ベートーヴェンの「セリオーソ」を思い出す2022/05/13 23:59:59

シューマンの弦楽四重奏曲のフィナーレを聴いていて、こんなに付点音符をしつこいぐらい使う作曲家は、シューマンしかいないだろうな」と思っていた。すると突然、やはり付点音符をしつこく使う弦楽四重奏曲を思い出した。あれ、これもシューマンのものだったろうか?おれはシューマンの弦楽四重奏曲なんて今まで聴いたことがないはずなのになぜ覚えているのだろう、と不思議に思った。さらに思い出すこと数日、思い出した節は、シューマンのではなくてベートーヴェンの弦楽四重奏曲「セリオーソ」Op.95だった。シューマンとベートーヴェンを間違えるとは、私もおかしいですね。 次が思い出した一節である。

ベートーヴェンのハンマークラヴィアを思い出す2022/03/21 12:34:05

最近、ベートーヴェンのピアノソナタ第29番、通称「ハンマークラヴィア」を思い出すことが多くなった。思い出すのは第4楽章のフーガである。主題はこんな感じだ。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィア」第4楽章」

この主題を、別の曲で思い出した。一つは、バッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番ト長調の第2楽章である。楽譜ではハ音記号で書かれている、23小節から24小節にかけての音の動きが、フーガの主題を思い起こさせる。

バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ」第1番ト長調第2楽章

もう一つは、原博の24の前奏曲とフーガから、第9番ホ長調のフーガの対旋律だ。これは今画像がないので、abcjs による譜面で紹介する。このアルトの5小節めのアウフタクトで下降する音階がハンマークラヴィアを想起する。たいして似ていないかもしれないが、似ていると思ってしまうのはハンマークラヴィアに対する畏怖のゆえである。

宝くじのコマーシャルを見る2021/12/15 23:59:59

宝くじのコマーシャルは見るたびに種類が変わっていて、よくもこれだけコマ―シャルフィルム制作にかける費用があるものだと感心してしまう。制作にかける費用を削減して、当選倍率を高くするとか、各種支援事業に回す割合を高くするなどをすればいいのに、広告制作会社の懐を豊かにすることしか考えていないのだろうか。少しはタケモトピアノを見ならえばいいのに。

それはそうと、宝くじのコマーシャルの新作では、広瀬香美が年末ジャンボの歌を歌っている。どこかで聴いた節だと思ったら、ベートーヴェンの交響曲第7番イ長調の第1楽章ではないか。ベートーヴェンは有名だからいろいろな節に歌詞をつけて歌われているが、交響曲第7番に目をつけるとは恐れ入った。でも、宝くじは買わない。

ベートーヴェンのピアノソナタ第31番を聴く2021/10/17 20:12:38

録画していたベートーヴェンのピアノソナタ第31番変イ長調を聴いた。普段はこんなことをしないのだが、ふと気になった演奏を聴きながら楽譜を見ることにした。すると緩徐楽章というべき「嘆きの歌」のところどころで、演奏と楽譜が違う。些細なことではないのだと思う。私の持っている楽譜が全音版で、あまり信頼できる版ではないのかもしれない。

改めて聴いて、ベートーヴェンの集中力のすごさには驚いたが、この曲はおそらく無数に弾かれているだろうし、無数の批評があるだろう。そうだ、もっと知らない曲を聴かないといけない。ということで、部屋にあったチェロソナタ・エディションから、アルカンのチェロソナタのCDを聴いてみることにした。この曲はほぼ1年前に聴いていた。感想は1年前と同じ、終楽章が面白い、というものだった。進歩がない。

ベートーヴェンの「田園」を聴く2021/08/02 23:00:00

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 Op.68「田園」第4楽章より
ときどきいろいろな方のブログを見に行く。その内容が濃いことに驚く。一般的に見て、ブログの内容が濃いものもあれば薄いものあるのは当然のことだ。私のブログの記事が異様に薄いだけなのかもしれない。

ときどき反省して、内容の濃い記事を書こうとするのだが、私という人間が薄いためか内容が薄いままだ。というのも、音楽室という名前になっていても、「おもしろかった」か「つまらなかった」に留まってしまい、その先には踏み出せないからだ。

