ドワイヤンの舟歌を聴く ― 2021/12/01 19:46:24
フィビフの「気分・印象・追憶」を弾いてみる ― 2021/12/02 23:59:59
難度はそれほど高くはない。一つの曲も長くはない。落ち着いて弾ける。非常に穏健な作風だ。ただ、ドヴォルジャークのような人好きがする旋律かというと、それほどでもない。そして、ヤナーチェクのような、ひっかかりがする特異な作風かというと、まったく異なる。
面白いのは、最初の2小節が同じで、その後の進行が異なるという組が、複数見られることだ。最初の2小節が同じで実は性格を異にするか、というとそうではなく、気分的に似ている。そのあたりが、「気分・印象・追憶」たるゆえんなのだろう。
ベルリオーズの「幻想交響曲」を聴く ― 2021/12/03 23:59:59
幻想交響曲はほかの交響曲に比べてあまりにもドラマ仕立てなので好きではなかったが、今でもところどころは覚えている。たとえば、ワルツのメロディーとか、怒りの日のメロディーを聴くと、小学生で何もわからずに管弦楽を聴いていた無邪気だった自分を思い出す。もっとも、今だって何もわかってはいない。
リストのピアノ協奏曲第1番を聴く ― 2021/12/04 23:59:59
それで、このリストの第1番が好きかというと、それほどでもない。では嫌いかというと、そういうわけでもない。私が気に入っているのは第3楽章で、その理由というのもトライアングルが活躍するからだ。誰だかが「トライアングル協奏曲」と言っていたのもむべなるかな。
アベノマスクの使い道を考える ― 2021/12/05 19:07:47
私の机の引き出しに、厚生労働省から配布された、使っていない布マスク、いわゆる「アベノマスク」が一つある。布マスクは一人に二つ一世帯に二枚(2021-12-06修正)配られたから、もう一つの、既にない布マスクはどうしたかといわれるかもしれない。この、既にない布マスクは有効に活用したことだけをお知らせする。では、残っている布マスクをどうしようか。マスクとして活用するというのも一つの考えである。しかし、私の家には不織布マスクがたくさんではないにせよ、少しはある。布マスクは小さいし、ウイルスから口や鼻を守ったり、口や鼻から出るウイルスを防いだりする力は不織布マスクより弱い。そこで考えたのは、布マスクを分解して、ガーゼとして活用することだった。具体的には、チェロを練習したあと、弦につく松脂をぬぐうのに使うことにした。物の本には、弦につく松脂をぬぐうにはガーゼがお勧めだと書いてあったのだ。もちろん、ぬぐったガーゼは洗って何度も使う。なお、松脂ぬぐいにあたっては、布マスクをそのまま使うことはせず、分解してガーゼの部分だけを使うことにした。布マスクはガーゼ部分とゴム部分からできているので、ゴムを固定している袋部分の糸を切ってほどいて、輪になったゴム部分を抜いた。なお、はずしたゴム部分も何かのときに使えそうなので身近にいる人にあげた。
私だけのアベノマスクの使い方はこれで決まった。しかし、政府は、配布していない、余ったマスクが大量にあって、倉庫に保管されているのだという。その在庫のマスクは使い道が示されないまま倉庫に眠っていて、今のところ保管料を倉庫会社に払い続けているのだという。まあ、これはムダ使いである。いい使い道があるだろうか。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴く ― 2021/12/06 21:29:49
ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」を聴く ― 2021/12/07 19:37:32
グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲を聴く ― 2021/12/08 19:45:26
原博の前奏曲とフーガ1番を分析する ― 2021/12/09 23:59:59
原博の前奏曲とフーガ第1番を分析しようとしている。前奏曲は 3/8 拍子のインベンション的な軽さがある。ただ、動機の構成が3小節+4小節となっているようなたくらみがある。
フーガの主題は音階主体の前半と足踏みしながら前後をさまよう後半からなり、3声でリズミックに展開される。結尾近くでは輪唱風のカノンになる。ここを聴くと「〽カエルのうたが 聞こえてくるよ」という歌を思い出す。
ドヴォルジャークの交響曲第8番ト長調 Op.88 を聴く ― 2021/12/10 23:59:59
ドヴォルジャークの交響曲第8番ト長調 Op.88 を聴いた。昔私がオーケストラにいたときに弾いたことがあるので、どこかくすぐったい気持ちがした。楽譜は第1楽章冒頭17小節である。
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