ブラームスの弦楽六重奏曲第1番第3楽章を聴く2023/03/25 21:26:47

ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第1楽章第2楽章についで、第3楽章を聴いた。ブラームスはけっこう「ソドレミ」や「ミラシド」の曲を書いている。この第3楽章はソドレミで始まっている。前の楽章はミラシドだから、好対照をなしている。この音源は、トリルのところがひどい音になっている。おそらく、トリルの上の音を長2度上ではなく短2度上でとっているからだろう。本当は音源を生成するプログラムに手を入れたいところだが、私のような弱い頭ではできない。

ブラームスの弦楽六重奏曲第1番第1楽章を聴く2023/03/24 22:54:54

昔、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第3楽章をブログの記事にしたことがあった。そういえば、ほかの楽章はまだ記事にしていなかった。そこで第1楽章を記事にした。このゆったりとした出だしは、さすがブラームスだ。


ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第7番を思い出す2023/02/22 19:07:55

少し遠くの図書館で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲3曲が入ったCDを借りてきた。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲で一番印象に残っているのは第8番ハ短調だが、その次に来るのが第7番嬰ヘ短調だ。この妙な冒頭がいかにもショスタコーヴィチという感じがするのだ。


引き続きバッハの「フーガの技法」を聴く2022/09/22 22:07:24

きのうに引き続き、バッハの「フーガの技法」を聴いた。これはコントラプンクトゥス13で、きのうと同じようにミラシドで始まる。これは知られている話なのだろうが、この曲の最初の音を除けば、ブラームスのチェロソナタ第1番の終楽章の主題とほとんど同じである。

パッヘルベルのカノンを聞く2022/08/02 23:59:59

パッヘルベルのカノンという曲がある(カッヘルベルのパノンではない)。この曲は有名で、某社の給湯器ではお風呂が沸いた合図としてこの音楽が使われている。

昔、あるトイレの洗剤にキンモクセイの香りがつけたら、この洗剤を使っている家の子供が、キンモクセイが咲く季節になって外に出てみて「トイレのにおいがする!」と言った話がある(本当かどうかは知らない)。このお風呂が沸いた音楽を聴き続けた子供は、この曲を聞くたびに風呂に入りたくなるのだろうか。もし風呂が嫌いな子供だったら、この曲まで嫌いになるのだろうか。


ドヴォルザークの管楽セレナードを聴く2022/07/23 23:59:59

ドヴォルザークに管楽セレナードという作品がある。この作品は、管楽セレナードなのにチェロとコントラバスが入っている。この作品を聴きながら、「弦は入っていないのではないですか」と言ったら、別の人が「いや、入っている、ほら、ここでチェロが聞こえるでしょう」と断言した。私にはチェロの響きが聞こえなかった。これでチェロを弾いているなんて、恥ずかしいなあ。

R.シュトラウスの「セレナーデ」を聴く2022/07/23 23:59:59

リヒャルト・シュトラウスの「セレナーデ」を聴いた。私にとってR. シュトラウスは縁遠い作曲家だ。なぜかはよくわからないが、独特の転調についていけないからだ。転調そのものにアレルギーがあるわけではない。その証拠にフォーレは大好きだ。だから、R. シュトラウスの音楽になじめない理由がよくわからない。これは若書きの作品だというが、わたしはそうは思わなかった。というのは、途中で独特の転調が表れて、これがR. シュトラウスなのか、と思ったからだった。18歳でこのような音楽を書くのだから、やはり若いころから独特の転調を操っていたことに驚く。

シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(完結)2022/05/17 21:15:16

シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第4楽章を聴いた。わたしが前に思い出した、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲「セリオーソ」の終楽章とは、付点のリズム以外は似ても似つかない。シューマンのほうはしつこしいし、粘着質だし、高音域がほとんど使われていないので晴れがましいところがなく、鬱屈した印象を受ける。

シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(さらに続く)2022/05/16 19:45:13

シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第3楽章を聴いた。緩徐楽章である。多分シューマンが好きな人は、このくねくね感がたまらないだろう。

シューマンの弦楽四重奏曲第3番を聴く(つづき)2022/05/15 13:45:44

シューマンの弦楽四重奏曲第3番の第2楽章を聴いた。これもまた、煮え切らない音楽だ。「詩人の恋」の「美しき五月に」も、このような煮え切らない音形だったことを思い出す。