既視感のある夢を見る2019/11/20 21:21:43

既視感のある夢を見た。私を含む家族は、ある大きな旅館の広い廊下で雑魚寝をしている。私たちだけではなく、ほかの家族も大勢いるので大広間はおろか、廊下にまで雑魚寝になってしまうのだ。

なぜ、そんな雑魚寝になってしまうのか。その旅館は年に2日か3日、日頃のご愛顧という名目で宿泊費ゼロ円の大サービスをしている。そこで多くの家族が押し掛けるというわけだ。定員は特に設けていないようなのだ。

宿泊費はゼロ円なのだが、その旅館に宿泊するための条件が一つだけある。宿泊客は(自家製でも、市販のでもよいが)漬物を持って行って、旅館の主においしいといって食べてもらうことである。おいしいとほめてもらえれば無事合格である。私たち家族もどんな漬物をもっていったかは忘れたが、旅館の主に喜ばれた。ここで家族は安心した。

さて疑問なのだが、なぜわざわざ雑魚寝しないといけないのにその旅館に行くのだろうか。何かおいしいごちそうが食べられるとかの期待していたことがあったのだろうか。そして、私がこの夢を見たときに、既視感があった。ということは、前にも同じような夢を見たはずなのだが、なぜそんなことがわかったのだろうか。最近嫌な夢ばかりを見ているので、こんな夢でもいいから(雑魚寝とはいえ)安心できる夢を毎回見たいという思っている潜在意識からくるのだろうか。

立ち眩みを経験する2019/11/21 21:37:16

最近事情があって一日に一万歩歩くことがなくなった。この日はたまたま一万歩あるいた。毎日このぐらい歩かないといけないのだろう。

さてこの日、一万歩の終わりごろ、ある店に入って物を探すために数分間座ったままでいた。探し物が見つからなかったので立ち上がったら急に立ち眩みがした。今までに経験したことがないほどのめまいだった。幸い倒れることはなく、5秒ほど続いただけでおさまったのだけれど、大丈夫だろうか。これから、店で探し物をするときは、座る時間は最小限にとどめておこう。

なお、カテゴリに練習を選んだのは、立ち眩みの練習ではなく、一日一万歩の練習という意味である。

チェロの練習をする2019/11/22 21:47:17

翌日は先生のところにチェロを習いに行く日である。あわててさらうが、どうにもならない。がっかりする。

稽古を受ける2019/11/23 21:46:05

某所にチェロの稽古に行った。やはりまだまだいろいろな意味で未熟で、教本が2ページしか進まなかった。2ページ進んだだけでもよしとしなければならない。

練習をする2019/11/24 21:42:23

北千住駅の某所にて、チェロの方と歌の方とで練習をした。

気象庁、気象庁、気象庁と3回唱えれば(悪いものを食べても)当たらない、という冗談があったが、私のピアノもそれに使えそうだ。

ホメロス「オデュッセイア」を読み始める2019/11/25 18:47:58

ホメロスの「オデュッセイア」を読み始めた。果たして読み終えられるだろうか。

ハイドン トランペット協奏曲 変ホ長調2019/11/25 18:50:54

ハイドン先生の曲を集中的に聴くことにした。トランペット協奏曲の古典として名高いこのトランペット協奏曲を聴くと、心が晴れ晴れする。

ハイドン チェロ協奏曲第1番ハ長調2019/11/25 18:52:52

ハイドンはごく普通の曲をごく普通に書いたが、ときどき驚くべきパッセージを繰り出すことがある。この協奏曲でも、第3楽章で、どうやったらチェロが、最低音の C と高い音を交互に出せるのかとびっくりしながら聞いていた。楽譜を見て確かめたい気もしたが、今は抑えておこう。

と書いたが、楽譜を見てしまった。まずは小手調べの箇所。第3楽章の第2主題が属調のト長調で提示されるが、その途中、68小節からのチェロ譜を掲げる。

わたしが驚いたのは、第3楽章の上記のフレーズが主調のハ長調で再現される208小節からのチェロ譜である。チェロ譜ではテナー記号とヘ音記号が交互で書かれているが、あえてここではヘ音記号のままで載せる。

そして、hasida さんが「凄そうに聞こえます」と書かれていたのはここだろうか。実際、凄い。133小節からの箇所を掲げる。こちらも高音部はテナー記号で書かれているが今回は読みやすさを考えてト音記号にした。低音からいきなり高音だ!

ここまでくれば、もう笑うしかない。

ハイドン チェロ協奏曲第2番ニ長調2019/11/25 18:57:13

ハイドンの曲は、つまらないと思って聞けばつまらないのだけれど、面白いと思って聞くと面白い。音楽からもろもろの意味をはぎとった、音楽そのものがハイドンにはある、と私には思える。

ハイドンのミサ曲を聴く2019/11/26 23:22:53

ハイドンのミサ曲を聴いた。私が聴いたのは、Hob. XXII/4 でオルガンがわりに活躍する大規模なミサ曲である。

オルガンがあるミサ曲は、オーケストラだけのとはどこか趣が違う。どんなストップを使っているのかはわからないけれど、楽し気な小鳥の鳴き声のようなオルガンソロを聴くと、こちらまで心が晴れ晴れしてくる。

だいたい、ミサ曲はキリスト教の曲だからイエスキリストをあがめるためのものであろうが、私のような無神論者はたんに音楽だけを楽しむものになっている。少なくとも私が合唱団にいたとき、キリエは、キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソンと意味もわからず唱えるものとなっている。合唱団の団内指揮者は、エレイソンとは〇〇語で△△という意味からきていると繰り返していた。その説の成否は今となってはわからない。わたしにはわからなかったので、結局はキリエ・エレイソンはナム・アミダブツと同じようなものだと思っている。ちなみに、わたしは、ナム・アミダブツは最初、ナムアミ・ダブツと切れるのかと思っていた。

鳥のさえずりにように聞こえるフレーズの楽譜は、暇があれば掲げる。