徒歩帰宅を考える2024/03/15 23:59:59

避難訓練に関連して、徒歩帰宅についても考えることがある。都心から自宅への徒歩帰宅は危険だという主張が最近聞かれるようになった。たしかに、もろもろの要素を考慮すると徒歩帰宅は危険で、勤務先にとどまるのが自身の安全を確保するには最善だろう。

しかし、それでも多くの人は自宅にもどろうとするだろう。勤務先にとどまるのは「安全」ではあっても「安心」ではないからだ。少なくとも、私にとってはそうだ。以前、東日本大震災があったときに両国から越谷まで徒歩で帰宅したのは、勤務先が「安心」とは思えなかったからだ。普段の業務でこき使われている私が、非常時になればますますその指示を受けて混乱することは目に見えている。これではとても安心とは思えない。当時の状況であれば「安全」よりは「安心」をとった。もちろん、徒歩で避難できるという確信が、あらかじめ徒歩で帰る道筋を確認するなどの備えをしていたlことなどからあったからだ。

その後勤務先が新宿に代わってから、新たに道筋を確認してきたが、両国から越谷よりは多少道筋が複雑になり、時間もかさむことがわかった。徒歩の帰宅はやはり大変だ。将来同じようなことが起こった時、安全をとるか安心をとるか、悩んでいる。

避難訓練を考える2024/03/13 23:59:59

東日本大震災から13年がたった。私は勤務先から歩いて5時間かけて自宅にたどり着いた。その後、首都圏で地震があったときに徒歩で帰宅することについては、否定的な意見が多く聞かれる。たしかに、徒歩で帰宅する危険は多い。冷静に考えればそうだ。しかし、では帰宅をせずに勤務先やその周辺にとどまることが最善なのだろうか。

東日本大震災から数年後、私が当時勤めていた勤務先が両国から新宿に移転した。しかも移転先は超高層ビルだった。同僚が、「東日本大震災を受けたのに何で超高層ビルに行くのか、バカじゃないのか」と吐き捨てるようにいった。私もまったくその通りだと思った。

超高層ビルでは避難訓練が半年か一年に一度ある。私は毎回参加していたが、移転を決めた幹部連中は業務が忙しいのか、あるいは足腰が弱って階段が下りられないのか、それとも参加しないことが自分の地位の高さで思っているからか、さては耳が聞こえず字も読めないからか、避難に参加したことは一度もないように見えた。

自己点検で思い出す2024/03/11 23:59:59

そういえばむかし、ある大きな事件をきっかけにして、某組織が自己点検ということをやったことがあった。それに関連して、こんなことをある人から聞いたことがある。そのある人というのは、これから話題にする(某組織ではない)ある組織にいた人ではない。私に語ったある人は、話題にする組織にいた方から聞いた話だそうだ。こう書くと、まるでプラトンの「饗宴」みたいだが、「饗宴」ほど高尚な話ではない。

A社は傘下にいくつかの子会社を持つ大企業である。その組織で、子会社も含めて法令を順守しているかを調べるため、自己点検を毎年している。

あるとき、新たに入った子会社B社も含めて百数項目を超える自己点検を行った。A社はじめ従来の子会社は順守率は95%を超え、なかには100%に達した会社もあった。ところが、初めて自己点検を行ったB社は70%を下回った。B社の社長は恥をかかされたといってB社の点検集計者に怒り、とにかく順守率を上げろと檄を飛ばした。

そこで、B社の集計者は法令違反の詳細を調べるため、自社の営業のところに行った。ある項目での違反違反の証拠を見せてもらうと、取引先はA社だった。A社に確認すると、その項目での違反はないとA社では報告されていた。これはおかしい。取引での違反だからどちらも違反である。しかし、B社は正直に違反だと報告したのにA社は違反なしと報告した。B社集計者はA社に訂正と再調査を要求したが、A社は訂正も再調査も拒否した。

その後の話は誰も知らない。

スーパーマーケットでビニール袋をたくさん持っていく人を見かける2023/12/30 21:47:21

きょうスーパーマーケットに行ったら、サッカー台にあるポリ袋のロールからポリ袋をたくさんちぎって持っていくおばさんがいた。不思議に思ってその人を見ていると、おばさんは私に気づいた様子で、少し私を気にしたと思ったその後、さらにたくさんのポリ袋を巻いて自分のカバンにしまっていた。この行為は目に余るのではないかと思い私から目を背けてしまった。ただ、その後どうなっているのか気になって物陰に隠れておばさんの行為を見てみると、私が視界から消えたのをいいことに相変わらずポリ袋をどんどん巻いて持っていった。あまりの激しさに、自分がそのポリ袋がいるというより、スーパーに対するいやがらせではないかと思うほどだった。

