『小田急ピポーの電車』を聴く2026/04/17 17:39:12

私は昔、小田急線の駅を最寄り駅にしていた。駅で電車を待っていると、警報音を鳴らしながら通過していく特急ロマンスカーをうらやましくも、うらめしくも思ったことが何度もあった。

そういえばあの警報音を取り入れた歌があったのではないかと思って探すと、三木鶏郎の作詞・作曲になる『小田急ピポーの電車』というテレビコマーシャル用の歌があることがわかった。ボニー・ジャックスとザ・ピーナッツが歌う豪華版だったのには驚いた。楽譜にしたうち「小田急 小田急 ピポピポ」のところで、警報音を模しているのがわかる。ちなみに私はこの曲をきょう初めて聴いた。そのぐらいには若い。また、音源再生時の楽器種類は、警報音に敬意を表してビブラフォンを選んだ。


アネモネポルトを惜しむ2026/04/16 22:40:22

アネモネポルトの花

先月の終わりに、育てていた花が咲いた。アネモネポルトという花だ。ただ今月の初めになってだんだんと散ってしまい、今は残っていない。慌ててアネモネポルトの花の写真を載せた。

「漢字を開く」という言い方があることを知る2026/04/15 22:50:06

ある方のブログを読んでいて、「漢字を開く」という言い方があることを初めて知った。「漢字を開く」というのは、漢字を使ってもひらがなを使っても表記として正しい場合に、漢字を使わずにひらがなを使うことをいう。具体的に開くべき漢字は人によってさまざまだ。逆に、ひらがなの表記を漢字に書き直すことを「閉じる」という。

たとえば、上記の段落でいえば、「或る方」という表記があれば「ある方」にすることが「漢字を開く」ことに相当する。「平仮名」という表記があれば、「ひらがな」という表記にするのも漢字を開くことに相当する。「様々だ」も「さまざまだ」としてしまえば漢字を開いたことになる。

私のブログは比較的開いていると思う。特に、SくんとKくんとか、イニシャルで特定の人物を指すときは、「君」ではなく「くん」として開く。この方が優しい印象を与えるからだ。

はるか昔、しんぶん赤旗の日曜版を読んだことがある。この日曜版を見て驚いたのは、ほとんどの表記が「開い」ていたことだ。おそらく漢字を使っているのは名詞だけで、動詞でさえ(スル動詞を除いて)開いてような気がする。つまり、「ひらく」、「とじる」という表記だった。たぶん、記憶違いに違いないのだが、その開き方が半端ではなかったという印象が強く残っている。

自分がブログを書くときは漢字の開き閉じには結構迷う。「子供」か「子ども」か、「友達」か「友だち」か、などだ。私は、今の考えでは「子供」、「友達」を使うと思うが、ひょっとしたら時により「子ども」や「友だち」を使っているような気がする。あるいは、「友達」か「友だち」か迷うのがいやで「友人」という別の単語に置き換えることが多い。

ただ、漢字を開くか、閉じるか以前に、一つの記事で表記に揺れがあるのが最もまずいことだ。まずはそこから気を付けていこう。

フンメルのトランペット協奏曲を聴く2026/04/14 23:12:53

フンメルのトランペット協奏曲を聴いた。フンメルの曲で知っているのはほとんどなくて、私が持っているピアノソナタ選集にフンメルのピアノソナタヘ短調があり、これを少し弾いたことしかない。また、トランペット協奏曲というジャンルが不案内で、私はハイドンのものしか知らない(バッハのブランデンブルク協奏曲第2番をトランペット協奏曲というのであればこれは知っている)。フンメルに戻ると、トランペットの音色が輝かしく、なかなか聴きごたえがあった。

古書店に行く2026/04/13 22:23:58

今日は身近にいる人と一緒に古書店に行った。といっても、物色したのは本ではなくCDだった。お目当てのCDが何枚かあったので、買って帰った。天気もよく、よい一日だった。

