スキーをしていたころを思い出す ― 2026/01/20 16:00:51
最近、2016 年 1 月 15 日に発生した、軽井沢スキーバス転落事故について報道されていた。そういえば私もかつてスキーをしていたころがあった。
最初にスキーに行ったのは、いまから 40 年以上前のことだろうか。高校3年生のとき、2 月になってクラスにいるOくんから大学の受験が終わったらスキーに行こうと誘われたのだった。スキーに着ていくウェアがわからず、とりあえずお茶の水のスポーツ用品店に行けばわかるだろうと思い、大きそうな店にいって、ズボンを選び試着しようとして店員に「これ、どちらが前ですか」と声をかけた。すると店員はいきなり大きな声で笑いだし、10秒も笑い続けてからかろうじて「こちらが前です」と指さしたのちにまた再度笑い続けていた。こんな失礼な態度の店員が昔はいたのだった。しかし私は気が弱く、結局この店でそのズボンを買ってしまった。3月になって受験が終わり、一通りなんとか支度をして出かけた場所は、バスで行ったか鉄道で行ったかも覚えていない。妙高国際スキー場という名前だった(今は妙高杉ノ原の一部と思われる)。最初はボーゲンから始め、最後の4日めぐらいにはなんとかパラレルまで行ったと思う。
大学に入ってからは、所属したサークルで冬の3 月にスキーに行くのが習わしだった。確か妙高池の平のスキー場だったと思う。大学生活4年間のうち、3回行った。宿泊は大学付属の寮で、安かったのは幸いだった。ある年は、寮の管理人のお気にいりなのか、当時流行していた Sugar というグループの「ウェディング・ベル」という歌ばかり寮で流していて、泊まっていた私たちは閉口した覚えがある。なお、スキー場には、夜行急行「妙高」で妙高高原駅まで行き、そこからバスでスキー場に行ったと思う。
大学時代は、サークルでのスキーのほか、学科でのスキーも一度あった。たぶん、12月のことだと思う。同じ研究室の Y くんが富山県の出身でスキーが達者ということもあり仲間4,5人で行くことになった。私はスキーをしないだろうと思われたらしいが、声をかけてみたら私がついていくのに驚いていた。このときの交通は、サミーツアーというバス会社のプランを利用した。新宿駅西口の高層ビル街でバスを Y くんたちと待ちながら「寒いな、サミーツアーだなー」とつぶやいていた覚えがある。このときのスキー場は野沢温泉村のスキー場で、野沢温泉は鍋がうまいよ、と誰かから聞かされていたのに宿では鍋が出てこなかったのでがっかりしたことを覚えている。帰りは新宿までバスだったのだが、Y くんだけ帰りのバスに寄らず、野沢温泉から富山の実家まで鉄道で帰った。Y 君曰く、そのほうが鉄道を使うより安いから、なのだそうだ。
社会人になってからは、スキーに行かなくなった。というのも、これまでのスキーはすべてレンタルで、自分の計算ではこれ以上レンタルでスキー板とストックを借りると当初から買った時より割高になってしまうからだ。それで、社会人になって板とストックを買うと、元を取るためにさらにスキーに行かないといけなくなる、という理屈だった。私のいた部では冬にスキーに行く活動をしていたので、もったいなかったといえばそうなるが、まあやめてもいいだろうと区切りをつけることにした。
軽井沢スキーバス転落事故の報を聞いて真っ先に思い出したのが、40 年以上前に野沢温泉スキー場にバスで行ったときのことだ。当時は上信越自動車道はなかったから碓氷バイパスを通っていた可能性が高く、ひょっとしたら私も同じ事故にあったかもしれなかったのだ。
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