団地の語感を考える ― 2026/07/11 12:35:27
某SNSで、「団地」のどういうものを指すかついて、いろいろな意見があった。一つは、鉄筋コンクリートで3階建てから5階建ての建物を指し、特定の区画にひとつの家族が住んでいる形態となっているものである。もう一つは、建物の形式ではなく広い面積に土地が造成されて、一軒家が計画的に立ち並んでいる区域を指す、というものだ。
私の語感では、前者である。今住んでいる越谷に近いところでいえば、松原団地という典型例があり、東京では高島平団地が有名だ。ただ、後者の意味もわかる。というのも、私のかつての実家がまさにそういう団地にあったからだ。一戸建ての実家は〇〇〇団地という名前の区画にあったが、〇〇〇団地が具体的にどの住所・地番を指すのかがわからなかったし、どこにもその団地の名前を表す看板がなかったからだ。いや、はるか昔、私がその〇〇〇団地に引っ越して来たころ、その造成していた宅地の角に団地名が書かれた看板があったような気がしたが、そのときしか覚えていない。
この〇〇〇団地の名前は今も残って使えるのだろうかと思い、インターネットで検索してみると、自治会の名称として残っていた。
エレファントカシマシの「晩秋の一夜」を聴く ― 2026/05/24 09:40:04
昨日はエレファントカシマシのアルバム「生活」から何曲かを聴いた。そのうちの「晩秋の一夜」では「〽それでも 生きようか 死ぬまでは」という、言われてみると当たり前の歌詞が出てくる。このように、冗語とは言えないまでも、当たり前のことをある種重々しく言う技法をラパリサードという。作詞者の宮本浩次はラパリサードを意識していたとは思わないが、なぜかおかしい。
4代目を表すことばを考える ― 2026/05/21 22:38:32
ある特定の分野で、何代にもわたって活躍する家系がある。そういったとき、特定の代を表すことばを考えてみた。
例えば、初代の次の2代目を表すことばを考えよう。ここでは、実際にそうであるかは別として「親の七光り」ということばを使うものとする。では3代目はどうだろうか。七光りは加法で伝わると考えれば、7+7=14だから「親の十四光」だろうか。それとも七光りは乗法で伝わると考えれば、7*7=49だから、「親の四十九光」だろうか。ここではどちらとも決めかねるので、仮に乗法で伝わると仮定する。すると4代目は7*7*7=73=343なので、4代目は親の三百四十三光となる。この伝で行くと、n代めは親の7n-1光と表せる。
あるとき、4代目までが有名な家系を知った。そのとき、私は4代目を、74光と思い込み、74を暗算で計算するにはどうすればよいか悩んでいた。ところが、今書いた通り、4代目は親の73光だ。ベキ乗の値は植木算のようにn-1でないといけない。
ある家系が5代続いて活躍すると仮定すれば、5代めはどういえばよいか。今度こそ74を計算しないといけない。桁数が多いので暗算には不向きだと思い込んでいたが、よく考えれば、これは49*49を計算することになるわけだ。これは(50-1)*(50-1)=(2500-100+1)=2401とすれば、暗算でも計算できることがわかる。
最後に、これは特定の家系を念頭に置いたものではないことを申し添えておく。
エスペラントで記されたアプリケーションのメニューを見て戸惑う ― 2026/05/19 20:52:09
最近の大規模な汎用アプリケーションでは、エスペラントでメニューを表示させることもできる。少し前に、Firefox でエスペラントのメニューを表示させてみた。ところが、ほとんどわからなかった。悔しかった。今日は、WorePress で同様にエスペラントのメニューを表示させてみた。やはり、ほとんどわからなかった。非常に悔しい。
絹という字を忘れる ― 2026/05/16 23:59:59
最近は物忘れが激しい。豆腐を買いにスーパーに出かける途中で「モメン」と「キヌ」を思い浮かべていると、「モメン」の漢字は木綿だと思い出せたのに「キヌ」が出てこない。
困ってしまったので、連想が働けば出てくるかもしれないと考え、太田裕美の「モメンのハンカチーフ」と夏木マリの「キヌのクツシタ」という、2つの曲を交互に思い出しながら買い物を済ませた。帰り道になってやっと「キヌ」が絹だという字だとわかった。連想のおかげかどうかはわからないが、時間がかかっても出てきてあんしんした。ということは、まだ大丈夫だろう。
大学名における新字体と旧字体を考える ― 2026/05/07 17:38:04
ある SNS で、正式名称が旧字体である大学についての記事があった。その大学名自体は伏せられていたので、どの大学のことだろうと気になった。私が知っている、大学名が旧字体の大学はこれぐらいだ(アイウエオ順)。
- 慶應義塾大学
- 東京藝術大学
- 獨協大学
- 白鷗大学
ほかにも探してみた。
- 皇學館大学
- 國學院大學
- 駒澤大学
- 志學館大学
- 獨協医科大学
- 日本文化大學
- 姫路獨協大学
- 麗澤大学
もっとも、何をもって大学が「正式」と判断しているかはわからない。たとえば上記で挙げた中で、東京藝術大学のホームページを見てみよう。文面やロゴのほとんどが旧字体を使っているのだけれど、文部科学省への届け出に使っているのは新字体を使っている例がある。
また、上記にあげた白鷗大学の「鷗」の字についてみていこう。旧字体「鷗」は人名用漢字として認められているにも関わらず、新字体「鴎」は人名用漢字として認められていない(もちろん常用漢字外)という例もある。
スワヒリ語の本を読む ― 2026/04/24 23:28:18
