料理本をたたえる ― 2018/11/11 23:00:09
私は結婚するときに、かなりの本を処分した。それでも百冊ぐらいの本はもってきて、さらに今でも増えつつある。つれあいには、私がもっている本はただ1冊を除いて無価値であるようだ。例外の1冊とは「ベターホームのひとり分の料理」というハードカバーの小型本だ。なぜこの本を買ったかというと、雑誌「数学セミナー」で紹介されていたからだ。数学セミナーはその名前の通り、数学に関する話題がほとんどである。私は独身時代、最初は賄いつきの寮に住んでいたが30歳で寮を出て一人住まいを始めた。そのころたまたま数学セミナーで数学本の紹介と同時にこの本が紹介されていて「大学生で初めて一人住まいをする人も多いだろう、そのときに栄養が偏らないようにこの本でバランスよく食事をとりなさい」という意味の(おそらく大学の数学の先生による)推薦があった。それを信じて買ったのだが、私の悪い癖である積読がここでも出て、実践となる料理はほとんどしなかった。独り暮らしを4年続けてつれあいと一緒になり、料理が全くできない私はつれあいにこの本を託した。つれあいは「この本はよくできている、あんたが買った最高傑作だ」というのだった。
無料の本を読む ― 2018/11/12 23:00:11
2018年11月12日
あるアプリをスマートフォンにインストールした。無料で本が読める機能があるという。喜んだのもつかの間、実は有料本のエッセンスだけだった。それはそうだよな。
で無料の本2冊をスマートフォンで読んでみたけれど、これだったら有料本を買わないな、というレベルだった。どちらも「こうすれば成功する」という本だったが、その手の本は夢を見るだけで十分だ。「失敗を恐れていては成功しない」というけれど、そもそもなぜ成功する人と失敗する人に分かれるかというと、失敗する人は失敗を恐れているからだ。いわゆるマーフィーの法則である。
さらに私の考えはひずんでいく。世の中には成功している人と失敗している人がいるが、なぜ両方いるかというと成功している人は失敗している人の失敗を踏み台にして成功しているからだ。もっといえば、誰かが成功すれば誰かが失敗するはずだ。成功と失敗の総和はいつでも世界規模ではゼロである、と私は信じている。
話が変な方向に進んでしまったが、これからは無料本を読むことはしないという。その代わり、今までお金を出して買った本を読みなおしたり、まだ読んでいない本を読んだりすることに向けようと思う。
あるアプリをスマートフォンにインストールした。無料で本が読める機能があるという。喜んだのもつかの間、実は有料本のエッセンスだけだった。それはそうだよな。
で無料の本2冊をスマートフォンで読んでみたけれど、これだったら有料本を買わないな、というレベルだった。どちらも「こうすれば成功する」という本だったが、その手の本は夢を見るだけで十分だ。「失敗を恐れていては成功しない」というけれど、そもそもなぜ成功する人と失敗する人に分かれるかというと、失敗する人は失敗を恐れているからだ。いわゆるマーフィーの法則である。
さらに私の考えはひずんでいく。世の中には成功している人と失敗している人がいるが、なぜ両方いるかというと成功している人は失敗している人の失敗を踏み台にして成功しているからだ。もっといえば、誰かが成功すれば誰かが失敗するはずだ。成功と失敗の総和はいつでも世界規模ではゼロである、と私は信じている。
話が変な方向に進んでしまったが、これからは無料本を読むことはしないという。その代わり、今までお金を出して買った本を読みなおしたり、まだ読んでいない本を読んだりすることに向けようと思う。
反発を覚えたコラムを思い出す ― 2018/11/13 23:00:08
私は偉い人の言葉は信じない。違う人間だからだ。もちろん、尊敬する人はいるけれど、その人が言うことを何でも聞き入れるかというとそういうことはない。つまり、その人に心酔するということはまずない。少なくとも、生きている人には心酔しないことにしている。危険だからだ。
ところで、例外的にこの人だったら偉くても親近感がわくかもしれない、と思える人が何人かいる。東レの偉い人だった佐々木常夫さんという方はその一人だ。佐々木さんは「毎日新聞」の朝刊にコラムを寄せていた時期があり、その内容はどれも面白く、かなり共感して読んだ。しかし、一つ、確実に私が反発したコラムがあった。それは「若いときはガムシャラに働け、ワークライフバランスなんか考えるな」という内容だった。私は、若いころがむしゃらに働けなかった。働くことに関してどこか冷めていた。それは、働くことだけでない。勉強することとか、遊ぶこととかも、すべてはほどほどだった。今思えば、若いころはがむしゃらに何かをすべきだったのかもしれない。だが、私の青年期に影響を与えたのは北杜夫とか森毅だった。これらの人からは、怠けものであること、ちゃらんぽらんであることこそが貴いものだということを学んだ(あるいは曲解した)。これではがむしゃらとは合わないわけだ。
