酒を飲む2018/08/11 23:00:35

耐えきれなくなって、酒を大量に飲んでしまった。

また酒を飲む2018/08/12 23:00:46

きのうあれだけ酒を飲んだというのに、また今日も酒を飲んでしまった。

禁酒を再開する2018/08/13 22:24:17

8/6から8/10まで、酒を断っていた。8/11と8/12は酒を飲んだが、今日から禁酒を再開した。暑くなった時耐えられるか。

隣に座ったおやじのひじをうっとうしく思う2018/08/14 23:00:33

帰りの電車で空席があったので座った。左隣には手すりがある。だから左側の席にすわった人から邪魔は受けないだろうと思っていた。ところが左隣に座った太ったおやじは、手すりの手前から右ひじをわたしのほうに突き出してくるのであった。私は本を読んで座っていたがじゃまで仕方がなかった。隣のおやじも本を読んでいたが、それはマンガだった。私が読んでいた本はネットワークの本で、マンガではない。

8月15日を迎える2018/08/15 23:17:56

今日は8月15日である。いつも思うのは、「今年も赤紙が来なくてよかった」ということだ。何をバカなことを心配しているのか、と一喝されるだろうが、それでもいい。命あっての物種、というではないか(その物種というのが具体的に何を指すかを知らぬままムダに生きてきたけれど)。

まくり一発!を思い出す2018/08/16 23:00:56

まくり一発!ということばをなぜか思い出した。たぶん、将棋棋士の屋敷伸之九段が好きな言葉として挙げていたような気がするが、思い出せない。

私は埼玉県に居るが、競艇(Boat),オート(Auto)、競輪(Cycle)、競馬(Horse)のどのレースもやったことがない。埼玉はこれらすべてのギャンブルができる唯一の都道府県である。テレビ埼玉では、これらの頭文字により作った BACH(バッハ) プラザという、レースの結果を紹介する番組があるほどだ。テーマ音楽は、バッハの曲である。

で、まくり一発をなぜ思い出したか。小学校6年生のときの担任はなかなか当時としても破天荒で、当時のクラスの教え子たちに家に来させてはパチンコをやらせていたり(まだ手打ちのころで、もう使わなくなったパチンコ台をどこかで拾ってきて家においていた)、競馬中継を見させていたりしたほどだった。

あるとき、テレビの競馬中継を先生とクラスメート何人かで見ていた。スタートから馬が一列にならんでいるのに、遅れて後をつけている馬が一頭いる。教え子の誰かが「一列になっているなかで、どの馬が勝つの?」と先生に聞いた。すると先生の答は意外だった。最後にいる馬を指して「ここのビリの馬がまくって優勝するかもしれないよ」。そのうち、最終コーナーを馬たちが回った。騎手達は鞭を打って追い込みに懸命だ。するとビリだった馬が大きく周回して先に何も邪魔されない状態となった。そして直線になると間もなく、先頭を行っていた馬たちをどんどん追い抜き、一着でゴールした。

私はこのとき「まくり一発」の快感を初めて理解した。

私自身は何にせよ先行逃げ切り型だから、まくり一発に限りなくあこがれる。

児童相談所の役割を考える2018/08/17 23:00:58

最近、虐待事件などで児童相談所が扱われる機会が多くなってきているように感じる。 もちろん、児童相談所では虐待だけではなく、子供(0歳から18歳まで)のことは何でも相談に応じているからである。 今の埼玉県の児童相談所のホームページから、相談内容の例を見てみよう。
養育に欠ける子供の相談
虐待、保護者の家出や病気など、いろいろな事情で家庭で子供を育てられず、施設や里親に預けたい方の相談
性格行動・しつけについての相談
不登校、落ち着きがない、わがまま、反抗などの性格行動についての相談やしつけ・進路・教育・遊びについての相談
非行のある子供の相談
盗み、乱暴、家出、夜遊びなど、非行のある(心配される)子供の相談
里親になりたい方の相談
いろいろな事情で、家庭から離れて生活しなくてはならない子供を育てたいとお考えの方の相談
かくいう私も、自分が児童と呼ばれるころ、児童相談所の世話になっていたことがある。これに関する話は本記事のトラックバックにある「キャンプについて」で書いている。

波崎海水浴場に行く2018/08/18 23:00:23

茨城県にある波崎海水浴場に行って泳いできた。銚子から利根川を渡ったすぐのところにある。「快水百選」に指定されていることもあり、波は荒いがゴミは全くなく、泳いで楽しい浴場だった。

寝ている2018/08/19 23:00:51

昨日は海水浴場で泳いできたので今日は疲れている。ほとんど一日中寝ていた。

電車のなかで本を読む2018/08/20 23:00:14

帰りは電車の中で本を読んでいる。最近、本を読んでいて降りる駅を忘れそうになったり、実際に乗り過ごしてしまったりしている。これは、本を読むのに集中しているからではなく、本の内容がなかなかわからないからイライラしてしまい、その結果駅を降りるという行為を忘れてしまうからだろう。