鈴木志郎康が亡くなっていたことを知る ― 2022/12/28 19:04:35
わたしは昔現代詩を読んでいた。意味がわからない詩ばかりだったが、意味をとることに疲れていたころ、意味がわからないものに身をゆだねるのが快感だった。
さて、今日来た夕刊を読んでいたら、詩人の鈴木志郎康が亡くなっていたことを知った。私が鈴木志郎康を知ったきっかけは覚えていない。ひょっとして吉本隆明の評論だったかもしれない。とにかく、この得体のしれない詩人を知って私は驚いた。私が読んだ鈴木志郎康の詩は、現代詩文庫の正・続にあったものといくつか買った詩集しかないけれど、初期の詩がだんだん過激になって時期、その後に急に穏当になった時期、そして穏当かつ過激な時期があったように思う。
そういえば、私が通った高校の卒業生のメーリングリストというものがあって、そこに参加していたことがある。自己紹介のとき、誰も知らないだろうと思って好きな詩人が鈴木志郎康と書いた。すると、メーリングリストの参加者から、私は鈴木先生に大学で教わりました、という返事があって驚いた。聞いてみると、鈴木先生はおそらく映像作家として教壇にたったようだった。私は映像作家としての鈴木は全く知らない。機会があれば映画などを見ることができるだろうか。
同じ詩人のねじめ正一が、鈴木志郎康のことを書いた小文があった。私はそれを読んで衝撃を受け、未だに忘れられない。鈴木とその家族のことについて書かれているが、ちょっとここで記すには恐れ多くてかけない。
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