ヒナステラのヴァイオリン協奏曲を聴く2021/08/01 20:32:16

ヒナステラのピアノ協奏曲第2番に引き続き、ヒナステラのヴァイオリン協奏曲を聴いた。うーん、これも正直言ってわけのわからない世界だが、楽譜付きの YouTube とにらめっこしながら聴くと、ピアノ協奏曲第2番に比べれば少しだけ面白そうなところもある。ヴァイオリンの音色に救われているのだろう。

とはいえ、いかにも現代音楽の響きが続くので、聴きながらうつらうつらしていまっていた。すると突然、パガニーニの主題が聞こえてきたので目を覚ました。nach Paganini と楽譜に書いてあった気がする。ブラームスやラフマニノフもそうだけれど、このフレーズは作曲家のみなさんが好きなのでしょうか。

ベートーヴェンの「田園」を聴く2021/08/02 23:00:00

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 Op.68「田園」第4楽章より
ときどきいろいろな方のブログを見に行く。その内容が濃いことに驚く。一般的に見て、ブログの内容が濃いものもあれば薄いものあるのは当然のことだ。私のブログの記事が異様に薄いだけなのかもしれない。

ときどき反省して、内容の濃い記事を書こうとするのだが、私という人間が薄いためか内容が薄いままだ。というのも、音楽室という名前になっていても、「おもしろかった」か「つまらなかった」に留まってしまい、その先には踏み出せないからだ。

最近、ベートーヴェンの交響曲第六番ヘ長調 Op.68「田園」を聴いた。有名な曲だから解説はいくらでもあるだろう。私が気になったことは、この曲はテレビコマーシャルに使われたことがあったかどうか、ということだ。調べてみると、ハウス「黒豆ココア」で使われたようだが、このコマーシャルは知らない。もっと昔のコマーシャルで使われたような気もするが、どんな製品だったか、どんな会社だったか全く覚えていないので探しようがない。

コマーシャルことなどどうでもよい。曲を、あるいは演奏を解説すべきという意見があるかもしれないが、私にはよくわからない。ひとつだけ書くとすれば、第4楽章のことである。ここは嵐の楽章である。嵐にふさわしく、管楽器は叫び、弦楽器は激しく揺れる。ここの低弦であるチェロとコントラバスは分離していて、どちらも正確に弾けないことで有名なパッセージである。せっかく第5番の第2楽章でコントラバスはチェロからの独立を果たしたのに、その独立した部分が旋律でも通奏低音でもなく、単に嵐でうごめく様子を表しただけでは、やはりコントラバスを弾く甲斐がないのではないかと思ったりする。

プロコフィエフの交響曲第5番を聴く2021/08/03 23:00:00

プロコフィエフ 交響曲第7番Op.100 より第4楽章
外に出かけると暑いので、家にいることが多い。家にいるといろいろすることがある。その中の一つに録画していたビデオを見ることがある。今回は、プロコフィエフの交響曲第5番を聴いた。

ビデオを見るということは、能動的なようでそれほどでもない。単に、録画していたビデオがある、ということで見ることが多いからだ。もちろん、録画するときにはあとで見るだろう、という自分の行動を予測しているが、録画した番組にある曲すべてを覚えているわけではないし、かりに覚えていたとしても再生するときにはからっきし忘れていることがけっこう多い。

そんなわけで、プロコフィエフの交響曲第5番である。録画するときに、そういえば、プロコフィエフの交響曲第5番は知らないなあ、聴いてみよう、と思って録画予約をしたことを思い出した。そしていざ聴いてみて、なんかこの第1楽章は冴えないな、とおもって途中で電源を切ってしまった。その後、このプロコフィエフを途中まで聴いたことをすっかりわすれて、切ったその後から聴いてみたら、誰の作ったどんな曲だか全く分からなかった。ドイツのロマン派後期っぽいが、どんな人なのだろう、とわからないなりに思っていた。すると、ほどなく第2楽章になり、別のフレーズが聞こえてきた。そのとたん、プロコフィエフを聴いていたことを思い出した。そしてフィナーレで、下の楽譜の箇所で第1ヴァイオリンのミのナチュラルが、ベースのミのフラットに対する#11(テンションです)であること認識して、そういえばこの曲は何度か聞いたことがあったのを思い出した。まだまだ修行が足りない。

ピツェッティのヴァイオリンソナタ イ調を聴く2021/08/04 23:00:00

ピツェッティ ヴァイオリンソナタ イ調 第1楽章冒頭

家の CD には2種類ある。よく聴いたことのある CD と、聴いたことを忘れている CD である。ピツェッティ(ピッツェッティ)の三作品が収められているCDは、よく聴いたことのある CD だ。今回はそのうち、ヴァイオリンソナタ イ調を取り上げる。

このヴァイオリンソナタは全3楽章からなる。どの楽章にも、長めのピアノソロによる導入がある。第1楽章は Tempestoso という速度記号がある。嵐のように、情熱的に、という意味だろうか。調性については、フラット1つの調号がついているが、ヘ長調でもニ短調でもない。ソナタ イ調ということで終わりがAであるから、イを主音とするフリギア旋法を意識しているのだろう。拍子も3拍子であるが拍をつかみにくいし、3連符も出てきたりして流動的である。ヴァイオリンは譜面3ページめにして出てくるが、オブリガート的ではっきりした旋律を主張しているとはいいがたい。その後もヴァイオリンとピアノがからんでいるが、ウナギのようで妙につかみにくい。ただ、ヴァイオリンはト音記号の上加線の部分と下加線の部分で歌うようにこの曲は作られている。