最近、ベートーヴェンの交響曲第六番ヘ長調 Op.68「田園」を聴いた。有名な曲だから解説はいくらでもあるだろう。私が気になったことは、この曲はテレビコマーシャルに使われたことがあったかどうか、ということだ。調べてみると、ハウス「黒豆ココア」で使われたようだが、このコマーシャルは知らない。もっと昔のコマーシャルで使われたような気もするが、どんな製品だったか、どんな会社だったか全く覚えていないので探しようがない。

コマーシャルことなどどうでもよい。曲を、あるいは演奏を解説すべきという意見があるかもしれないが、私にはよくわからない。ひとつだけ書くとすれば、第4楽章のことである。ここは嵐の楽章である。嵐にふさわしく、管楽器は叫び、弦楽器は激しく揺れる。ここの低弦であるチェロとコントラバスは分離していて、どちらも正確に弾けないことで有名なパッセージである。せっかく第5番の第2楽章でコントラバスはチェロからの独立を果たしたのに、その独立した部分が旋律でも通奏低音でもなく、単に嵐でうごめく様子を表しただけでは、やはりコントラバスを弾く甲斐がないのではないかと思ったりする。

チェロソナタ・エディションを聴く(CD12ベートーヴェン2)2020/11/01 23:00:00

チェロソナタ・エディション12を聴いた。これもベートーヴェンで、第4番・第5番のチェロソナタと、3曲の変奏曲がおさめられている。

第4番と第5番のチェロソナタは最近よく聴いている。わたしも晩年に入っているからだろう。

変奏曲3曲も、どれもみな知っている旋律なのがいい。知っていることがいいなんで、私も保守的になったものだ。

ということでチェロソナタ 33 枚組をやっと聴き終えた。まだ評価を保留している作品も多いので、なんとか好き嫌いだけははっきり言えるよう、さらに聴いていきたい。

中曽根康弘の葬儀のニュースを見る2020/10/20 23:00:00

中曽根康弘の葬儀が 2020 年 10 月 17 日土曜日に行われた。葬儀の費用の出所について問題があるが、それは置く。

わたしがテレビの報道を見聞きして、あれ?と思ったのが、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第2楽章が聞こえてきたことだった。中曽根の思想を考慮すれば、葬儀のときの音楽は黛敏郎の曲がピッタリするのではと思ったのだった。もし、黛の曲が聞こえてきたなら、参列者はどう思っただろう。

そんなことを考えていたら、思想と音楽とは一致していない、と説いているページがあって、なるほどその通りだと納得した。

花田清輝の「歌いりイソップ」を読む2020/09/22 14:52:26

第三書館から出版された、「ザ・清輝」という、大部な本がある。花田清輝の主だった作品を収めてある。それを買った理由はあまりよく覚えていない。

さて、このブログには音楽室という名前がある。この本に収められた音楽論があればいいのだが、それらしい論が見つからない。そのかわりに、「乱世をいかに生きるか」に収められた「歌いりイソツプ」の「二、秘密」と題された話を読んでみた。

この第三書館版の活字上は促音便のツは大文字で、「歌いりイソップ」ではない。以下引用するが、原文では撥音便や拗音便を大きな「つ」「や」「ゆ」「よ」で使っているところ、引用文は小さな「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」で表示する。さて、この「秘密」という話は次のように始まる。

ある国に驢馬の耳をもった王さまがいた。 王さまは、いつも大きなずきんをかぶっていたので、 かれの耳の秘密を知っているものは、王さま附きの理髪師だけだった。 理髪師というやつは、 「セヴィラの理髪師」の例によってもあきらかなように、 概して口にしまりがない。

「セヴィラの理髪師」はロッシーニの歌劇であるが、私は聴いたことがない。いつかは聴けるだろうか。そして、王さまは理髪師に秘密をばらしたら死刑だぞ、と脅していた。さらにそれだけでは安心できず、王様はこんなふるまいに及ぶ。