最近頭が働かないことが多いと感じる2026/04/12 22:07:12

最近頭が働かないことが多いと感じるようになった。これは自分の問題だけであればまだしもなのだが、人の話を誤解して頓珍漢な回答をしたりすると人に迷惑をかけてしまう。すると、もう人が集まるところに出るのをよしたほうがいいのだろうかと疑心暗鬼になってしまう。そうして人の集まりに出なくなると、ますます耄碌してしまう。困ったことになったものだ。

マーラーの交響曲第6番を聴く2026/04/11 21:47:49

マーラーの交響曲第6番を聴いた。私がこの曲で注目していたのは、ハンマーをどこで打つか、ということがほとんどで、曲そのものを聴く態度とはとてもいえない。次回聴くときには、曲そのものを聴くように心がけよう。

ワーグナーの「ブリュンヒルデの自己犠牲」を聴く2026/04/10 23:33:10

ワーグナーの「ブリュンヒルデの自己犠牲」を聴いた。感想は後程記す。

ねずみ色という表現を考える2026/04/09 22:27:24

最近ある人から聞いた話を少し改変して紹介する。私に語ったその人が老人福祉施設へ行ったところ、高齢の婦人が色鉛筆を使って塗り絵をしていて、傍らに施設の若い職員がついていた。すると婦人が色鉛筆の束をしばし見て、「ねずみ色の色鉛筆はどこ?」と職員に尋ねた。すると職員は「ねずみ色?」とあっけに取られた様子になり、しばらく言葉を発しなかった。この二人のやりとりを見るに見かねたその人は、つい大声で職員に向って「グレー」と叫んでしまった。職員はやっと色がわかってねずみ色の色鉛筆を探して婦人に渡したという。

今の若い人には「ねずみ色」ということばが通用しないのだろうか。「灰色」ということばなら通用したのだろうか。いろいろ考えさせられた。そういえば、世界中で一番有名なミッキーマウスは何色だったろう、と思い出そうとしたがどうしても思い出せなかった。インターネットで見てみると、服を脱いでいるとき、上は黒色だった。

関連した話を思い出した(細部はあやふやで史実とは異なっている可能性が大である)。第二次世界大戦でフィリピンを占領した日本軍であったが、フィリピンの戦いで日本軍は敗れた。しかし、日本降伏後も現地の島に残った日本軍の兵士がいた。その日本兵が現地の島に住んでいることがのちにわかったことから、(おそらくは日本国政府が)その日本兵に対して投降を呼びかけることにした。おそらくは日本兵が隠れていると思われるジャングルに向って、次のように拡声器で呼びかけという。「ただいまからオレンジ色のもの(車?衣服を着た人?)を見かけたら、安心して投降してきてください。」これを聞いて、その日本兵は投降しないと決めたという。なぜなら、オレンジという、敵国語を使う相手は信用ならず、きっと傀儡政権に違いないと信じ込んだからだ、というものだ。

そう、このとき「みかん色」とか「だいだい色」といえばよかったのだが、このように呼びかけたときにはすでに、オレンジ色という呼び名が多数だったのかもしれない。

ショパンの夜想曲ロ長調 Op.62-1 を聴く2026/04/08 23:44:49

私の知り合いの某氏が、ショパンの夜想曲(ノクターン)ロ長調 Op.62-1 を弾いているのを YouTube で聴いて驚いた。某氏は切れ味鋭いヴィルトオーゾ的な曲を好んでいるだろうから、このような曲を弾くことはないだろうと思い込んでいたのだった。実際に聴いてみるとなかなかすばらしい演奏であった。

私は、ショパンのこの夜想曲を、ショパンの曲の中で好んで聴いている。自分でもかつては弾いていたが、引越しでショパンの夜想曲集を処分してしまってそれからは弾いていない。でも、某氏の演奏を聴いていて、自分でも再度練習してみようと一瞬だけ思った。