ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/38 を聴く ― 2021/01/21 20:48:48
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/40 を聴く ― 2021/01/22 19:40:27
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/36 を聴く ― 2021/01/23 13:53:57
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/36 嬰ハ短調を聴いた。ハイドンの短調のソナタは数が少ない。まして、嬰ハ短調という調性をとるというのは珍しい。しかし、つくりはごく標準的である。第1楽章はどことなくロマンティックなようだが、端正だ。第2楽章ではスケルツァンドという名前の Allegro con brio だが、おふざけというよりはかしこまった舞曲である。第3楽章はフィナーレのメヌエットで、なぜかハイドンのピアノソナタにはフィナーレにメヌエットがおかれていることが多い。このメヌエットは第1楽章と同じ嬰ハ短調だが、トリオが嬰ハ長調になる(楽譜参照)。なんとなくしっとり聞こえるのは気のせいか。
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/14 を聴く ― 2021/01/24 10:23:04
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/6 を聴く ― 2021/01/25 19:03:32
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/6 ト長調を聴いた。このピアノソナタは4楽章であるが、ベートーヴェン以降の本格的なピアノソナタの4楽章制とは違って、どことなく組曲のにおいがする。
さて、各楽章をどのように評してよいか、わからない。第1楽章はつかみどころがないが、一言でいえば落よくきのない楽章だ。第2楽章はメヌエットで、付点が出てくるのが少しおもしろい。第3楽章は左手に3度進行が出てきて妙な気がするが、当時のフォルテピアノでは澄んで聞こえていたのだろう。第4楽章は楽譜を見てほしい。最近、いつもいっているが、モチーフをどのように区切ったら * さま * になるのだろうか。よくわからない。
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/9 を聴く ― 2021/01/26 19:41:07
ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/8 を聴く ― 2021/01/27 19:12:31
ハイドン「天地創造」第1部を聴く ― 2021/01/28 19:25:09
ハイドンのピアノソナタを聴き続けてきた。長かったが、ハイドンのピアノソナタ Hob. XVI/8 を聴くで最後となった。次はオラトリオを聴くことにしよう。ハイドン「天地創造」第1部を聴いた。
ものの本によると、本曲の成立については次のとおりであるらしい。ハイドンがイギリスに行ったおり、ヘンデルのオラトリオを聴いて感激し、自身もオラトリオを作ろうと奮起した。イギリスのプロデューサーが早速ハイドンにオラトリオを委嘱し、聖書やミルトンの「楽園喪失」をもとにした台本をもとにして「天地創造」を作り上げた。初演は大成功であった。
本曲は現代にいたるまで演奏されているが、私の乏しい演奏会体験では生演奏を聴いたことはない。たまたまハイドンCD50枚セットにこの「天地創造」があったのでいい機会と思い聴いてみた。
さきのような成立事情を覚えていたため、全体がヘンデルのオラトリオのように聞こえて仕方がなかった。ヘンデルとハイドンでは音楽語法が全く違うはずなのに、そしてヘンデルのオラトリオも、メサイアしか聞いたことがないのに、なぜか同じに思える。それどころか、ドイツ語がわからないためか、モーツァルトのオペラとも似たところがあるように聞こえてしまう。なんということだろう。
譜面は冒頭のピアノ・リダクション譜である。なかなか流動的な転調だ。まだ何もない混沌の状態から神が世界を作ったことを表しているのだろうか。
ハイドン「天地創造」第2部前半を聴く ― 2021/01/29 19:00:00
第1部に引き続き、ハイドン「天地創造」第2部の前半を聴いた。第2部ではソリスト3人による三重唱が初めて披露される。そのあとで三重唱と合唱による「主は、その力によりて偉大なり」"Der Herr ist groß in seiner Macht"が響く。楽譜は、この合唱部分である。バリトン(バス)が響くこの箇所が好きだ。
ハイドン「天地創造」第2部後半を聴く ― 2021/01/30 20:11:27
ハイドン「天地創造」第2部の前半を聴いたあと、ハイドン「天地創造」第2部後半を聴いた。最後の合唱が壮麗でよいのだが、楽譜を見て少しあきれた。ドイツ語で歌う場合と英語で歌う場合で節が違うのだ。管弦楽はドイツ語の節を前提として書かれているようなので、英語で歌う場合もドイツ語と同じ節でよいのに、なんでこんなことをするのだろう。
最近のコメント