法律をつくり、耳に関して一言でもしゃべる者は、 すべて破壊活動を行う者とみとめ、 一人残らず逮捕してしまうことにした。 国民は、なんのことやらわけがわからなかったが、 とにかく、ながいものにはまかれろ、というわけで、 従順にその法律を受けいれることにした。 その結果おこったいちばん滑稽な出来事は、 女主人公の名前がミミだというので、 歌劇「ラ・ポエーム」が上演禁止になったことだ。

「ながいものにはまかれろ」ということばは「寄らば大樹の陰」と並んで私の好きなことばである。この滑稽な出来事というのはどこか現代を連想させる。悪事で逮捕された俳優が出演している画面を時間をかけて削除していることを知ると、そのような時間をかけることがもったいないと感じる。

さて理髪師は、真相をバクロしたくなったがそこをこらえ、器械に向かって「王さまの耳は驢馬の耳!」と繰り返し、録音したレコードを戸棚の奥深くにしまい込んだ。王さまの秘密は保たれていたが、この理髪師は死んでしまう。告別式が故人の自宅で盛大に行われた。以下は全文引用する。

人びとは、べエトーヴェンの「葬送行進曲」 のレコードに耳をすましながら、 温厚な故人の風貌を思いうかべていた。 すると突然、故人の肉声が、息もつかずに、 とんでもないことをしゃべりはじめた。

 破壊活動防止には
 むろん、わたしも大養成
 しかし、つらつら思うのに
 火焔びんより原爆を
 どうして防ぐかが問題だ
 ながろうべきか
 死すべきか
 ああ! それこそが問題だ!

 教訓 ピクピクするだけ損である。

 どのようにこの話を解釈すべきなのだろうか。

ベートーヴェンの交響曲第9番のレコードを思い出す2020/09/21 12:18:24

昔買ったレコードのことを少しずつ思い出してきた。そういえば、廉価版だったかどうかはっきりしないが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」のLPレコードを買ったことがある。それも1枚、指揮者はフルトヴェングラーだったと思う。

当時のレコードでは、合唱の長さではレコードが1枚に収まりきらず、2枚で売っているのが普通だった。それが1枚で買えるというので金のない私にはありがたかった。しかも、フルトヴェングラーの指揮である。当時の音楽界、というのレコード評論界は、フルトヴェングラーを高く評価していたのだ。ひょっとして名盤かもしれないレコードを持っているのかも、と内心うれしかった。

ところが、このレコードには致命的な弱点があった。第3楽章の途中で、A面が終わってしまうのである。1枚に収めたがゆえのやむを得ない処置だったのだろう。だから、この曲の第3楽章はよく覚えていない。ただ一か所覚えているのは、なんだか知らないけれど盛り上がっていってから変ロ長調に戻る、99 小節の少し手前の周辺だけである。

ベートーヴェンの交響曲第9番は、生で聴いたことがあるかどうか覚えていない。自分の記憶ではあるアマチュアオーケストラの演奏で1度あるはずで、しかも年末ではなくて梅雨時だったのだが、そのオーケストラの WEB 上の演奏記録を見てみると、梅雨時ではなく、年末であった。梅雨時というのがウソなのか、聴いたのは確実だが実際は私の記憶にあるアマチュアオーケストラではなかったのか、はたまた生で聴いたことがあるという記憶そのものが誤りなのか、なんにせよ真面目に聴いていたのではなさそうだ。

演奏中の咳を思い出す2020/09/11 23:00:00

突然、1990 年前半に聴きに行った演奏会を思い出した。ヴァイオリンとピアノの演奏会で、ヴァイオリンは若手から中堅の日本の名手、ピアノはベテランの日本の演奏者だった。プログラムの最後は、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番、いわゆるクロイツェルだった。最終楽章で乗りのいい、あのテーマが始まって間もなく、ピアニストが咳をしだした。ピアニストの咳は拍子におかまいなく、独立したリズムで、あたかもポアソン分布のように、放たれ続けた。しかしピアニストの奏でる音は一定のテンポで進んでいくのだった。

演奏が終わって、このコンサートに連れて行ってくれた方は「このヴァイオリニストは、つくづくピアニストに恵まれていないよね」と嘆いた。ほかにもこのヴァイオリニストには不運なことがあったのだろうか。