体重について考える2023/07/11 23:59:59

人間には適正体重というものがあるらしい。よく言われるのは BMI で 22 より少し多いぐらいの数値となるような体重であることが望ましいようだ。医学的には、このような体重が標準体重と呼ばれる。ただ、最近の研究結果では、老人では標準体重より少し重いぐらいがいいようなことをいう。本当だろうか。

アメリカかどこかの調査によれば、貧困家庭であればあるほど肥満の度合いが高いという。貧困だから食べ物がなくて肥満になれない、というのはむしろ誤解で、貧困であるとジャンクフードしか食べられず、その結果肥満になるという。日本では体質の問題なのか米国ほどの肥満体型になっている人はあまりいないが、太らないからいいかというとそういうことはなくて、隠れ肥満と呼ばれる、代謝の問題で内臓や血液に負担がかかっているからそれはそれで問題であるようだ。

私が思っていることは、太っていることがいいとか、太っていることが悪いとかいうことよりも、太っていることと健康で長生きすることにどんな関係があるのだろうか、ということが大事だということだ。たとえば、こんな仮説を立ててみよう。食生活が豊かだからバランスが取れた食事ができ、それで太っているということがありえるのではないか。すると、先に挙げた米国の事例だと、太っていることが貧しさの象徴である、という反例があがる。日本ではどうなのだろうか。そんなことを暑い中、考えている。

再度体重について考える2023/07/12 23:59:59

前日は体重について、というより肥満について考えてみた。今日も体重について考えた。

私は高校を卒業するころまで痩せていた。大学生になって暴飲暴食を繰り返し、大学2年生の健康診断では大学1年生の健康診断のときより 7kg 前後体重が増えていた。もっとも、これでは全体的な体格はわかりようがないが、一応個人情報ということで勘弁してもらいたい。その後は増減を繰り返していて、一時期はこの大学2年生のときよりさらに12kgも増えたことがあったほど。現在は大学2年生のときの体重より2kgから3kg増えたあたりで落ち着いている。

どこかの健康診断で、「中年以降の体重が、20歳のときより 10kg 増えていたら要注意」という警告があったことを知った。それを考えると、大学1年生のとき暴飲暴食を繰り返して体重を増していたのがよかったかもしれないと思う。

三たび体重について考える2023/07/13 23:59:59

昔、毎日体重を記録していたことがあった。もちろん、食べる量が多ければ増えるし、食べる量が複なければ減るのだが、そうでないこともあった。こればかりはわからない。

日々の体重を覚えていることはないが、たまたま大学1年生と大学2年生の体重を覚えていたのはわけがあった。学生時代の健康手帳がずっとあって、そこに記録されていたのである。引越しを重ねるうちに手帳は紛失してしまったが、覚えていてよかったと思った。

高校を卒業してから、私の体重は 20 kg 以上変動してきている。そういうわけで、大台にのるとか、大台を切るときもある。大台に乗るほうは忘れてしまっているが、大台を切ったときは覚えている。高校時代の友達の U くんが K 県に下宿していて、そこに遊びに行ったことだ。誰も泳いでいない沼だか湖だかで泳ぎ、そのあと近くの公衆浴場で体を清めて体重を計ったら、大台を切っていた。

体脂肪について考える2023/07/14 23:59:59

私も年相応の脂肪が腹にたまっている。脂肪が少なくなればいいとは思うが、脂肪が少なくなりすぎてもそれはそれでなにがしかの弊害があるのではないかと思っている。

健康診断を以前受けていた場所で、3kgの脂肪の模型というものがあった。ダイエットを喚起するためのものだと思う。かなりの容積があり、実際に持ってみるとけっこうずしんと来るのだった。3kg やせたら体が楽になるだろうということは確かに考えたが、いまのうちに3kgの錘を持って筋肉を鍛えておけばいいのではないかということも考えたので、結局それほど体重は減らなかった。

体脂肪計を考える2023/07/15 23:59:59

はるか昔、会社の研究室にいたころ、超音波を研究している上司がいた。会社の研究だから地味なので、軽口で「なにか人間の体脂肪が計れるような計測機器を作りたいな」とつぶやいたことがあった。そんなものは夢物語だと思ったら、その十数年後、体脂肪率を計ると称する体重計が出てきたのには驚いた。なお、体脂肪率を計れる体重計を作ったのはこの上司ではない。

にぎわいを恐れる2023/07/16 23:59:59

某施設が老朽化のため建て替えを検討しているという新聞記事があった。そこで、その施設を建て替えたあとの展望がどうなっているのか、資料を探してみた。その資料を読んでわかったことは、建て替えてにぎわいを作り出すということだった。

