投票に行く2025/11/27 22:19:32

埼玉県議会議員選挙の期日前投票に行ってきた。

地方自治体の選挙は、国政選挙ほどの盛り上がりは見られない。まして、都道府県という自治体の単位での、議会の、しかも補欠選挙は地味だ。しかし、県議会も大事だ。私が住んでいる越谷市は県議会の定数は5人で、今回の選挙では欠員2人の補充のための選挙だ。いろいろ考えて一票を投じた。

選挙を考える2025/10/26 09:23:26

今日は越谷市の市長選の日である。雨が降っているが、投票に行くつもりだ。

思い出してみれば、私は選挙権を得て以来、国政選挙や地方自治体の選挙があれば必ず投票してきた。これは別に威張れた話でもなんでもない。ありがたかったのは、投票権を行使できたことだ。つまり、今まで自分が住んできた選挙区や自治体で、無投票当選で首長や議員が選ばれることは今まで一度もなかった、ということだ。

今回同日に埼玉県の自治体の首長選挙が越谷以外にもあるが、私が驚いたのは熊谷市長が無投票で選ばれたことだ。熊谷市といえば埼玉県の代表的な市で、暑い夏で知られている。新幹線の駅もあるし、JR のほか秩父鉄道も乗り入れている。そんな都市で市長が無投票で選ばれたことが驚きだった。

私も将来別の場所に住むことがあるかもしれない。そうするとその自治体の首長や議員が無投票で選ばれることがあるかもしれない。いや、今住んでいる越谷でも、将来無投票で首長や議員が選ばれることが起こりうるかもしれない。そう思うと、やはり選挙は大事だと思うのだった。

歌から人名を連想する2025/09/28 10:11:48

自分でいうのもおかしいが、最近は俺が作った「五年日記」や「十年日記」を見ている。そこで、今日の日記を見てみたら、去年の同日に「フォーレの歌曲「Ici-bas!]を思い出すという記事を載せていたことに気づいた。そこで「〽イーースィバーー」と歌ってみたら、ああ、そういえば、石破首相が退陣するのだった、と突然気づいたのだった。

ポスターの掲示期限を考える2025/08/27 21:54:37

私が気になっているポスターがある。ある県道沿いにあるポスターである。一つは自由民主党の岸田文雄前総裁が写っているポスターで、日に焼けてしまって色が薄くなり、コントラストが弱くなってしまっている。いつから掲示してあるのかはわからないが、おそらく岸田氏が総裁として就任して間もなくのことだろう。前総裁をこのまま掲示し続けている意味はどういうところにあるのだろうか。

岸田単独

もう一つは、岸田前総裁と、公明党の石井啓一前代表が写っているポスターである。こちらが掲示された意図は明確で、令和七年(2025年)1月13日に草加駅東口で行われる街頭演説会を知らせるためのものであるから、この日以前であることがわかる。ここでわからないのは、この街頭演説会が実際に行われたのかどうか、ということである。というのは、岸田氏は2024年自民党総裁選に出馬しなかったため、2025 年現在は総裁の地位にない。また石井氏も2024年に代表を辞任しているから2025年現在ではやはり代表の地位にはない。ちなみに、2024年10年13日に、草加駅西口で石井代表の街頭演説会が行われ、応援に岸田前総裁の後継である石破自由民主党総裁がかけつけている。

ということは、ポスターで予告された2025年の二人の街頭演説会は行われなかった公算が高い。もし実施されなかったとしたら、実現しなかった演説会のポスターなので却って価値が高くなるかもしれないが、そんなことはないか。

岸田と石井

「一人の手」を思い出す2024/10/28 19:22:32

きのう、衆議院議員選挙に行き、最高裁判所裁判官国民審査制度の罷免の可否と合わせて投票してきた。前から何度も書いてきているが、選挙のたびに必ず選挙権を行使しているのは、私自身が善良な選挙権民であるからでは決してない。単に、使えるものを使わないでいるのはもったいないという、けちん坊な、しみったれた精神から来ているのであって、おいしいか否かにかかわらず皿に出されたごちそうは残らず食わないともったいない、という考えと全く同じである。

