方向感覚が破壊される2026/01/01 23:59:59

この日は、めったに来ない場所を散歩していた。めったに来ないとはいえ、確実に地理を把握している場所もある。そう思って散歩を始めた。散歩の楽しみには、自分がどこか知らないところを歩くことがある。そして知らない場所をずっと楽しみながら歩いていた。するととつぜん、自分が知っているに出た。ふつう、知らない場所から知っている場所への帰還は徐々に訪れる。ところが、この日の帰還は、自分が知らない場所から知っている場所へ、急にタイムスリップしたかのようだった。これには驚いた。こんなことがあるのだろうか。ひょっとしてこれは、私が耄碌した徘徊老人になったということの始まりなのだろうか。それにしても、元日しょっぱなから方向感覚の破壊を味わってしまうとは、先が思いやられる。

調子を崩す2025/10/19 14:54:07

最近、調子を崩している。体のどこそこが痛いということはないのだが、気分が冴えない、というのが調子を崩していると主張する理由だ。ただ、気分の冴えはふだんからあるかというと、もとからない。普段から冴えていないのを不調と自覚していなかった、という自分の感覚の鈍さによって、今までなんとかなってきたのだった。ところが最近は、気分が冴えない、という思いがずっと頭の中でぐるぐる回っていて、だんだん冴えない程度が増しているように感じられる。

冴えない、と書いたのにはもう一つわけがあって、かつて会社員だった時代に眠っているときに悪夢で目を覚ましたり、起きているときわけのわからない罪の意識に苛まれされたりして苦しむことが、このところ数日に一度、起きている。たぶん、この引き金になったのは秋になって日照時間が短くなり、気温も下がったことによるものだろうと思っている。確か以前も、秋から冬にかけて鬱のような症状になったような気がしている。

ということは、これは気候によるものだということなのだろう。そう決めてしまいたい。そして、こんなことを書くのは、もうこれきりにしたい、と思う。

会社を辞めた今でも週に1,2度は外に行く用事がある。傍から見ればたいしたことのない用事に見えるけれど、それでもその用事で人と会って自分がなす義務を負っている。たとえ調子を崩していても、そんな義務を滞りなく遂行しなければならないと考え、なんとかその日その日を生きている。

祭礼に出会う2025/09/14 23:16:05

今日は錦糸町に用事があった。最寄りの駅から電車を乗り継いで錦糸町の駅で降りることを考えたが、運動のために、そして運賃の節約のために、一つ手前の押上の駅で降りて、そこから錦糸町まで歩くことにした。押上の駅を出ると、神輿が何基か出ていて練り歩いていたので驚いた。そして、祭礼ということばから昔、よくやっていた「バンカース」というゲームを思い出した。

バンカースは、今のモノポリーに似たゲームである。バンカースもサイコロを振ってその場所の土地を買うゲームなのだが、止まるところの土地に「祭礼」というのがあって、そこに止まると5ドルほど(ドルである)寄付をしないといけないのだった。これがどこかいやで、祭礼という行事そのものに嫌悪感を感じるようにまでなってしまった。ただ幸いなことに、祭礼のために寄付を強要されたということは今のところない。ともかく、一駅分はあるいたので健康によかったし、運賃も節約できた。

健康診断を受ける2025/09/08 23:59:59

健康診断が午後、某所であったので行ってきた。受付開始時間より少し前に行くと、係員に案内されて別室で待つように言われた。そこには十人ほどが既にいてやはり受付開始を待っていた。年配の方が多く、こんな会話が聞こえてきた。

「私はなかなか健康診断で尿が出なくてね、いつも手間取るのよ。あなたは」
「私はなんとか」
「私はね、今朝起きて健康診断があるというのがわかっていてね、ただ、午前十一時に急に尿意が襲ってきて一気に出しちゃったのよ。だから、検診では出ないだろうから、困っちゃうのよね」

ちなみに私はこの日、朝いちばんで小用を済ませた後は、この検診までずっと尿意を我慢していた。ついでにいうと水気も控えていたが、これはよくなかったかもしれない。私も健康診断でなかなか尿が出なかった苦い経験を今でも覚えていたからだ。

閑話休題、しばらくしたのち、受付が開始された。私は別室で待った人たちの中では後のほうだったが、どういうわけか各項目の検査が早めに終わり、最後の項目の採血では他の人たちよりも一番最初に終わることになりそうだった。しかし、実際は違った。

