シベリウスの交響曲全集を借りて来る ― 2024/06/10 21:06:17
シベリウスの交響曲全集を図書館から借りてきた。交響曲全7曲と、「フィンランディア」、「カレリア組曲」などが入っている。私は、シベリウスの曲は嫌いではないが、かといって入れ込むことほどのこともない。シベリウスの何がいいのか、全部を聴けばもう少しわかると思っている。今日まで聴いたのは、交響曲第1番と交響曲第4番である。
シベリウスの交響曲第3番を聴く ― 2024/06/11 23:06:20
シベリウスの交響曲第3番を聴いた。あれ、これはどこかで聴いたことがある、と思った。どこで聴いたのだか、すっかり忘れてしまった。なかなかいいではないか。
フォーレの楽譜がボロボロになる ― 2024/06/12 13:35:50
よく本がボロボロになるまで読んだ、という人のことを聞く。私はボロボロになるまで読んだ本がないので、ボロボロになるまでこき使われた本のことやそこまで読んだ人のことをうらやましく思っていた。
ただ、楽譜はボロボロになることがある。たとえば、リストの楽譜でブダペスト版のを何冊か持っているが、中にはボロボロになっているのがある。それほどリストの曲を弾いたわけもなく、100 回ぐらい閉じたり開けたりしただけなのにこうなってしまうとは情けない。プロコフィエフのピアノソナタ全集も MCA ので持っているが、これも 100 回ぐらいの開け閉めで少しページが取れてしまった。ショスタコーヴィチの 24 の前奏曲とフーガもそうだ。
これらは安価な版だからそうなったのかと思ったら、なんと春秋社版のフォーレ全集の1(夜想曲集)が、ボロボロになっているのに気付いた。私は楽譜に限らずものの取り扱いが乱暴だから、ボロボロになってしまうのも仕方がないかもしれないが、それにしても春秋社版がボロボロになってしまうとは思わなかった。これより前に、春秋社版はバッハの4巻、5巻、6巻やショパンの1巻、スカルラッティの全3巻を買っていたが、ボロボロにはまだなっていない。ということは、フォーレの製本が昔に比べて粗雑になったのだろうか。それとも、私がフォーレの音楽を愛しているという証拠が形になって表れたのだろうか。それにしても「愛している」なんて、書いてしまうと恥ずかしいな。
宮本浩次「五周年記念 birthday concert GO!」に行く ― 2024/06/13 23:25:34
きのうは、宮本浩次「五周年記念 birthday concert GO!」に行ってきた。場所は去年と同じ、ぴあアリーナMMだった。
どれもよかったが、まさか「おかみさん」が聴けるとは思わなかった。「珍奇男」がなかったのは残念だが、五周年でやる曲ではないと思う。ちょっと気になったのは、2曲めか3曲めがおわったあたりで、ぜいぜいだかはあはあいう声をマイクで伝えていたことだ。宮本浩次は、疲れている姿や素振りなど、客の前では決して見せないと思っていたので、意外だった。そのあとは、そんなことは一切なかったので、コンサートが終わってから、いったいあれは何だったのだろうと強く印象に残った。
宮本浩次のバースデーコンサートを思い出す ― 2024/06/14 23:07:06
きのうの記事で、宮本浩次のバースデーコンサートに行ってきたことを書いた。そういえば、まだ書いていなかったことがあった。
歌いだしてしばらくして、汗で髪の毛が濡れた宮本の顔を見て驚いた。髪の毛の長くなった部分が筆の穂先のようになって、両方の目じりにかかっていた。この顔を見て、私は歌舞伎の隈取のように見えて思わずたじろいでしまった。まさかこんなところで隈取を見るとは思わなかった。当然本人はそんなことは意識していないだろう。KISS のようにしなくても、隈取が表現できるとは心底驚いた。
あまりに驚いたので、「おかみさん」の最初を楽譜にした。このあたり低音でうごめいているので、よくわからない。とくに〽空 気清澄 自動歩行器
のあたりは、この楽譜の通りでないことはわかるが、どう譜面にしたらよいかすらわからない。まあ、ライブではこのあたりいろいろな歌い方をしているだろうから、定量譜は無理だ、ということにしてお茶を濁そう。
シベリウスの交響曲第5番を聴く ― 2024/06/15 22:44:52
シベリウスの交響曲第5番を聴いた。第1楽章から引用しようとしたが、メロディーの輪郭がはっきりしないので引用はあきらめた。すがすがしい曲だ。
シベリウスの交響曲第6番を聴く ― 2024/06/16 23:26:23
シベリウスの交響曲第6番を聴いた。なかなかよい。
昼寝をすると夜寝られなくなることに気づく ― 2024/06/17 22:19:38
私のブログには「寝ること」というカテゴリーがある。久しぶりにここの「寝ること」について書いてみる。何度も経験して、そのつどしまった、と思うことに、「昼寝をすると夜寝られなくなる」ことがある。私の昼寝は横になって2時間から3時間眠ってしまうような、ひどい昼寝なのだ。これだけ寝れば、夜寝つきが悪くなり、眠りに入ったとしても何度も起きてしまうのも当然だ。だから、なるべき昼寝はしないようにしている。それでも、テレビやビデオを昼間見ていると、十数分は眠ってしまっていることがある。それも、興味のある将棋の番組であるにもかかわらず、である。眠気は夜まで我慢してとっておこう。
