セットリストという名前を考える2025/01/01 23:59:59

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

私が聴いてきたコンサートは昔からずっとクラシックだった。しかし、最近は縁があってロックのコンサートにも出かけるようになった。ロックのコンサートで演奏した曲を順に並べたものを「セットリスト」ということを最近知った。ロックのコンサートは事前のこの曲をこの順序でやります、というプログラムを配ることはない。「セットリスト」はもとは演奏者が曲順をキーやMCのタイミングなどと合わせて決めた書き物としての一覧のことを言ったらしいが、今では書き物に限らず、実際に演奏した曲目とその順序のことを言うようだ。略語は「セトリ」である。

さて、長々とセットリストのことを書いたかというと、コンピュータ言語を長らくやっていると、セットという概念とリストという概念は似て非なるものなので、これら二つの単語を並べられると違和感を覚えるのだ。

どんなコンピュータ言語にも、複数のデータを一括して扱える構造がある。この一括して扱う構造は、一般にコレクションと呼ばれる。そのコレクションにも様々な種類があるコレクションの個々の種類の呼び名は言語の種類によってさまざまだが、ここでは Python(パイソン)という言語を例にとろう。Python には、コレクションの中にセットという構造とリストという構造がある。セットがもつ要素には重複は許されず、また順序ももたない。たとえば、[4,1,2,6] とかいても、[1,2,4,6]と書いても、また[1,1,4,2,2,6]と書いても、すべて同じセットとみなされる。しかし、リストは順序は決まっているし、要素の重複も許される。つまり、[4,1,2,6]と[1,2,4,6]と、[1,1,4,2,2,6]は異なるリストである。

ここでセットリストの話に戻ろう。つまり、セットとリストは、コンピュータ言語の世界で似て非なる概念であるのにもかかわらず、ロックのコンサート(ライブと呼ぶべきか)ではセットリストと呼んで、なんともみんな思っていないのだ。これは実に気持ち悪い。きっと、コンピュータ言語をやっていてロックのライブに行くやつらはゴマンといるはずだが、こういうやつらはみななんとも思っていないのだろうか。

コンピュータの概念に照らせば、ライブのセトリはリストであるがセットではない。だから単に「リスト」と呼べばいいのだが、なぜそうしないのだろうか。それにしても新年から実にどうでもいいことを書いてしまった。

「ボマルツォ公の回想」を読み始める2025/01/02 23:59:59

家には積読の本がかなりある。この場合の「積読」には一度は読み通したが「読み通した」という感想しか残らなかった本もはいる。さすがにそれではまずいだろうというので、一度は読んだ本をもう一度読み直すのを2025年の目標にしようと思う。その手始めは、ムヒカ=ライネスの「ボマルツォ公の回想」である。この本はなかなか厚く、尋常なことでは読み進められないと思った。そこで、大学生4年のときに同じ学科の学生と野沢湖近くのスキーに行ったときに、夜寝るまでに何もすることがないときに、宿で読もうと思ってこの本をもって行ったのだ。この本の筋はまるで覚えていないが、スキーに行ったときの宿で読んだということだけは覚えている。

いざ読み始めたが、やはり大変だ。「ベンベルート・チェッリーニ」という名前だけ、とこかで聞いたことがあり、たしかこの名前がついた曲があったはずだが、と思い調べたら、ベルリオーズにこの名前のオペラがあることがわかった。たぶん、このオペラの序曲を何度か聴いていたのだと思うが、どんな曲だかすっかりわすれてしまった。いや、「ボマルツォ公の回想」を読むのが先だ。

とつぜん「相模原市民の歌」を思い出す2025/01/03 23:45:56

きのうだったか、きょうだったか、某所を散歩していたら「〽柴胡の原の昔より」という節をとつぜん思い出した。たしかこれは私が育った相模原関係の歌のはずだと、と見当をつけた。相模原にちなんだ歌といえば、私が通った相模原市立の小学校2校と同じく市立の中学校1校があるが、そのどれでもない。「相模原音頭」も覚えているが、このような歌詞でない。ということは「相模原市民の歌」だろう。よく、こんな歌を思い出せたものだ。なお、柴胡の原の「柴胡」とは、ミシマサイコという一種の薬草のことで、現在相模原には自生していない。

エレファントカシマシのライブに行く2025/01/04 23:09:30

エレファントカシマシ武道館ライブ

この日はエレファントカシマシのライブを聴きに、日本武道館に行った。武道館に入るのは何十年ぶりだろうか。それだけで武道にもライブにも疎いことがよくわかる。近くまで行ったことは何度もあり、その形は美しいとそのたびに思っていたが、中に入るのはまた格別だ。身近にいる人と私の二人の席は、悪いなかではまだいい方、というものだった。ライブが始まるとみなさん元気になった。もちろん私も元気になった。聴いた歌の中ではso many people が印象に残っている。

Scilabを久しぶりに眺める2025/01/05 23:43:38

いろいろ最近はコンピュータのことで悩んでいて、その悩みの解決をしたいと思って、Scilab を久しぶりに調べてみた。すると、2025 年のバージョンが既に出ているではないか。そして 2024 年は全く Scilab のことを調べてなかったのに気がついた。これからは Scilab を調べよう。

計算をする2025/01/06 23:11:06

今日は昼用事を済ませて、用事が終わった後ある種の計算をするために、一生懸命考えたり、プログラムを組んだりしていた。プログラムはほぼ完成したのだが、どうしても一点妙に符号が合わないところがある。それがすめば解決するはずだ。

図書館に行く2025/01/07 22:20:19

この日は図書館に出かけた。いつもはコンピュータや理工学の本を借りて来るのだが、今回は珍しく小説を多く借りてきた。果たしてこの年になって小説を読めるだろうか。小説は想像しなければならないので理工学書を読むよりかえっていまの私には大変なのだ。

計算結果を確かめる2025/01/08 23:14:57

きょうは午後2時半過ぎまで大事な用事があった。なんとか用事が終わったあと、休憩をして以前から取り組んでいる種本のプログラムの計算を続けた。その結果がどうも異なっているので種本をよく見てみると、種本の文の一か所に小さな数字があることに気が付いた。なぜ気が付いたかというと、その数字に赤いマーカーで印がつけられていたからだ。ひょっとして、おれの計算式はこの小さな数字を見逃していたのか。確かに私のプログラムではその小さな数字を考慮していなかった。この数字を考慮したプログラムに修正して再度計算を行ってみると、種本通りの結果が出た。きっと、数十年前の私は、この種本を読んでプログラムをしたときに数字が違うのに悩んだに違いない。そして、よく読んでみてこの小さな数字を見逃していたことに気づいて、大事だぞという意味で赤いマーカーで印をつけたのに違いない。数十年前の俺に礼を言う。

計算にメドがつく2025/01/09 22:32:30

去年から、他の人にはまったくどうでもいいことなのだが、自分のなかでモヤモヤしていた計算方法がやっと実装できた。あとはいろいろなデータで試してみて、書籍や他のホームページの数値例と合致することを確かめたいと思っている。

細かな計算をする2025/01/10 23:27:26

きのう、計算にめどがつくということを書いたが、実はまだ細かなところで作らないといけない計算がまだあったことに気づいた。いいところまでいったが、今日中には完成しなかった。また明日以降だ。