採血がおわり、10 分ほど止血バンドで巻いて血が出て来るのを防ぐために待機する時間がある。さてそこで止血バンドを返して返そうとしたが、バンドを返す出口にいるはずの係員がいない。係員を探そうとするが、採血する看護師は作業にかかりきりで声掛けがためらわれた。採血入口の係員をみつけ声をかけたが、「しばらくお待ちください」と言われただけである。仕方なくさらに3分ぐらい担当者を待ったが来ない。すると、次に採血の終わった男が係員のいない窓口と私を見て「誰もいないんだから帰るぞ」と怒った口調で止血バンドを置いて帰ってしまった。このせっかちな男に内心、「この男、どこかで罰が当たらないかな」と思いながらなおも待っていたら、結局入口の係員がやってきたので、バンドを返すことができた。やってきた係員には出血防止の絆創膏もはってもらって、これで健康診断が完了となった。

男性が日傘をさす姿を多く見かけるようになる2025/08/31 15:31:04

最近、男性が日傘をさす姿を多く見かけるようになった。それも、都会だけではない。私が住んでいる場所は都会でも田舎でもないあたりだが、このあたりでもよく見かけるようになったのだ。やはりこれだけ暑いと、日傘は必需品になりつつあるのだろう。ただ、わたしはまだ日傘を買っていない。外出するときにはチェロをかついで行くことが多いのだが、いかんせん、チェロを背負うと日傘がとんでもなくあげないといけなくなり、そうなると日傘の役目を果たさなくなるかだ。考えないといけない。

生活習慣病という名前を考える2025/05/05 22:29:46

いつだったか、「生活習慣病」という名称を変えるべきだ、という提言があったことを思い出した。そのとき気になったのは、「生活習慣病」という名前も、昔「成人病」という名前が名称変更されたものだった。成人病が生活習慣病になったのは、かならずしも「成人病」とされる病気は成人だけがなるものではない、というのが理由であったと聞いている。

ではなぜ「生活習慣病」という名称をまた変えようとする動きがあるのだろうか。あるインターネット上の記事で見てみると次のような主張である:生活習慣病の患者のなかには、不摂生など全くないのに、体質などの要因で生活習慣病になってしまう人がいる、という事実を考慮しなければならないからだという。悪しき生活習慣がないのに「生活習慣病」と診断されてしまうと、その患者は自分をコントロールできないダメな人間とみなされてしまい、差別を受けることになる。だから変えないといけない。

では「生活習慣病」に代わる新しい名前は何がいいのだろうか。頭の体操になるだろうと思ってしばらく考えてみたが、結局私には思いつかなかった。

病名が変更されることは過去にあった。精神分裂病が統合失調症に、痴呆症が認知症になった例がある。そして、生活習慣病の一部とされる糖尿病には、具体的な名称変更の動きがある。糖尿病の代わりに「ダイアベティス」を用いる案が数年前に発表されていたことを知った。こちらの名前を変える理由は、必ずしもダイアベティスの症状は尿に糖が出るものとは限らないこと、尿という排泄物に患者が不快感を覚えることなどがあるという。そうなのか。これは、漢字で造語すると意味がとりやすいことが仇になったのかもしれない。

花粉症と付きあう2025/03/23 22:49:53

この季節は、花粉症に悩んでいる方々が多いと思う。私は診断こそ受けたことはないが、たぶん軽度の花粉症だと思う。鼻水が止まらなかったり、目がかゆかったりするからだ。軽度と思っている理由は、特に医者に行かなくても薬を飲まなくても1か月か2か月程度我慢すればなんとかやり過ごせるからだ。

そうはいっても、本当にひどい時期というのは昔あって、そのときは医者にはかからなかったが市販薬を買ってきて服用していた。その市販薬の効能があったのかどうか、あまり覚えていないが、きっと飲んでいただけのことはあったのだろう。それであれば、今年も花粉症対策の薬を飲めばいいではないかと思う人がいるかもしれない。しかし、私は花粉症の薬は飲まない。理由は単純で、薬に金を使うのはもったいないからだ。

だんだん歳を取ってくるといろいろな反応が鈍くなるという。だから、特に治療をしなくても、加齢を待つだけで花粉症もだんだん軽減していくのではないかと私は思い込んでいる。