第2楽章にはPreghiera per gl'innocenti という標題がある。イタリア語はよくわからない。WEB の翻訳機能によれば「罪のない人への祈り」という意味らしい。Molto Largo という速度記号のとおり、拍子記号は音符の大盤振る舞いである。

第3楽章は落ち着かない動きとけだるいメロディーに特徴がある。

ピツェッティの作品は牧歌的な印象が強く、感動を押し売りするような要素はなく、音の戯れに身を任せるような書法だ。以前、チェロソナタ・エディションでピツェッティとカステルヌーヴォ=テデスコの盤を紹介したので、長く間が空いてしまったが、ここでピツェッティの作品を再び取り上げた。

ピツェッティの三重奏曲 イ調を聴く2021/08/05 23:00:00

ピツェッティ 三重奏曲 イ調 第1楽章

ピツェッティの三重奏曲 イ調を聴いた

第1楽章:上記の通り。

第2楽章

ピツェッティ 三重奏曲 イ調 第2楽章

第3楽章

ピツェッティ 三重奏曲 イ調 第3楽章

ピツェッティの「3つの歌」を聴く2021/08/06 23:00:00

きのうに引き続き、ピツェッティの「3つの歌」を聴いた。歌といっても、人間の声による歌ではなく、チェロとピアノの作品である。

第1曲は変ニ長調。チェロでは響きにくい、こもった調性だが、それだけ転調したときの響きの変わり具合が面白い。

第2曲はヘ短調。チェロでは同じく響きにくい調性で転調の対比を楽しむのは第1曲と似ている。ただし、動くはさらに遅くなる。最後はヘ長調で終わると思いきや、ニ短調で終わるので意外だ。

ドビュッシーの交響詩「海」を聴く2021/08/07 19:39:01

ドビュッシー 交響詩「海」第1曲 冒頭

ドビュッシーの交響詩「海」を聴いた。今回で聞いたのは10回目ぐらいかもしれない。よくわからない。出直してくる。

楽譜を調べることにした。全部で3曲からなる。楽章ととらえてもいいかもしれない。

第1曲はこんな出だしだ。ここでの楽譜は弦五部だけだが、実際には三管編成である。

この楽譜をみてもぼんやりしている。チェロにポワーンとした長二度の上昇があり、その後でヴィオラがペンタトニック風の上昇音列を弾いているのがわかる。まあ、これじゃわからないはずだ。

第2曲も最初の3小節は和音の土台のみだ。4小節めから、フルートの次のようなメロディーが入る。

フルートが入るとすべて「牧神の午後への前奏曲」に聞こえてしまうのは、私の耳がまだドビュッシーの管弦楽曲に慣れないせいだろう。

第3曲はティンパニと大太鼓のトレモロで始まる。その後、チェロとベースから動く。

たぶんこの動機は終わりまで使われるのだろう。よく聞かないといけない。次の動機はオーボエによる。下をクラリネットが支えている。

この動機も使われるのだろう。

セブン・イレブンのコマーシャルを思い出す2021/08/08 15:59:06

最近のセブン・イレブンのコマーシャルはしゃれているが、昔はもう少し泥臭かった。なぜそう感じるのかというと、最後の締めの「〽セブン・イレブン いい気分」という歌と、「あいててよかった」というダメ押しの文句にある。なぜこんなことを思い出したかというと、図書館で借りた本が「微分、積分、いい気分。」だからだった。聞き取った楽譜は次の通りだ。「き」のところの音の聞き取りが難しかったが、全体がペンタトニックであろうと推定したので「ミ」の音にしている。コードは敢えて入れなかった。

ザ・カセットテープ・ミュージックを見る2021/08/09 19:53:14

きのう録画した「ザ・カセットテープ・ミュージック」を見た。今回は名曲のカバーを比較するという内容だった。海援隊の「贈る言葉」を聴いて、今更ながら、しみじみと感傷にふけるのだった。今ならこのような音楽は、決してヒットしないだろうという感傷だ。

原博の前奏曲とフーガ20番を分析する2021/08/10 20:25:19

原博の前奏曲とフーガ20番を分析しようとしているが、まだ進んでいない。いまのところ、ネタだけを書いておく。

前奏曲はA-B-Aの三部形式。Aは分散和音から組み立てられていて、バッハの平均律第1巻の前奏曲を思い出させるが、高声部はメロディーとなることを意識した楽譜となっている。和声進行はポップスにありそうだ。Bは少し動きが出てカノン形式の対位法が優越する。

フーガは 6/4 拍子で、速い。ロ長調、ニ短調のフーガと同じく同音連打で始まる。特にニ短調のフーガとは互いに主題が鏡像的である。楽譜は47小節3拍めから50小節までを掲げた。途中の全音や半音のぶつかり、とくに50小節の1拍め、BとCのぶつかりが切ない。