チェロソナタ・エディションを聴く(CD 25 ピッツェッティ、カステルヌオーヴォ=テデスコ) ― 2020/10/24 08:42:00
チェロソナタ・エディションのCD 25 枚目(ピツェッティ、カステルヌオーヴォ=テデスコ)を聴いた。この 33 枚組は、企画者がイタリア人なのだろうか、全 CD の 1/3 以上がイタリア人の作曲家で占めているような気がするほどだ。この盤のピツェッティ、カステルヌオーヴォ=テデスコ、ともにイタリア人である。この記事は、この盤を2度目か3度目に聴いた印象をもとに書いている。
ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti)からは「3つの歌」と「チェロソナタ ヘ調」が収められている。
「3つの歌」はなぜか楽譜まで持っている。そのせいではないが、第1曲の子守歌のような始まりと、第3曲のいわくありげなピアノの序奏からチェロがからむ始まりが気に入っている。
チェロソナタは、全体的にチェロは歌う役割に徹している。高音部で絹を引き裂くような響きもなく、低音域でガシゴシこする迫力もないが、細かな動きは伴奏のピアノにまかせてチェロはのびやかに旋律を奏している。この行き方は、チェロとピアノの曲の本道だと思う。第2楽章はとくにその感じが強く、中間部のゆっくりした箇所はピアノもチェロも共に歌うのだけれど、両端は無窮動のピアノに乗ってチェロは無関係のごとくに自分は滑らかな旋律を紡いでいく。
カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco)もイタリア人である(イタリア系ユダヤ人)。ピツェッティに師事した経歴がある。カステルヌオーヴォ=テデスコはギターの作品で有名であるが、逆にほかの楽器の作品はそれほど知られていないようだ。少なくとも私は、ギター曲はいくつか聴いたことがあるが、ギター曲以外では初めて聴いたのがこの盤に収められた作品だった。この盤では「ソナタop.50」と「フィガロ・ファンタジー」が収められている。
ソナタ Op.50 はピツェッティのソナタに比べても古典に回帰しているような印象を受ける。その中、ときどき素っ頓狂なほど現代的な響きが聞こえるのは、和声やメロディーの古典性が強いため、その落差も大きく聞こえるからだろう。
カステルヌオーヴォ=テデスコからはもう1曲、フィガロ・ファンタジー(「セビリアの理髪師」による)がある。聴いてみれば、あの有名な「私は街の何でも屋」をいじり倒した遊び心満点の一曲だ。それにしても、 カセッラのソナタ第1番といい、どうして私は色物が好きなのだろう。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://marinkyo.asablo.jp/blog/2020/10/24/9308497/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。