小節を考える ― 2024/06/18 22:28:57
昔から考えていることがある。音楽において、小節とは何か、ということだ。「小節-いかに読み、いかに書くか」という評論がかけるかもしれない(この題は、後藤明生の「小説-いかに読み、いかに書くか」のもじりである)。
きっかけは、ベートーヴェンのピアノとヴァイオリン、チェロのための三重奏曲「大公」を聴いたときの違和感だった。第1楽章の第1主題はいい。ところが第2主題がおかしい。私のリズム感覚がずれているためか、途中で拍がずれてしまうように聞こえる。このずれが何に起因するのか長らくわからなかったが、最近楽譜を見て驚くべきことに気づいた。ピアノで提示される主題が弱起だったのだ!これが弱起とわからなければ、当然ヴァイオリンやチェロが追いかける主題も弱起とわからないわけで、混乱するのも無理はない。
私の知り合いのAさんが、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番を弦楽四重奏曲に編曲した。このとき、第4楽章のフーガが弱起であることを四重奏の演奏者に意識してもらったのだが、(弱起であるようには)聞こえなかったという。これに関連してAさんの知り合いのBさんに言わせると、ベートーヴェンは全般的に弱起の書き方が下手くそ
なのだそうだ。例として、熱情(ピアノソナタ第23番)の第3楽章の経過句(DesC BCBAs GAsGF E のことだろうか)、テンペスト(ピアノソナタ第17番)の第1楽章(AG GFFEED )とか、クロイツェルの2楽章とか、エリーゼのために(EDis EDisEBDC A)などを挙げている。なぜか、ここにあげたうち、ピアノソナタ3曲はわたしは弱起として感じるのだが、これは曲を聴くより前に楽譜になじんでいたからそういうものとして刷り込まれてしまっているからだろう。クロイツェルの2楽章は、あまり聴いたことがなく、また楽譜もしらないからよくわらかない。「エリーゼのために」は、たしかに下手な弱起だ。これは昔から聞いていて、楽譜を見て弾いてもいつも混乱する。そして最初に書いた大公だ。やはりベートーヴェンは下手なのだろうか。
あと、意味がわからない弱起もある。ロンドハ長調51-1だ。普通の強起でもいいはずなのだが、なぜだろう。古典派には(そしてクープランには特に)この種の意味不明な弱起が多いのがわからない。そしてフォーレの夜想曲第6番も、クープラン風のわけのわからない弱起である。私がもっている楽譜には「弱起である理由を考えよ」という解説があるが、解答がない。私が受験生なら非常に不安になるところだ。
フォーレでは強起なのに弱起に聞こえる曲がある。ピアノと弦のための五重奏曲第1番の第3楽章だ。これは私のウェブページのどこかに載せている。そのほかに、小節の区切りを間違えていたのが、フォーレの師匠、サン=サ-ンスの交響曲第3番の第2楽章だ。
ほかにも、小節の区切りを間違えて覚えている曲はわんさかあるはずだ。いつか自分のウェブページに書き出したいと思う。このブログはそのためのメモである。
小節をさらに考える ― 2024/06/19 23:09:33
きのうのブログに加えてもう少し材料を書き足すつもりだったが、思ったより材料がないことにあきれた。
弱起-Auftakt は、小節から少し前にはみ出すことを普通いうが、逆に小節の頭に少し休符が入るのも広義の弱起としているようである。休符が入る例は、例のベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章の主題だろう。
ほかにも、バッハのインベンションの第1番と第8番は、下声がなく、上声がいきなり休符付きのメロディーを弾くので、心の中で休符を唱えないとけっこう難しい。シンフォニアの第5番は下声部から休符つきで始まるのでこれもまた難しい。
あと、これは弱起というよりシンコペーションなのだが、ハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」の第1楽章がこわい。この2分の2拍子の曲で、途中で小節線をまたいだ位相のシフトが起きるのがおそろしい。写真は3段の大譜表で、上段左が32小節めだ。このあたりは1拍目のアタックがあるのだが、上段右の37小節めで拍の頭のアタックが消える。そして中段からは小節頭のアタックが入るときにわざと混乱させるように拍の中間に sf を入れるのだから手が込んでいる。下の段で小節頭のアタックは復活するが、p になるのがやはり拍の中間で、完全に位相シフトが消えるのが51小節のフォルテである。何度聞いてもここは混乱する。
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