ラウティオの組曲を聴く(3)2022/06/11 10:39:39

きのうに引き続き、ラウティオの組曲を聴く。第3曲は「オスティナート・リトミーコ」で、伊福部昭が好きそうな表題だ。ピアノの語法に満ちた、輝かしい作品だ。楽譜作成ソフトの都合で上の五線と下の五線にまたがった連桁ができないので、上の五線だけに音を寄せることにした。左手で弾くのは1拍め表と3拍め表、4拍め裏の3回だ。右手はB-Fの音形を繰り返せばいい。もちろんこの先は難しい。

ラウティオの組曲を聴く(4)2022/06/12 15:16:35

ラウティオの組曲の4回めだ。IV. Intermezzo とある。前の曲がオスティナートだったから、というわけではないと思うが、この曲もオスティナートがかなりの部分を支配している。 なお、この組曲ではすべてメトロノームの指定があるが、すべて ♪ c. = xx というように、約の表記になっている。楽譜表示ソフトで c を入れてしまうと MIDI で正しいテンポでの再生ができないと思うので、今まで楽譜ではc. の表示をいない。


ラウティオの組曲を聴く(5)2022/06/13 22:07:32

ラウティオの組曲の最後の「トッカータ」を聴いた。これはなんというか、ショスタコーヴィチの作品に似ている。というのも、ラウティオの作風を調べようとおもってインターネットで検索しても、あまり情報がないのだ。Wikipedia にはフィンランド語のページしかない。もちろん私はフィンランド語はわからないが、 uusklassismista (mm. Sergei Prokofjevilta ja Dmitri Šostakovitšilta) という記載を見れば、なんとなくプロコフィエフやショスタコーヴィチに近いという気がしてくるではないか。


白水社のニューエクスプレスプラスの本を見て考える2022/06/14 22:55:21

世の中では円滑なコミュニケーションが重要だといっているが、コミュニケーションというのは伝達すべき何かがあるから重要なのだと思う。しかし、私には伝達すべきものがないし、受容したいものもない。おまけに、私は読み書き会話に疎い。何を言っているのかと思うかもしれないが、日本語だけでなく、英語もエスペラントも疎い。

しかし、言語の本を読むのは好きで、語学書はいくつかある。そんな語学書に、白水社のニューエクスプレスプラスという一連の書籍がある。もとはエクスプレス〇〇語であり、それがニューエクスプレス〇〇語になり、さらにニューエクスプレスプラス〇〇語になったという。これらの変遷は何が違うのかわからないが、たぶんニューがエクスプレスについた時点で、CD が付くようになったのだと思う。ニューのつかないエクスプレス〇〇語は、エスペラント語とフランス語、そしてイタリア語を持っていた。エスペラント語(厳密にはこれは牛の牛肉だが、他のエクスプレスの本と同じように「語」の字をつけたようだ)は、なぜかエスペラントに興味を抱いた 1990 年ごろに買ったような気がする。またフランス語とイタリア語は結婚する少し前に買ったような気がする。というのも、新婚旅行をイタリアとフランスに行くことにしたので、少しは言語を学んでおかないといけないような気がしたからだ。なお、上海語を買う予定もあったが、これは買わなかった。なぜ中国語ではなく上海語かといぶかる向きがあるかもしれないが、それは言うほどのことではない。

ニューエクスプレスプラスになって、改めてエスペラント語を買い、それから中国語とロシア語、タミル語を買った。タミル語は知らない人が多いだろうが、インドの公用語の一つであり、私が足しげく通っていたインド料理の店がタミル語だったので興味を持ったのだ。あと、公立図書館ではけっこうニューエクスプレスプラスの書籍がそろっているのでありがたい。あれば借りている。

さて、不思議に思うことがある。ニューエクスプレスプラスの本は数多くあり、結構珍しいことばもあるが、なぜこの言語がないのかと思うこともある。たとえば、バルト三国の言語のうち、ラトヴィア語とリトアニア語はあるが、なぜかエストニア語はない。もっとも、ラトヴィア語とリトアニア語はどちらもバルト語族であるが、エストニア語はウラル語族(フィンランド語やハンガリー語など)であるので違うといえば違うが、それが理由ではあるまい。それから、ウクライナ語はあるが、ベラルーシ語はない。さらに、現代ギリシア語はあるが、古典ギリシア語はない(なお、ラテン語はある)。ニューがつかないエクスプレスシリーズでは古典ギリシア語はあったようだ。ほかにも最初のエクスプレスではあったのにニューがついてからは出なくなった語があるようだ。

