ブラームスの交響曲第2番を聴く2024/02/29 23:59:59

ブラームスの交響曲第2番を聴いた。私は小さなころから交響曲を聴いているが、悪い癖がある。緩徐楽章をほとんど覚えていないのだ。いや、これは交響曲だけではなく、協奏曲や室内楽曲、独奏曲など、いわゆる複数楽章の形式で書かれた曲すべてにあてはまる。こまったことだ。ブラームスの交響曲でいうと、第3番の緩徐楽章は冒頭だけ覚えているが、あとの第1番、第2番、第4番の緩徐楽章は覚えていない。第2番の楽譜を見たけれど思い出せない。修行が足りない。

武満徹の「ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に―」2024/02/28 19:42:46

武満徹の「ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に―」を聴いた。

J.シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲を聴く2024/02/26 23:59:59

ヨハン・シュトラウス二世の喜歌劇「こうもり」序曲を聴いた。最近は作曲者を紹介するときにヨハン・シュトラウス一世か二世かを、特段言わないようだ。たいていJ.Strauss といえば二世のほうで、一世のほうはラデツキー行進曲などに限られているからだろうか。

さて、この「こうもり」序曲には思い入れがある。私がオーケストラで初めてチェロで参加して引いた曲だからだ。しかも、その初回のオーケストラのあとで、別のオーケストラでも弾いた、私がただ一つ2回弾いた曲でもある。つまり、私のオーケストラ体験は非常に貧弱なものであることがわかる。

楽譜は冒頭の数小節を、弦だけに限って写したものだ。ここを聴くだけでわくわくする。


ヨハン・シュトラウスの「芸術家の生涯」を聴く2024/02/25 17:13:38

ヨハン・シュトラウス二世の「芸術家の生涯」をオーケストラで聴いた。わざわざオーケストラとしたのは、私が今までこの曲を聴いてきたのはもっぱらゴドフスキー編曲によるピアノ版だけだったからだ。もちろん、オーケストラのほうが原曲だ。オーケストラで聴いたのは初めてではないはずだが、初めてに聞こえた。聴いた感じがどうだったかというと、ピアノの編曲のほうが面白く、オーケストラの方がつまらないという、シュトラウスには申し訳ない結論に達した。ちなみに、私が聴いたオーケストラではこの曲名が「芸術家の生活」になっていて、なんだかちょっとはぐらかされた感じがしたが、現在はこれが正しいという。原題は、Künstlerleben であり、「芸術家の生活」としているのは日本ヨハン・シュトラウス協会での正式訳によるものという。なぜ、「生涯」が「生活」という訳になったかということは Wikipedia に解説がある。日本語の妙な律義さがかえって困ることもあるようだ。

なぜこのような結論になったかというと、どうやら最初に聴いたのがゴドフスキー版だったから、というのが理由である。私にとって、オリジナルでも編曲でも、最初に聴いたほうがかっこいいと思ってしまう傾向があるようだ。もちろん、後に聴いたほうも、最初に聴いたほうもどちらもいいと思うことがある。たとえば、バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番の「シャコンヌ」は、最初オリジナルを聴きすばらしいと思ったが、その後ブゾーニの編曲したピアノ版にも感動した。オリジナルは編曲版に劣るということは思っておらず、それぞれが独自の地位を保っていると思う。

吉松隆の交響曲第5番を聴く2024/02/23 23:59:59

吉松隆の交響曲第5番を聴く

フォーレの「ペレアスとメリザンド」から「シシリエンヌ」を聴く2024/02/20 22:38:51

「糸を紡ぐ女」の次は有名な「シシリエンヌ」である。この「シシリエンヌ」はもとはチェロとピアノのための曲だったが、この劇音楽で転用された。私はチェロを趣味で弾いていて、この曲をチェロでさらったこともある。チェロとしてもいい曲だが、フルートのほうがかっこいいなと思ってしまう。昔のブログにフォーレのシシリエンヌを聴くとした記事も書いている。

フォーレの「ペレアスとメリザンド」から「糸を紡ぐ女」を聴く2024/02/19 19:36:32

フォーレの「ペレアスとメリザンド Op.80」から「糸を紡ぐ女(Fileuse)」を聴いた。「糸紡ぎ」というのは、音楽的なものなのだろうか。フォーレのオペラ「ペネロペ」にも糸を紡ぐ場面につけられた音楽があるし、ほかにもいろいろな作曲家の「紡ぎ歌」がある。この「ペレアスとメリザンド」の「糸を紡ぐ女」には、レオポルド・アウアーによるヴァイオリンとピアノのための編曲がある。ただ、この編曲はヴァイオリンの細かな音形が最初に出るので、あまり好きではない。

下の楽譜は、アウアー編曲の楽譜をさらに改変して、ヴァイオリンがメロディーを奏するようにしたものだ。


フォーレの「ペレアスとメリザンド」から「前奏曲」を聴く2024/02/18 23:44:26

フォーレの「ペレアスとメリザンド」から「前奏曲」を聴いた。こういってはなんだが、フォーレの音楽は、とくにこの「前奏曲」は、わかる人にしかわからない、という特性があるのではないかと思う。もっとも、「わかる人にしかわからない」ということばはトートロジー(同語反復)という気がするので、意味のあることばではない。言い方を変えれば、フォーレの曲の中で、もっとも繊細な肌触りがするのではないかと思う。

スヴィリドフの小三部作を聴く2024/02/12 22:12:38

スヴィリドフの小三部作を聴いた。

小澤征爾の訃報に接する2024/02/11 23:59:59

小澤征爾の訃報に接した。世界的指揮者であるが、私は氏の演奏を生で聴いたことがあるかどうかあやふやだ。あやふやというのは、ないという可能性が高いが、聴いたことがある可能性も捨てきれない。ただ、今となっては確かめるすべがない。何を聴いたということ、たぶんマタイ受難曲である。氏はマタイ受難曲をレコーディングしているから、演奏会も開いているはずだ、と想像してもおかしくはないだろう。それで、印象はどうだったかというと、まったく覚えていない。ひょっとしたら、「鶏が三度鳴く前に、お前は私を知らないという」という有名なくだりのあたりは印象に残っているかもしれないが、それは(小澤ではない別の誰かの指揮による)レコードを聴いたときの印象かもしれない。とにかく、小澤のCDがあれば、そのうち借りよう。買おう、と書けないのが弱い。