マリオ・バルガス=リョサが亡くなったことを知る ― 2025/04/14 20:58:43
ペルーの作家、マリオ・バルガス=リョサが亡くなったことを知った。そういえば、『緑の家』、『ラ・カテドラルでの対話』が家にあるが、どちらも長らく読んでいない。機会を作って読もう。
本を読むのがしんどくなる ― 2025/01/31 22:39:04
図書館から本を借りて読んでいる。最近は文芸の本が読めなくなった。文庫本の場合は顕著だ。まず、字の大きさがある。私も御多分に漏れず、老眼が進んでいる。私は昔から近視でメガネが手放せなかった。若いころは、老眼になれば遠くが見えるようになる、というバカなことを思っていたが、実際には遠くは相変わらず見えず、近くも焦点が合いにくくなるという苦労を背負うことになった。では字が大きければいいのかというとそうではなく、本の世界に入り込むことができなくなった。とくに外国小説や日本の近代小説の場合に著しい。外国小説では登場人物がカタカナで出て来るから覚えにくいのが困る。日本の小説でも近代のものはあまり見かけない熟語や言い回しが頻繁に出てきて、そこに気を取られてしまいなかなか先に進めない。この二週間で8冊文庫本の小説(戯曲を含む)を借りてきて、読み終えたのは5冊だけだった。ああ、それでも5冊よめれば上等か。
「シャーロック・ホームズの冒険」を読む ― 2025/01/21 22:30:57
コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでいる。筋を忘れている話もあれば覚えている話もある。昔は読んだときは今よりももっと面白かったと思う。なぜだろう。
「ボマルツォ公の回想」を読み始める ― 2025/01/02 23:59:59
家には積読の本がかなりある。この場合の「積読」には一度は読み通したが「読み通した」という感想しか残らなかった本もはいる。さすがにそれではまずいだろうというので、一度は読んだ本をもう一度読み直すのを2025年の目標にしようと思う。その手始めは、ムヒカ=ライネスの「ボマルツォ公の回想」である。この本はなかなか厚く、尋常なことでは読み進められないと思った。そこで、大学生4年のときに同じ学科の学生と野沢湖近くのスキーに行ったときに、夜寝るまでに何もすることがないときに、宿で読もうと思ってこの本をもって行ったのだ。この本の筋はまるで覚えていないが、スキーに行ったときの宿で読んだということだけは覚えている。
いざ読み始めたが、やはり大変だ。「ベンベルート・チェッリーニ」という名前だけ、とこかで聞いたことがあり、たしかこの名前がついた曲があったはずだが、と思い調べたら、ベルリオーズにこの名前のオペラがあることがわかった。たぶん、このオペラの序曲を何度か聴いていたのだと思うが、どんな曲だかすっかりわすれてしまった。いや、「ボマルツォ公の回想」を読むのが先だ。
宮沢賢治の童話を読む ― 2024/12/09 23:42:59
岩手県の有名人と言えば長らく宮沢賢治だったが、今は大谷翔平に奪われている。そこでひねくれものの私は、宮沢賢治に肩入れしようと思って宮沢賢治の童話を読んでみることにした。なぜか私は宮沢賢治の全集を持っているからだが、ほとんど読んでいないのだった。そこで手に取った巻を広げると「けだもの運動会」という童話を見つけたので読んでみた。冒頭と末尾が欠けているので、なんだかよくわからないが、おもしろい。
谷川俊太郎の死を悼む ― 2024/11/20 23:02:59
谷川俊太郎の死を知った。私が谷川の詩を初めて読んだのはいつだろう。はっきりとは覚えていない。(谷川の詩を初めて「歌った」のは小学校4年生のときの「死んだ男の残したものは」だが、これは読んだというものではないから除外する)。ただ、谷川の詩集を買うきっかけになったのは、吉本隆明の「戦後詩史論」を読んで、谷川の詩について解説したくだりを読んでからだと思う。特に吉本が読み解く、『コカコーラ・レッスン』所収の『交合』という詩には、今までにない不思議な感覚にとらえられた。
それから谷川の詩を少しは読んできた。「谷川俊太郎詩集」「続谷川俊太郎詩集」という、大部で箱に入った思潮社の詩集を買ったが引っ越しで処分してしまった。ただ、『コカコーラ・レッスン』だけは大切に扱ってきたので引っ越しでも持ってきた。越谷で谷川俊太郎の朗読と息子の谷川賢作の音楽の会があり、会の終了後にサインの時間があったので、私は『コカコーラ・レッスン』を持っていって裏にサインをしてもらった。ちなみに、谷川俊太郎はどんなの詩を朗読したのか、あまり覚えていない。たぶん「ことばあそびうた」にある詩が入っていたのは間違いない。
これは補足だが、谷川の詩で、一部の人に注目されているのが『なんでもおまんこ』である。また自身によるライブ朗読の音源も存在する。これは越谷では披露しなかったはずである。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読む ― 2024/10/02 23:05:39
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を久しぶりに読んだ。シベリウスの交響曲第6番を聴いて、作曲家の吉松隆が「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のような曲だ」と言ったという話を聞いたからだ。ちなみに、吉松隆自身は、シベリウスの交響曲第6番について、こう語っている。http://yoshim.music.coocan.jp/~data/BOOKS/12keiwords.htmlから引用する。
クラシック系音楽で最初に見初めた作曲家はシベリウスである。
きっかけは高校1年(15歳)の時に聴いた交響曲第6番。冒頭の冷たい美しさで響く弦のコラールに、「こんなに美しい音楽がこの世の中にあったのか!」と一瞬にして心をとらえられてしまったのだ。
ということで「銀河鉄道の夜」を読んだ。何度か読んだはずなのに、あらすじをあらかた忘れてしまっていたので、新鮮な気分で読むことができた。
「カラマーゾフ兄弟」を読み終える ― 2024/07/26 22:44:34
「カラマーゾフ兄弟」をやっと読み終えた。本当に長かった。かなりはしょって読んだから、十分に理解したとはいえないが、途方もない小節であることには間違いない。もう一度最初から読むときが来るだろうか。
「カラマーゾフ兄弟」を読む ― 2024/07/16 23:59:59
「カラマーゾフ兄弟」の2を読んでいる。暑いこともあり、なかなか進まない。
「カラマーゾフ兄弟Ⅱ」を借りる ― 2024/07/02 23:34:23
「カラマーゾフ兄弟Ⅰ」をやっとのことで読み終えた。「大審問官」のところなど、もっと時間をかけて読むべきだったが、かなりはしょってしまった。「カラマーゾフ兄弟Ⅰ」を図書館に返して新たに「カラマーゾフ兄弟Ⅱ」を借りたが読み進められるだろうか。
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