今のところニューエクスプレスプラスの発行は一段落したのだろうか。

ラヴェルの「子供と魔法」を聴く2022/06/15 21:40:01

録画していたビデオに、ラヴェルの「子供と魔法」があったので聴いてみた。ときどきラヴェルの語法の曲が聞こえてきた。あまりオペラには興味がないが、まずは画面抜きで聴くのも悪くはない。

映像についてであるが、主人公の「子供」の恰好がどこかおかしかった。「子供」」なので、短パンにつばを後ろ向きにした帽子をかぶっているが、その実は恰幅のいいメゾソプラノの女性であった。声はよろしい。

順位戦の番人を考える2022/06/16 20:54:58

プロの将棋棋士は、日本将棋連盟に所属している。ただし、女性は日本将棋連盟に所属している場合もあれば、日本女子プロ将棋協会に所属している場合もあるし、これらの団体に所属していない例もある。以下述べることは、日本将棋連盟に所属している棋士についてである。なお、日本将棋連盟に所属している女性棋士はすべて「女流棋士」という資格での所属であり、ここでいう「棋士」からは除外する。

棋士は、基本的に、順位戦というリーグ戦に参加している。基本的にということは例外があるということだが、これについては触れない。

順位戦は5つのリーグからなる。A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組である。先に述べた級・組ほど、位が高い。ある級・組で上位の成績を挙げればそのすぐ上の級・組に昇級する。その逆もあり、成績が振るわなければ、そのすぐ下の級・組に降格する。順位戦の名は、この順位のみがものをいうことを如実に表している。つまり、順位が上の棋士は下の棋士より格上であるということが一目でわかる。サッカーの J リーグはこの順位戦を参考にしたという話もあるやに聞いている。

さて、この順位戦では特定の級・組にずっと所属している、すなわち昇級もせず陥落もせずという棋士がいる。以前、C級1組の日浦市郎八段のことについて書いたが、ほかにも特定の級・組に所属している棋士がいる。引退した武市三郎七段はC級2組に長くいた。ほかの棋士はどうだろうか。

たとえば、川上猛七段は、C級2組でやはり長くいた。川上七段は「C2の番人」と呼ばれた。C級2組に長くいたからだろうが、なぜ武市七段は「C2の番人」とよばれなかったのかがわからない。

番人といえば、B級1組に長くいてB1の番人とよばれたのが松尾歩八段である。松尾八段は2011年度B1から降級して2012年度からB級2組にいる。さて、ほかの組の番人はいるのだろうか。

岡林信康の「チューリップのアップリケ」を聴く2022/06/17 21:31:16

すでに私のホームページで書いたが、私が小学校4年生のときの先生は型破りだった。音楽の時間は、というより自分が好きなときに勝手に音楽の時間にして、ギターで弾き語りをするのだった。そのほとんどが、今でいう「放送禁止歌」だった。今日はそのうちの一つ、岡林信康の「チューリップのアップリケ」だ。今の日本には歌が多くあふれているけれど、貧乏と家庭問題を正面から取り上げた歌はそんなにない。

将棋界の A 九段を探す2022/06/18 19:25:15

将棋のプロで A 九段といれば、誰だろう。年季の入った人ならば、青野照市九段、淡路仁茂九段、有吉道夫九段の名前を挙げるだろう。青野九段は現役、淡路九段と有吉九段は退役だが、三人とも名棋士の名に恥じない。この三人にはイニシャルのほかに共通点がある。

まず、反則に関するエピソードが多い。淡路九段は「反則王」として名高いし、有吉九段と青野九段も反則に関しておもしろい挿話がある。

そして、豊川孝弘七段によるダジャレに使われている。「取る一手」のことを「青野取る一」、「間に合わない」ことを「間に淡路」、「味がいい」手のことを「味よし道夫」というなどである。

キャプテンのオープニング「君は何かができる」を聴く2022/06/19 22:48:50

きょうはふとしたことがきっかけで、新たなソドレミで始まる曲が見つかった。キャプテンというテレビアニメのオープニングテーマの「君は何かができる」である。私は年のせいでもう何もできないが、こういう前向きな曲は素直に聴ける。

フォーリーブスを思い出す2022/06/20 20:01:38

ふとしたことがきっかけで、フォーリーブスを思い出した。あれだけ人気があったグループなのに、歌が思い出せないのは不思議なことだ。タイトルだけでいっても「地球はひとつ」、「踊り子」、「ブルドック」くらいで、節が思い出せるのは「地球はひとつ」の繰り返し、「踊り子」の歌いだしぐらいだ。それでも「歌って踊れる」という形容詞の似合うグループだった。