその職場を去った。私に宿題を課した人はどう思っただろうか。律義に私の後任者を探して同じ宿題をお願いしているのだろうか。

こう書いてきて、これは繰り言なのだろうかと疑問に思った。繰り言というのは、泣き言、不平、不満、愚痴などを繰り返し、くどくどと、聴く側が嫌になるほど言うこと、あるいはその言った事柄である。繰り言のように仕上げるなら、「そんなくだらないことを俺に頼まなければいいのに、なんで俺に頼むんだよ、自分でやれよ、自分で!」ということをずっと書けばいいのだろう。ならば、最初からそう書けばよかった。