フォーレの即興曲第6番を聴く2024/01/08 19:16:36

フォーレの即興曲第6番を聴いた。この曲は原曲がハープであり、私が聴いたのはこのピアノ版である。フォーレのピアノのための即興曲は全部で6曲あるのだが、この第6番だけがハープ曲からの編曲であるためか、扱いが妙に低い。確かに、書法としてはピアノ的というよりはハープ的なのだが、それゆえフォーレとしては華々しさが前面に出ていて、こういう曲もフォーレ没後100年を機会としてもっと知られてほしいと思う。

立ち会う2023/12/17 23:59:59

前日は飲み会だったが、幸い二日酔いということはなく普通に起きられた。ただこの日は、コンクリート長屋にいないといけない用事が2件あり、私が立ち会った。特に異状はなく安心した。立ち会いのあと、音楽の練習があり、そこでピアノを弾いた。もっとピアノを練習しないといけないな。

ドビュッシーのピアノ曲を考える2023/12/14 23:59:59

ドビュッシーのピアノ曲には前奏曲や練習曲といったキャラクターピースの名前が付されているものもあるが、ほとんどが独自の名前をもつ曲がある。だから、キャラクターピースがほとんどであるショパン流の名前の付け方とは違うと思っていた。ところが、きのう書いた安川加寿子編のドビュッシーの「小品集」を見ていて、案外ショパン流のキャラクターピースの命名と似ているのではないかと思った。もちろん、ドビュッシーの前奏曲と練習曲はそのものずばりだ。そのほかにドビュッシーの曲にはこんなものがある。

  • 夜想曲
  • バラード
  • マズルカ
  • ロマンティックなワルツ
  • 英雄のこもり歌

どれも1曲ずつだから、複数曲を書いたショパンとは違うといえば違う(子守歌はショパンも1曲だけ)。やはり、小品の枠だから、あまり聴く機会がない。13曲収められた「小品集」で比較的よく聞かれるのは「夢」だろうか。

ドビュッシーの「ハイドン讃」を練習する2023/12/13 23:59:59

私の家には、いつ、どこで弾くのかわからないピアノ曲集が数十冊眠っている。難しくて弾けないものが多いが、1冊に1曲ぐらいは陽の目を当ててやりたいと思っている。そんな何冊かをとりあげて、1曲に絞って練習している。

まず、1冊めは安川加寿子編のドビュッシーピアノ曲集の最後の巻「小品集」に収められている「ハイドン讃」である(楽譜上の記載は「ハイドンをたたえて」)。なぜこれを選んだかといえば、短いからだ。といっても4ページある。そして、面白い。まるで、ドビュッシーが、ドビュッシーの語法を使って作曲したらどうなるか、という実験を楽しんでいるかのようだ。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を聴く2023/11/29 23:59:59

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を聴いた。この奏者の第1楽章のカデンツァはベートーヴェンによるものだった。私としては、奏者自身によるものとか、他の作曲家によるものとかも聴いてみたい。

ドビュッシーの「月の光」を聴く2023/11/27 23:59:59

ドビュッシーの「月の光」を聴いた。この曲がディズニーの映画「ファンタジア」に使われる予定だったということを知ったのはつい最近である。「ファンタジア」を初めて見たのは30年以上前、仕事の同僚の部屋で、ビデオで見せてもらったときで、実はそのときから全く見ていない。有名だけれど見ていない映画はたくさんあり、「ファンタジア」もその一つだ。いつか見てみたい。ほかにも、「月の光」が使われた有名な映画に「オーシャンズ11」があるが、これも見ていない。まだまだ見たい映画はたくさんある。

ソナチネアルバム第1巻第7番を思い出す2023/11/25 19:02:20

私はピアノを稽古事として習ってきた。当時のピアノの稽古では、ソナチネアルバムを練習するのが普通だった。そのとき、ソナチネアルバムの最初に習うのだが、第1巻の第7番だった。あるピアノの本を読んでいて、「最初に習うソナチネアルバムの第7番」という記述を見て、思い浮かんだ曲は、たぶんその本の著者が思い浮かべていたのと同じものだった。譜例をみて確信した。さて著者はこのソナチネに関していう。「第1楽章の展開部の始まりが不吉な予感がする。なぜなら増4度だから」という意味のことが書かれている。確かに、左手のFと右手のHは増四度の音程だから不安だろう。しかし、右手のHに続いてはDHGGとくるのだから、この小節全体をとればただのメジャーセブンスに過ぎない。だから私にとっては不安という気分はほとんどしない。ただ、そんなふうに理屈をこねているから、すれっからしになってしまって、音楽を素直な気持ちで表現できないのだろう。

