小節を考える2024/06/18 22:28:57

昔から考えていることがある。音楽において、小節とは何か、ということだ。「小節-いかに読み、いかに書くか」という評論がかけるかもしれない(この題は、後藤明生の「小説-いかに読み、いかに書くか」のもじりである)。

きっかけは、ベートーヴェンのピアノとヴァイオリン、チェロのための三重奏曲「大公」を聴いたときの違和感だった。第1楽章の第1主題はいい。ところが第2主題がおかしい。私のリズム感覚がずれているためか、途中で拍がずれてしまうように聞こえる。このずれが何に起因するのか長らくわからなかったが、最近楽譜を見て驚くべきことに気づいた。ピアノで提示される主題が弱起だったのだ!これが弱起とわからなければ、当然ヴァイオリンやチェロが追いかける主題も弱起とわからないわけで、混乱するのも無理はない。

私の知り合いのAさんが、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番を弦楽四重奏曲に編曲した。このとき、第4楽章のフーガが弱起であることを四重奏の演奏者に意識してもらったのだが、(弱起であるようには)聞こえなかったという。これに関連してAさんの知り合いのBさんに言わせると、ベートーヴェンは全般的に弱起の書き方が下手くそなのだそうだ。例として、熱情(ピアノソナタ第23番)の第3楽章の経過句(DesC BCBAs GAsGF E のことだろうか)、テンペスト(ピアノソナタ第17番)の第1楽章(AG GFFEED )とか、クロイツェルの2楽章とか、エリーゼのために(EDis EDisEBDC A)などを挙げている。なぜか、ここにあげたうち、ピアノソナタ3曲はわたしは弱起として感じるのだが、これは曲を聴くより前に楽譜になじんでいたからそういうものとして刷り込まれてしまっているからだろう。クロイツェルの2楽章は、あまり聴いたことがなく、また楽譜もしらないからよくわらかない。「エリーゼのために」は、たしかに下手な弱起だ。これは昔から聞いていて、楽譜を見て弾いてもいつも混乱する。そして最初に書いた大公だ。やはりベートーヴェンは下手なのだろうか。

あと、意味がわからない弱起もある。ロンドハ長調51-1だ。普通の強起でもいいはずなのだが、なぜだろう。古典派には(そしてクープランには特に)この種の意味不明な弱起が多いのがわからない。そしてフォーレの夜想曲第6番も、クープラン風のわけのわからない弱起である。私がもっている楽譜には「弱起である理由を考えよ」という解説があるが、解答がない。私が受験生なら非常に不安になるところだ。

フォーレでは強起なのに弱起に聞こえる曲がある。ピアノと弦のための五重奏曲第1番の第3楽章だ。これは私のウェブページのどこかに載せている。そのほかに、小節の区切りを間違えていたのが、フォーレの師匠、サン=サ-ンスの交響曲第3番の第2楽章だ。

ほかにも、小節の区切りを間違えて覚えている曲はわんさかあるはずだ。いつか自分のウェブページに書き出したいと思う。このブログはそのためのメモである。