多重人格を考える ― 2018/12/20 23:00:10
多重人格、ということばがある。一人の人間が複数の人間であるかのようなふるまいをするときに、このことばが使われる。中には病的な例があるだろうが、程度の差こそあれ、誰もが多重人格ではないかと思うことがある。
よく、「本当の自分とは何か」という問いがある。ここで「本当の」ということばに落とし穴があることは、哲学でおなじみである。
では、本当の、ということは脇に置こう。人格が異なるというときに、どこからどこまでが同じか、どこからが異なるのか、という問いを今度は立てることになる。
なぜこんなことをくどくどと書くのかというと、自分が今したことが、本当に自分がしたことなのだろうか、という疑念が付きまとうことがあるからだ。特に、仕事で、相手から尋ねられることがあって、自分がまくしたてるように説明をして相手が帰った後、説明をした自分はいったい誰だったのだろう、という疑問が生じるからだ。まあ、これも自分なのだということで納得させている。そうでもしないと生きていけない。
よく、「本当の自分とは何か」という問いがある。ここで「本当の」ということばに落とし穴があることは、哲学でおなじみである。
では、本当の、ということは脇に置こう。人格が異なるというときに、どこからどこまでが同じか、どこからが異なるのか、という問いを今度は立てることになる。
なぜこんなことをくどくどと書くのかというと、自分が今したことが、本当に自分がしたことなのだろうか、という疑念が付きまとうことがあるからだ。特に、仕事で、相手から尋ねられることがあって、自分がまくしたてるように説明をして相手が帰った後、説明をした自分はいったい誰だったのだろう、という疑問が生じるからだ。まあ、これも自分なのだということで納得させている。そうでもしないと生きていけない。
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