いま、この楽譜を書いていてこの増4度以上に不思議に思ったことがある。この譜面の最初の右手の H には調号がついていない。次の小節には H の音はそもそも出ていない。そして、3小節めの左手の H にはわざわざ本位記号のナチュラル(♮)が付与されている。これは何を意味するのだろうか。1小節めのメジャーセブンスが2小節めでマイナーのトニカに解決するからそこでハ短調の調号が意識され、Hに変記号の♭が付くと奏者が意識するのだろうか。その意識をひきずっているから、このあとHの音にずっと本位記号が付くのだろうか。一応は解釈してみたが、本当のところは謎である。


ハノンを思い出す2023/11/24 23:59:59

私はピアノを二人の先生に習ってきた。最初の先生についたときはハノンは練習しなかった。二人目の先生についたときは初めてハノンを習ったが、全くいい思い出がなく、ハノンは忌しい存在でしかなかった。その後、何人かのピアノの練習場面にいる機会を見た。プロのピアニストは指ならしに音階やアルペジオのほかにハノンを必ず弾いていたような気がする。驚いたことに、アマチュアでもハノンの一節を弾く人がいることがわかった。私はハノンが嫌いだったから、アマチュアでハノンを弾く人はきっと良質な教育を受けてきたのだろうと思う。いや、ハノンを弾かない人で、稽古を受けた教室が悪質だという意味ではない。ハノンを習ってその後も練習でハノンを弾く人は、ハノンに対する悪いイメージを持たず、素直な心でピアノに向かっていて、昔も今もその素直な心を持ち続けている人ではないかと思うのだった。

久石譲の「Summer」を聴く2023/11/04 22:29:54

この日は某所に行ってピアノを聴いてきた。ある方がメドレーの中で久石譲の「Summer」を弾いていた。ソドレミで始まる有名なこの曲を聴いて、今から4年前の夏を思い出した。

4年前の夏は、まだコロナがなかったころだ。某ビルのロビーで夏に弦楽合奏を披露する機会ができたので、仲間と曲を選ぶことにした。夏に聴いてもらうわけなので、夏がテーマの曲を一つは入れたいと思い、私からは久石譲の「Summer」を提案した。幸いこの提案は受け入れられた。久石譲のネームバリューゆえだろう。

苦い思い出もある。 その前の夏にも同じように披露する機会があり、筒美京平の「夏色のナンシー」を私からは提案したが私より一回り以上若い仲間は知らなかったため却下された。

さて、「Summer」はなかなか仕上がらず、難航を極めた。なかなか思うような音が得られず、いっそのこと「Summer」はやめて他の曲に集中したらどうかとリーダーが言い出す始末だった。提案した私は同意するわけにもいかず、うまくいかない箇所の譜面をカットしたり、私には珍しく練習で発言して少しでも今よりいい音色が出せるよう働きかけたりした。そうやって練習するうちにリーダーも少しずつ軟化し、「Summer」をやめるとは言いださなくなった。

本番のロビーではそこそこ客が集まったように思うが、私はよく覚えていない。忘れられないのは、練習中にか本番が終わった後でかどちらかは忘れたが、ビオラを弾いた方のことばだ。「この曲のクライマックスで、ビオラが1小節以上同じ音をずーっと伸ばすところがありますね。私はここを弾いているときが快感で、ああ、ビオラを弾いてよかった、と思うんです」ビオラ弾きというのは、こういうところに心地よさを見出すものだと感心した。

忘れられないことはもう一つある。昼に終わってその日はみな午後の仕事は休みをとっているということで打ち上げを近場でやることになった。ところが、若い仲間が頑張って探してもなかなかいい場所が見つからない。オフィス街だし、なかなか昼間酒が飲める広い食堂はないようだった。そこで私は、確実に利用できると思われる中華料理店に目星をつけ、そこに電話をしたところほぼ貸し切りで昼間から飲み放題2時間コースがあるとのことで、そこを利用することにした。終わって楽器を担いでその店に向かって歩くこと約十分、その日も快晴だったから外は暑かった。最年長の仲間が「暑いねえ、なかなかつかないねえ」とぐちをこぼしたが、私は無視した。若い仲間が近場をなかなか見つけられず苦労したんですよ、と言いたくなるのをかろうじてこらえた。ではなぜ、目星をつけることができたのか。理由はまだ誰にも言っていない。

あれから4年たった。コロナをはじめとするいろいろな理由があり、もうこのビルでこの仲間たちと一緒に弦楽合奏を披露する機会は二度とないだろう。久石譲の「Summer」を聴くと、そんな夏の暑い日の一コマを思い出す。

ショパンの練習曲を聴く2023/11/02 23:26:40

ショパンの練習曲の一部を久しぶりに聴いた。よくできていると思う。