「アルプスの少女ハイジ」のオープニング「おしえて」を聴く2023/04/11 22:15:59

きのうは伊集加代がスキャットで歌うネスカフェのコマーシャルソング「めざめ」を聞いた。伊集加代のスキャットといえば 11PM のスキャットも忘れられないが、歌詞のある歌もうまい。「このアルプスの少女ハイジ」の開始曲「おしえて」はその代表だろう。昔はアニメを見て素直に喜んだり悲しんだりしていたな。

麻丘めぐみの「アルプスの少女」を思い出す2023/04/12 23:38:28

きのうは「アルプスの少女ハイジ」のオープニングの曲を載せた。それか連想して、麻丘めぐみの「アルプスの少女」という歌を思い出した。「〽だめよ あの人に知られたら 恥ずかしいわ 恋してる アルプスの少女」という節を今でも覚えているのが、それこそ恥ずかしい。楽譜を少しあとで作ったので載せた。アニメの「アルプスの少女ハイジ」の初回放映は、この曲が売り出されてからおよそ3か月後のことだった。


麻丘めぐみの「森を駈ける恋人たち」を聴く2023/04/13 23:59:59

そういえば、麻丘めぐみには、「森を駈ける恋人たち」という歌もあった。時間が少しできたので歌いだしを楽譜にした。サビのところの歌詞がなんとも今思うとナイーブだなと思うがそれがなんとも懐かしい。歳をとったもんだ。

麻丘めぐみの「私の彼は左きき」を聴く2023/04/14 21:46:11

麻丘めぐみといえば、なんといっても「私の彼は左きき」である。これを楽譜にした。歌詞はたわいのないものだが、50年前!はおおらかな時代だった。なお、下の楽譜は 12/8 拍子という変なものになっている。これは、4/4拍子+付点四分音符で書くと、3:1で再生されてしまうためスウィング感が出ないし、付点四分音符の代わりに3連符で書くと今度は書くのもわずらわしいし見るのもうっとうしくなってしまう。そのため、やむを得ず 12/8 拍子で書いたまでのことだ。

そういえば、この歌詞で思い出した。蛭子能収のマンガ「私の彼は意味がない」を読んだ衝撃のことだ。たぶん、蛭子のことは、ねじめ正一の評論で初めて知ったのだと思う。それでマンガをかったのだけれど、蛭子が描くあの不気味な顔つきは怖かった。その後、数学セミナーの「TEA TIME」を見て、蛭子が寄せたエッセイが面白かったことは覚えている。その後数十年して、太川陽介と一緒にバスの旅に出たときにはこれまた驚いた。まあ驚いてばかりで麻丘めぐみとは遠く離れてしまったが、いいことにしよう。


麻丘めぐみの「芽ばえ」を聴く2023/04/15 12:42:37

麻丘めぐみのデビュー曲は「芽ばえ」だ。デビュー曲だからなのか、素直だ。〽悪い遊び憶えていけない子と・・・・・/人に呼ばれて泣いたでしょうの歌詞の「悪い遊び」とは何か、当時はずっと考えていた。そして今もわからないままだ。そして最後のリフレイン〽もうあなたのそばを離れないわ 離れないわ 離れないわが未だに私の頭から離れない。


イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を聴く2023/04/16 16:28:33

身近にいる人と一緒におやつを食べていた。おやつにモハベレーズンの入ったパンがあった。モハベレーズンとは何か、パンの袋に書いてある説明書きを見ると、カリフォルニア南東部にあるモハベ砂漠でとれるレーズンという説明があった。そんなことでカリフォルニアといえば、やはりイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だろう、ということになった。身近にいる人はイーグルスのベスト盤を持っているので、さっそく聞かせてもらった。なんというか、苦い思い出がこみあげてくるのだった。これは、音楽そのものがもつ喚起作用もあるのだが、私には別に「ホテル・カリフォルニア」という名前で思い出す、音楽以外のものが残っていて、そちらのもつ思い出が苦いものだからだ。ではそちらが何か、といわれると答えづらいので、まあいろいろありまして、とお茶を濁しておく。


部屋を整理しなければと思う2023/04/17 23:59:59

部屋を整理しなければといつも思っている。せめて机の上だけでもということでときどき片付けるのだけれど、翌日にはもう散らかっている。もう自分で片付けることはあきらめている。

ハクスリーの「すばらしい新世界」を読もうと思う2023/04/18 23:59:59

私はよく図書館に行く。そこには、私が読みそうにない本がずらりとある。とくに、文芸の棚は私には無縁だ。例外は草加図書館の後藤明生の棚で、ここにはかなり後藤の本があるが、中には貸出禁止になっているのもあるので残念だ。

ところで、最近 Scala という関数型言語を勉強していて、つい「Scala しい新世界」というダジャレを思いついた。「すばらしい新世界」とは、ドヴォルザークの交響曲のことではなく、オルダス・ハクスリーの小説の名前で、ジョージ・オーウェルの「1984年」とならぶ、ディストピア小説の傑作とされる。しかし、私はまだ読んだことがない。ダジャレにするぐらいなら読んでおけよ、と誰かに言われたような気がする。今度図書館で借りてみよう。

foldlということばで思い出す2023/04/19 23:59:59

コンピュータ言語にはいろいろあるのは周知の事実だ。そして、言語の中で特定の操作をする働きをするしくみを関数と呼ぶ。言語が違うと、たとえ働きが同じでも関数の名前が違ってくる。たとえば、畳み込みという演算がある。関数型言語として有名な Haskell では畳み込みは foldl という関数名になっている。fold ということばから、折り畳みという意味が連想される。末尾の l は配列やリストなどに対して左側から畳み込むことから付け加えられていて、右側から畳み込む foldr というのもある。

さて、foldl に相当する処理は他の言語では名前が異なる。たとえば JavaScript などでは reduce という名前が使われる。Ruby では inject となる。C++ では accumulate である。よくぞこれだけ、違う名前をそろえたものだ。

芥川也寸志の「弦楽のための三楽章」を聴く(1)2023/04/20 23:59:59

芥川也寸志の「弦楽のための三楽章」(トリプティーク)を久しぶりに聴いた。第一楽章は、本曲の解説によくみられるように、ショスタコーヴィチの影響が顕著である。だからどうだというのだろう、やはりかっこいいと思う。