加藤一二三九段の逝去を知る ― 2026/01/23 13:34:00
今日は1月23日である。だからというわけではないが、この間亡くなった加藤一二三九段のことを書いてみる。
私が将棋に興味を抱いたのが小学校6年生のときだ。中学校1年生になって将棋の友達ができて、その流れで将棋のプロという制度があることを知った。そして、家が購読していた新聞の下に、将棋のプロが残した棋譜があるのに気付き、切り抜いてスクラップブックに貼っていた。棋譜を見てみると、プロの棋士の名前がだんだんわかってくる。私の好きな有吉九段の他、中原、米長、大山、二上、内藤らの名前があり、当然加藤一二三の名前もあった。将棋の友達とは「加藤いちにーさん!」などと、不敬なことを言って笑っていたような気がする。
高校に進んで、家の近くのデパートで将棋まつりがあることを知り、出場してみた。高校2年生のときに出場して予選を突破し、準決勝では負けたが3位決定戦で序盤で陽動振飛車を用い、中盤で焦土作戦を敢行して無事勝利を果たした。そんな40年以上前のことまで覚えているぐらいうれしかった。そのとき、加藤一二三の姿を見かけたのだった。私の将棋に注目してくれるかなと淡い期待を抱いたが、当然そんなはずもなかった。
それ以降加藤の姿を実地で見たことはなかったが、テレビで多くのバラエティーに出ているのには驚いた。歯がほとんどなくなっていたし、あるときなど鼻毛が鼻から除いていることさえあった。それでも、将棋に一途な姿は私がいうのもおかしいが、健気だった。
さて、加藤九段の逝去を受けて、驚いたことがある。羽生九段がX(旧Twitter)で発した文面にである。
加藤一二三先生の御帰天の報に接し 、 心から哀悼の意を表します。
この御帰天
という言葉が初見であった。調べてみると、カトリック教徒が亡くなったときに使われることばが帰天なのだそうだ。さすがは羽生だと思った。
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