エレファントカシマシの「花男」を聴く2021/10/04 18:18:19

最近、エレファントカシマシの音楽を聴いている。今回は「花男」の歌い出しを楽譜に書き起こしてみた。

この詞には「生きる屍(しかばね)」ということばがよく出てくる。私は自分のことを「生ける屍」と思っているので、この詞には共感する。ただ、最初の連は「生きる屍 こんにちは」となっているが後の連はすべて「生きる屍 さようなら」という前向きな詞になっているので、私のような隠居には荷が重い。

さて、屍ということばは文語的で、特に「生ける屍」というと文学の匂いがプンプンする。実際、トルストイには「生ける屍」と題された戯曲がある(が私は読んだことも、また劇上演を見たこともない)。また、森鷗外の「舞姫」にも「生ける屍」が出てくる。この「生ける」というのは現代ではほとんど使われない。エレファントカシマシの「生きる屍」とはどう違うのか。調べてみたら、この形は五段活用動詞 「生く」に完了の助動詞「り」の連体形が付いたもので、「生きている」という意味だとわかった。「り」は官僚の助動詞とはいっても、この場合は継続を表している。「生ける屍」だと古めかしいので、「生きる屍」にしたのだろう。いずれにしろ、この表現には驚く。

それはそれとして、エレファントカシマシの初期の曲には、表題に男がつくものが多いし、歌詞にも「男」が出てくるものがよくある。ところが、この曲は、どこが花男なのかがわからない。だいたい、花男という単語が日本語の語彙にあるとは思えない。ならば、詞からこれこれこういう意味で花男になるということが言えるのだろうが、私には読解力が不足しているので皆目見当がつかない。

登場人物は、俺、きさま、策士どもである。きさまが策士どもを指すかどうかは、判然としない。では花男とは誰だろうか。俺のことだろうか。では花男とはなんだろうか。花も実もある男、という意味だろうか。

これまたまったく関係ないが、一時期「男」を主人公としてあたかも連作のように集中的に小説を書いていたのが、後藤明生である。わたしはエレファントカシマシの歌を聴くと、後藤明生のことを思い出す。こんな聴き方をするのは私だけだろう。

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_ まりんきょの音楽室 - 2021/10/12 22:11:27

最近はエレファントカシマシの歌を取り上げている。これはいろいろと理由があるのが、ここでは脇に置いておく。さて、エレファントカシマシで歌っている宮本浩次は、文学へのあこ