にぎわいは、たしかにいいものだ。だが、私は新型コロナウイルスを体験して、にぎわいが嫌いになった。いや、新型コロナウイルスの前からにぎわいが人混みが嫌いだったが、コロナのせいでにぎわいイコール人混みを想像してしまって、にぎわいまで嫌いになってしまった。にぎわいはいやだ。

足腰を鍛える2023/07/17 23:59:59

町中に出るときには鉄道を使う。都心に近づくほど人はたくさんいて、駅のエスカレーターにも当然人が並んでいる。私が町中に出るときにはチェロを背負っていて、エスカレーターを使いたいと思うけれど、エスカレーターには人が並んでいてしかも一列だから人が長く待っている。待つのはいやだから仕方なく階段を使う。仕方ないけれど、これは足腰を鍛えるのにはいい機会だと思うことにしている。

膝が気になる2023/07/18 23:59:59

最近、膝の曲げ伸ばしが気になる。ちょっと痛いような気がするのだ。だから座るときや立つときは手を壁についたり机についたりして起きる。ああ、こうやって人は老いていくのだ。悲しい。

花鳥風月を思い出す2023/07/19 23:59:59

最近の新聞記事で知ったことがある。内田百閒が学生に提出課題を出すのだが、ろくに中身を見ない。それでも評価はしなければならないのだが、百閒先生の課題に対する評価は「花」、「鳥」、「風」、「月」のいずれかである。絶妙なのはこれらの言葉の選び方で、どれがどれより優れているとか劣っているとかの意味が一切ないことである。したがって、課題にランダムにこれらの評価を割り当てても実際には意味を持ちえない。よくぞ考えたものだと思う。

統計用途で使われることばで、尺度の種類がある。一般には、名義尺度、順序尺度、間隔尺度、比率尺度の4つの分け方がある。名義尺度に意味があるのが、等しいか異なるかのみである。大小関係にも意味がないし、ましてや差や比にも意味はない。一方で順序尺度は等しいことのほかに大小関係にも意味がある尺度である。花鳥風月はまさに名義尺度として名づけるのにぴったりである。甲乙丙やABC、123はどうしても順序尺度としての意味を暗に引きずっている。

ところで最近、種類が3の名義尺度でふさわしいものがないかどうかを考えていた。少し調べて、どうやら「雪月花」がふさわしいという結論に足した。なお、グーチョキパーは、推移律が成り立たないが順序尺度が入ってしまって、まずい。

日本地図パズルをやってみる2023/07/20 23:59:59

たまたま、marmooo さんの「日本地図パズル」というのを見つけて、少し遊んでみた。
https://marmooo.blogspot.com/2023/07/japan-map-puzzle.html
marmooo さんは、レベル 9 くらいまでは子供向きで簡単ですが、レベル 10 になると大人でも難しいです。 と書いているが、私はレベル3 で頭が真っ白になった。とはいっても、レベル 6 までは必死になってやったが、レベル7を見て、これはまた時間を見つけてやろう、と思い、いったんページを閉じた。

「日本地図パズル」とは「都道府県パズル」であり、日本の47都道府県をしかるべき位置に配置するパズルである。12レベルもどうやって設計したのだろうと最初に思ったが、レベル1は配置できる自由度が最も低く、レベル12は配置できる自由度が最も高いようにできている。そして、12レベルというのは 因子A(2水準)、因子B(2水準)、因子C(3水準)の組み合わせで実現している。ここで因子A,B,C やその水準については実際に遊ぶとわかると思う。

このパズルで遊んでわかったことは、都道府県の形はわかっていたつもりではいたものの、いざ正しい位置に置こうとすると何度も失敗してしまう、ということだった。つまり、都道府県の正しい形を認識していなかったのではなかったか、ということだ。私の現在の都道府県の認識は次のとおりである。以下、「県」といえば都道府県を指すものとする。

面積の広い県と面積の狭い県は、面積の広い県の方が認識しやすい。これは、面積が広い県は比較的形が複雑になるからだ。

海に面している県と海に面していない県は、海に面している県のほうが認識しやすい。

海に面している県のうち、複数の半島や岬で湾が構成されている県は認識しやすい。北海道のほか、青森県、鹿児島県、高知県、愛知県などが該当する。静岡県、富山県、千葉県も比較的わかりやすい。

内陸県はわかりにくいが、「つる舞う形の群馬県」はなぜかわかる。上毛かるたのおかげか?

私の住んでいる埼玉県はわかりにくかった。私は「芋のような形」と覚えているが、芋のような形をした県はたくさんあるのだった。