ところで、例外的にこの人だったら偉くても親近感がわくかもしれない、と思える人が何人かいる。東レの偉い人だった佐々木常夫さんという方はその一人だ。佐々木さんは「毎日新聞」の朝刊にコラムを寄せていた時期があり、その内容はどれも面白く、かなり共感して読んだ。しかし、一つ、確実に私が反発したコラムがあった。それは「若いときはガムシャラに働け、ワークライフバランスなんか考えるな」という内容だった。私は、若いころがむしゃらに働けなかった。働くことに関してどこか冷めていた。それは、働くことだけでない。勉強することとか、遊ぶこととかも、すべてはほどほどだった。今思えば、若いころはがむしゃらに何かをすべきだったのかもしれない。だが、私の青年期に影響を与えたのは北杜夫とか森毅だった。これらの人からは、怠けものであること、ちゃらんぽらんであることこそが貴いものだということを学んだ(あるいは曲解した)。これではがむしゃらとは合わないわけだ。
電話帳が消えていく ― 2018/11/14 23:00:44
公衆電話が消えていくことを何度も私は嘆いている。実は公衆電話がなくなるのと同じぐらい、電話帳が消えていくのを嘆いている。最近は公衆電話があるところであっても、電話帳がない。
私はよく、知らない場所で店を探すとき、電話帳を使っていた。たとえば、ある駅の近くで将棋道場がないか知りたいとする。そんなとき、公衆電話を見つけ、その電話機のそばにある電話帳で道場をさがし、住所と電話をメモする。そして、電話はせず、住所を頼りにあたりをうろつくのだ。
電話帳が消えているのは、今はこんな暇なことをする人はいないからだろう。
私はよく、知らない場所で店を探すとき、電話帳を使っていた。たとえば、ある駅の近くで将棋道場がないか知りたいとする。そんなとき、公衆電話を見つけ、その電話機のそばにある電話帳で道場をさがし、住所と電話をメモする。そして、電話はせず、住所を頼りにあたりをうろつくのだ。
電話帳が消えているのは、今はこんな暇なことをする人はいないからだろう。
予想が裏切られる ― 2018/11/15 23:00:36
勤務先で仕事をしていたら、結果が予想しない値となった。裏切られた、と思い悩んでしまった。
そういえば、「裏切り」ということばを最近は使っていない。私は、他人を裏切ることを決してしない、よくできた人格者である、ということはない(回りくどい)。むしろ他人から裏切られることが多い人物だ、と自分では思っているが、それは自分の被害妄想だろう。
ところで「裏切り」という言葉は今まで実生活ではめったに使うことはなかった。せいぜい、歌謡曲の中でしか出てこないことばだった。さて、どんな歌謡曲に「裏切り」が出てきたか。クリスタルキングの「大都会」はすぐに思い浮かぶが、私が好きな歌謡曲は大都会ではなかった。
「♪はぐれ鳥帰るとき 空は悲しみ色に」という歌詞だったはずだ、確かこの曲に「裏切り」ということばが入っているはずだ、調べよう、と思い、調べた結果を見て驚いた。この歌詞が入っている曲「陽かげりの街」には、「裏切り」ということばが出ていない。どこで混線したのだろう。
そういえば、「裏切り」ということばを最近は使っていない。私は、他人を裏切ることを決してしない、よくできた人格者である、ということはない(回りくどい)。むしろ他人から裏切られることが多い人物だ、と自分では思っているが、それは自分の被害妄想だろう。
ところで「裏切り」という言葉は今まで実生活ではめったに使うことはなかった。せいぜい、歌謡曲の中でしか出てこないことばだった。さて、どんな歌謡曲に「裏切り」が出てきたか。クリスタルキングの「大都会」はすぐに思い浮かぶが、私が好きな歌謡曲は大都会ではなかった。
「♪はぐれ鳥帰るとき 空は悲しみ色に」という歌詞だったはずだ、確かこの曲に「裏切り」ということばが入っているはずだ、調べよう、と思い、調べた結果を見て驚いた。この歌詞が入っている曲「陽かげりの街」には、「裏切り」ということばが出ていない。どこで混線したのだろう。
眼科に行く ― 2018/11/16 23:00:26
眼科に行って検査を受けてきた。異常はないようだ。まずはほっとする。
ところで、少し前にある眼科医が書いた本を立ち読みした。内容はいろいろあったが、面白いなと思ったことがある。