スワヒリ語の本を借りて読んでいる。といっても、スワヒリ語で書かれた本を読んでいるわけではない。スワヒリ語の入門書を読んでいるだけだ。なぜ読んでいるかと聞かれても、理由はない。図書館に行ってスワヒリ語の本があったから借りてきただけだ。
最近、目的があって本を読む、というのがつらくなった。それだけではない。目的があって楽器の練習をするとか、目的があって勉強をするとか、目的があって体力を鍛える、とか、そういうことができなくなった。つまり「目的」ということばが嫌になった。どうしてかは自分でもわからない。
だから今は、「やりたいときに、やりたいことを、やりたいだけやる」だけの生活になっている。
「漢字を開く」という言い方があることを知る ― 2026/04/15 22:50:06
ある方のブログを読んでいて、「漢字を開く」という言い方があることを初めて知った。「漢字を開く」というのは、漢字を使ってもひらがなを使っても表記として正しい場合に、漢字を使わずにひらがなを使うことをいう。具体的に開くべき漢字は人によってさまざまだ。逆に、ひらがなの表記を漢字に書き直すことを「閉じる」という。
たとえば、上記の段落でいえば、「或る方」という表記があれば「ある方」にすることが「漢字を開く」ことに相当する。「平仮名」という表記があれば、「ひらがな」という表記にするのも漢字を開くことに相当する。「様々だ」も「さまざまだ」としてしまえば漢字を開いたことになる。
私のブログは比較的開いていると思う。特に、SくんとKくんとか、イニシャルで特定の人物を指すときは、「君」ではなく「くん」として開く。この方が優しい印象を与えるからだ。
はるか昔、しんぶん赤旗の日曜版を読んだことがある。この日曜版を見て驚いたのは、ほとんどの表記が「開い」ていたことだ。おそらく漢字を使っているのは名詞だけで、動詞でさえ(スル動詞を除いて)開いてような気がする。つまり、「ひらく」、「とじる」という表記だった。たぶん、記憶違いに違いないのだが、その開き方が半端ではなかったという印象が強く残っている。
自分がブログを書くときは漢字の開き閉じには結構迷う。「子供」か「子ども」か、「友達」か「友だち」か、などだ。私は、今の考えでは「子供」、「友達」を使うと思うが、ひょっとしたら時により「子ども」や「友だち」を使っているような気がする。あるいは、「友達」か「友だち」か迷うのがいやで「友人」という別の単語に置き換えることが多い。
ただ、漢字を開くか、閉じるか以前に、一つの記事で表記に揺れがあるのが最もまずいことだ。まずはそこから気を付けていこう。
ねずみ色という表現を考える ― 2026/04/09 22:27:24
最近ある人から聞いた話を少し改変して紹介する。私に語ったその人が老人福祉施設へ行ったところ、高齢の婦人が色鉛筆を使って塗り絵をしていて、傍らに施設の若い職員がついていた。すると婦人が色鉛筆の束をしばし見て、「ねずみ色の色鉛筆はどこ?」と職員に尋ねた。すると職員は「ねずみ色?」とあっけに取られた様子になり、しばらく言葉を発しなかった。この二人のやりとりを見るに見かねたその人は、つい大声で職員に向って「グレー」と叫んでしまった。職員はやっと色がわかってねずみ色の色鉛筆を探して婦人に渡したという。
今の若い人には「ねずみ色」ということばが通用しないのだろうか。「灰色」ということばなら通用したのだろうか。いろいろ考えさせられた。そういえば、世界中で一番有名なミッキーマウスは何色だったろう、と思い出そうとしたがどうしても思い出せなかった。インターネットで見てみると、服を脱いでいるとき、上は黒色だった。
関連した話を思い出した(細部はあやふやで史実とは異なっている可能性が大である)。第二次世界大戦でフィリピンを占領した日本軍であったが、フィリピンの戦いで日本軍は敗れた。しかし、日本降伏後も現地の島に残った日本軍の兵士がいた。その日本兵が現地の島に住んでいることがのちにわかったことから、(おそらくは日本国政府が)その日本兵に対して投降を呼びかけることにした。おそらくは日本兵が隠れていると思われるジャングルに向って、次のように拡声器で呼びかけという。「ただいまからオレンジ色のもの(車?衣服を着た人?)を見かけたら、安心して投降してきてください。」これを聞いて、その日本兵は投降しないと決めたという。なぜなら、オレンジという、敵国語を使う相手は信用ならず、きっと傀儡政権に違いないと信じ込んだからだ、というものだ。
そう、このとき「みかん色」とか「だいだい色」といえばよかったのだが、このように呼びかけたときにはすでに、オレンジ色という呼び名が多数だったのかもしれない。
リスキリングという言葉におびえる ― 2026/02/28 10:44:07
最近、「リスキリング」ということばをよく耳にする。reskilling のことだろう。私はこのことばを聞くとおびえる。なぜかというと、リスキリングが re-skilling に聞こえず、res-killing に聞こえるからだ。つまり、キリングが killing 、すなわち殺し、殺人に聞こえてしまうので、おびえるというわけだ。日本の人たちが、リスキリングということばを平気で使うのが私には信じられない。
単語を切るところを違えてしまう「なぎなた読み」は普通はかわいかったりおかしかったりするものだ。たとえば、今でも「スポンサードリンク」という文字が「スポンサー・ドリンク」に見える。ただ、殺しや殺人が入ってしまうのは怖い。
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