ただ、それだけだと弱いので、ときどき思い出したように昔教わった歌を思い浮かべて選挙に出かける原動力とする。その歌とは、ピート・シーガーの「一人の手」という歌だ。この歌は、私が小学校4年生のときのY先生か、中学校1年生のときのS先生のどちらかが教えてくれた歌だ。ピート・シーガーは「ウィ・シャル・オーバーカム 」や「花はどこへ行った」などで有名で、この2曲を教えてくれたのはどちらもS先生だったから、きっとこの「一人の手」もS先生が教えてくれたのだろう。私はひねくれ者だからこういう素直な歌の立ち位置とはずれているのだが、まだいたいけだったころに教わった歌だからか、自分の心の中に素直に入ってくるのが不思議だ。


公益通報ハンドブックを見つける2024/07/19 23:59:59

昨今のある事件を受けて、公益通報者保護法が話題になっている。そんなとき、家探しをしていると、「公益通報ハンドブック」が出てきた。わたしがまだ中小企業診断士として勉強会に出ていた時、診断士の方が解説がてら配付したハンドブックで、平成 18 年(2006 年) 8月に発行された小冊子である。私が当時勤めていた職場で、公益のために通報することがあるだろうか、と思いながら解説を聞いていた覚えがある。通報者が確実に保護されるようになってほしい。

住民基本台帳のネットワークを思い出す2023/06/26 23:59:59

むかし、住基カードと呼ばれるものがあった。住民基本台帳カードが正式名称である。住基カードは、住基ネット(正式名称は住民基本台帳ネットワークシステム)と呼ばれるネットワークを通して、各種の自治体のサービスが受けられるという触れ込みのものだった。

はるか昔、この住基ネットについて、こんな話を聞いたことがある。住基ネットを作っていたある大手電機メーカーの話である。このメーカーの社員は住基ネットとは無関係だったが、人事異動により直属上司が変わった。その上司はかつ住基ネットを担当していたという。新たな上司から「おまえは、住基カードを作るつもりか?」と聞かれ、社員は「まだどちらとも決めていませんが、便利なら作るつもりでいます。」と答えた。すると上司は「おまえなあ、悪いことはいわないが、住基カードなんか作るなよ。どんなに住基ネットが危険か、わからないのか。」かように、住基ネットは危険なものだったのだ。

こんな昔の話を持ち出すのは、もちろんわけがあるが、これ以上は無用だろう。

「私憤から公憤へ」を思い出す2022/11/07 23:59:59

昔は岩波新書をけっこう買って読んでいた。その中でもよく読んでいたのは、公害関係のルポルタージュだった。もう手元にはないが、「口伝 亜砒焼き谷」とか「四日市 死の海と戦う」などは今でも強く印象に残っている。そして、公害とは少し違うが、ワクチン禍を取り上げたものとして、吉原 賢二の「私憤から公憤へ―社会問題としてのワクチン禍」も思い出す。私は呑気で凡庸な人間だからワクチンとあれば昔から今にかけて平気で打ってしまうが、やはりそれはおかしいと声をあげ続けることが大事なのだと思う。

国葬を考える2022/07/16 19:01:07

ある人が亡くなった。その人を弔うために、国葬をすると決めたようだ。国葬で思い出すのは、フォーレである。フランスの作曲家フォーレは、国葬で弔われた。国葬で弔われたのは私はフォーレ以外知らない。少し調べたら、フォーレの師匠であるサン=サーンスも国葬で弔われたという。こんなことを調べている私は、本当に俗物だ。作曲家は、作品でのみ判断されるべきであるのに、いやそれどころか作品の価値が高ければ作曲家などどうでもいいのに、国葬が執り行われたかどうかで作曲家を評価しようとしている私は、最低だ。

投票に行く2022/07/10 23:59:59

この日は国政選挙の投票日だった。午前に指定の投票所に行き、自分なりに考えて埼玉選挙区で一票を、全国区で一票の計二票を投じた。最善だったかはわからない。