それは、言葉遣いに関するものだった。眼科医は眼医者と呼ばれさげすまれているが、そんなことはない、という主旨だった。
私の語感では、眼医者と呼んでもさげすんだ感じとは思わない。眼医者という呼称は患者にとっての身近な存在であり、親しみがもてるものだから来ているのだと思う。むしろ誇らしいと思ってほしい。
〇医者がというのは他には歯医者ぐらいだ。他の標榜科は堅苦しい言い方しかないではないか。内科医、外科医(だいたい「げか」と読むこと自体、能力がいる)、耳鼻科医、整形外科医、耳鼻科医(耳医者とか、鼻医者とか、喉医者とか呼びたくとも呼べない)、皮膚科、などなど。
エスペラントでも、眼科は oftalmologio というおそらくは由緒正しい、そして目を意味する okulo からは導出困難な語彙がある。そんなことを思い出した。
ところで、少し前にある眼科医が書いた本を立ち読みした。内容はいろいろあったが、面白いなと思ったことがある。
それは、言葉遣いに関するものだった。眼科医は眼医者と呼ばれさげすまれているが、そんなことはない、という主旨だった。
私の語感では、眼医者と呼んでもさげすんだ感じとは思わない。眼医者という呼称は患者にとっての身近な存在であり、親しみがもてるものだから来ているのだと思う。むしろ誇らしいと思ってほしい。
〇医者がというのは他には歯医者ぐらいだ。他の標榜科は堅苦しい言い方しかないではないか。内科医、外科医(だいたい「げか」と読むこと自体、能力がいる)、耳鼻科医、整形外科医、耳鼻科医(耳医者とか、鼻医者とか、喉医者とか呼びたくとも呼べない)、皮膚科、などなど。
エスペラントでも、眼科は oftalmologio というおそらくは由緒正しい、そして目を意味する okulo からは導出困難な語彙がある。そんなことを思い出した。
フォーレの部屋を更新する ― 2018/11/17 22:15:01
<a href="http://www.ne.jp/asahi/music/marinkyo/" target="_blank">フォーレの部屋</a>のうち、室内楽関係の各ページを更新した。
机の上が散らかっている ― 2018/11/18 23:00:34
机の上が散らかっている。片付けようとおもって散らかった書類を薄いカバンにいれているが、そのカバンの中身が片付けられずに机に再び広げてしまい、この動きを繰り返す一種の永久機関のようになってしまっている。
この不毛な往復運動を止める手立ては一つ、書類を捨てることであるが、なかなかできない。やってしまえば快感なのだが、そこまでのふんぎりがなかなかつかない。困ったものだ。
この不毛な往復運動を止める手立ては一つ、書類を捨てることであるが、なかなかできない。やってしまえば快感なのだが、そこまでのふんぎりがなかなかつかない。困ったものだ。
法律を考える ― 2018/11/19 23:00:44
ときどき法律を勉強している。法律の条文を読んで、自分は恵まれていると思う。条文が理解できるからではない。読んで条文が理解できないからだ。どういうことか。たとえば、抵当に入っている物件がある。それが差し押さえられるとはどういう場合か。多重の抵当に入っているときにどのような優先順位がつくか。なぜわからないかというと、実感がわかないからだ。自分の住んでいる家が抵当に入っていたことがあるか、というとそれはある。ただそれは自分の住んでいる家のローンを払っているときに、ローンが払えなくなった場合にその家を借金のかたにとる、という約束の抵当である。今はローンを返し終えたので抵当権解除の手続きをして、今はない。実家はどうだったかというと、そんなことは気にしていなかった。おそらく親はローンを払っていただろうし、その間は同じように自分の家とはいえ抵当に入っていたのだろうが、子供である私には告げることはなかった。おそらく、現金がなかったりとか、現金があっても金遣いが荒くて手元不如意であったりとかしたら、それ自体は不幸であっても、債権とか、債務とか、抵当とか、そういうことばは苦もなく理解できただろう。
理解できないことを我ながら腹立たしく思うが、理解できない理由が恵まれていたことであれば、それはそれでよかったのだと思う。
理解できないことを我ながら腹立たしく思うが、理解できない理由が恵まれていたことであれば、それはそれでよかったのだと思う。
内燃機関を考える ― 2018/11/20 19:56:57
日産
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