情けなかったのは私が注意できなかったことだが、私が注意したとしてそのおばさんは「何が悪いのか」と食ってかかったのではないかと思うほどだった。

靴がどんどんダメになっていく2023/09/16 18:27:56

きのうはスキャナーが壊れた記事を書いた。そういえば、ゴムを使っているものがどんどんダメになっている。靴の底がはがれるという記事を先月書いたばかりなのだが、その後別の靴も底がはがれてしまった。私という人間もダメになっているが、それと並行して靴もダメになっているようだ。

メタボ基準の腹囲85cmを考える2023/08/22 23:59:59

前から不思議に思っていることがいろいろある。たとえば、メタボリックシンドロームの基準が、男性の腹囲(ウエスト)85cm以上というのがある。これは身長のことを考慮していない。ふつうに考えたら、身長が高くなれば健康な範囲内で腹囲も増えるはずだから、たとえメタボでない人も身長が高い人は必然的に腹囲85cmを超える率が高くなり、「空振り」になる人が増えるのではないか。

こんな疑問に答えるかようなページがある。国立がん研究センターのホームページにある身体指標とメタボリックシンドロームとの関連について という記事だ。これを読むと、身体指標として、ウエスト、ウエスト/ヒップ比、ウエスト/身長比、BMIの4つをとり、これらと他のメタボ診断基準との関連を調べたところ、これら4つの間に有意な(意味のある)優劣はなかったという。なんだ、そうなのか。がっかりである。

食えない奴がいる2023/07/26 23:59:59

世の中には「食えない奴」がいる。この言い回しは単に「嫌な奴」「嫌いな奴」というだけでない、生理的なものがあるように思える。私には嫌いな奴が2人+αいるが、最初に挙げたαでない2人は「嫌いな奴」である。他のαには、食えない奴が何人もいる。食えない奴は「嫌いな奴」に昇格させるのが嫌だ。そこに食えない奴の本質があると思う。

迷惑をかけていると感じる2023/07/22 21:04:01

最近、自分の音感覚がとみに衰えていることを感じる。そして、衰えが人に迷惑をかけていることを自覚するようになった。今日、音楽の練習に行ってその自覚を強くした。問題となった事件は、ブラームスの六重奏曲第1番Op.18の第4楽章を練習していた時だ。私は第2チェロを担当していた。そして、次の個所にさしかかったとき、どうも協和していないと思った。きっと私の音程が上ずっていたのだが、それを耳が認めたくなかったのだ。指揮者がこの音程をとがめ、何度か練習したので、私もやっと自分の音程が誤っていたのを認め、協和するようになった。自分も年を取ったものだ。

なお、下の楽譜には1拍裏から2拍表にかけてのスラーに関して、2拍表のスタカートが書いてあるが、実際の楽譜にはない。なぜ余計なスタカートを付けたかというと、音源を再生するときに2拍表と裏の音が同じであるためつながって(タイで)聞こえてしまうので、やむをえず音を切るのをコンピュータに伝えるためにスタカートを入れざるを得なかった。

ステルス値上げを嘆く2023/01/14 23:59:59

ステルス値上げということばがある。私がよく買っている煎餅🍘は、価格は同じだが内容量が減った。これと同じことは今年買った手帳にもあった。私が最近使っているのはB6版の手帳で、一か月単位の見開きのページがあり、また一週間単位の見開きページもあるものだった。これと同じものを今年も買おうとしたら XXX 円高い。値上がりしたのか。よく探すと、一か月単位の見開きページだけがあり、一週間単位の見開きページがなくなったものが売られていて、これは去年までの手帳と同じ値段だった。今までより多くの金を出しても従来と同じものを買おうか、それとも一週間単位の見開きページがない、しょぼいけれど値段が同じものを買おうか、20分以上逡巡した。結局、しょぼいけれど値段が同じものを買った。ステルス値上げを嘆いているが、どのように抵抗すればいいのか私にはわからない。

白杖を持った人の行動に驚く2023/01/05 23:59:59

この日は埼玉県にあるビルで下りのエスカレーターに乗っていた。私がエスカレータに乗るときは、必ず右側に乗っている。なぜかというと、一列に並んでもう一列を開けるのは、いやだからだ。ついでにいうと、埼玉県には埼玉県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例というのがあり、利用者の義務(第5条)として、
立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない。
と定められているからだ。 エスカレーターの安全利用について
ところが、私の後ろからぶつかってくる人がいた。その人は私の左をすり抜け、すぐ私の前に来てさらに歩いてエスカレータを歩いて下って行った。その人は白杖を持っていた。

私がエスカレータの右側に立っていて、人がぶつかってきたことは数えるほどしかない。なぜ白杖を持った人がぶつかってきたのか考えようとしたが、なかなか考えがまとまらなかった。