エレファントカシマシ カヴァーアルバム 3 の感想を続ける2024/03/01 23:06:52

少し前に「エレファントカシマシ カヴァーアルバム 3 ~A Tribute To The Elephant Kashimashi ~」の感想を書いた。このとき、わたしの感性が摩耗しているためか、どれを聴いてもオリジナルを超える迫力を持つものはないように思える。と記したが、その中で私が好きな声が菅原卓郎が歌う「風に吹かれて」だった。この10曲の10グループはどれもつわものぞろいで個性派であるが、この菅原の歌が比較的、おとなしい声だから、という理由である。いや、おとなしいのではなく、私が好きな声だから、という積極的な理由だ。好きに理屈はない。

BOØWY を聴く2024/03/02 11:53:54

ザ・カセットテープ・ミュージックでBOØWYを聴いた。BOØWYは名前はよく聞くのだが実際のバンドはほとんど聴いたことがなかった。ということでザ・カセットテープ・ミュージックで紹介された何曲かを聴いてみた。なるほど、かっこいい。なかでも、史上もっとも単純な松井恒松のベース・ソロには感動した。

がっかりする2024/03/03 14:30:38

この日はある家事を遂行する予定だったが、うまくいかなかった。原因をしらべ、翌日以降再挑戦したいが、やる気が出ない。どうしようか。結論は今日はやけ食いをすることにした。

シューベルトの「冬の旅」を思い出す2024/03/04 22:47:01

私が参加しているオーケストラで、指導者が「シューベルトの音楽はオーケストラ曲であっても、歌が、リートがあるのです。美しき水車小屋の娘でも、冬の旅でも、聴いてください。」と団員に向かって説いていた。そういえば、「冬の旅」を全曲通して聴いたことがあったかどうか、忘れてしまった。

昔、親に買ってもらったシューベルトの2枚組のLPレコードの片面に「冬の旅」の抜粋があった。抜粋曲をすべて覚えてはいないが、第1曲「おやすみ」、第5曲「菩提樹」、第24曲「辻音楽師」があったことは覚えている。当時の私は、最後の「辻音楽師」のあまりの暗さに驚いて、「菩提樹」から「辻音楽師」の間にどんな歌が収録されていたか、全く覚えていないのだった。

スピッツの「ロビンソン」を聴く2024/03/05 22:24:03

スピッツの「ロビンソン」を聴いた。

エレファントカシマシの「Sky is blue」を聴く2024/03/06 23:43:11

エレファントカシマシの「Sky is blue」を聴いた。

原博「ピアノのための展開小シャコンヌ」を聴く2024/03/07 23:59:59

原博「ピアノのための展開小シャコンヌ」を聴いた。「ソドレミ」で始まる。

篠原眞の訃報に接する2024/03/08 23:59:59

少し前のことだが、新聞を読んでいたら、作曲家の篠原眞の訃報が出ていた。昔のことを思い出した。

わたしもある人の勧めで、篠原眞の個展に行ったことがある。東京文化会館小ホールが超満員だったこと、ヴァイオリンの作品で譜面台が舞台のあちこちにありヴァイオリニストがあちこちの譜面台でさまよいながら弾いていたこと、このヴァイオリニストの挙動が週刊新潮で揶揄的にとりあげられていたことなどを思い出した。

これもあやふやな記憶でしかないのだが、音楽仲間といっしょに篠原氏と居酒屋で話したことがある。このときに設営した担当者は、「篠原さんは音楽がかかっている店を極端に嫌うので、店を探すのは苦労したんですよ」とため息をついていたように思う。そのくせ、その居酒屋で音楽がかかっていたかどうか、思い出せないのだった。そもそも、わたしがその音楽仲間といっしょに居酒屋に入ったことがあるかどうかさえ、あやしくなっていたのだった。

リュリの「ジーグ」を聴く2024/03/09 23:59:59

リュリの「ジーグ」を聴いた。ミラシドで始まる。

繰り言が多くなる2024/03/10 23:59:59

最近は繰り言が多くなった。「年寄りの繰り言」とはよく言ったものだ。ということで、以下はただの繰り言である。

世の中を騒がせている事件がある。その事件の当事者たちは自分たちは知らなかった旨の答弁をしている。この答弁をしていて、評論家たちは、当事者たちはこの事件を風化させ、忘れさせることを目的としているのではないかと批判している。私もそう思うが、私が当事者であれば保身のために同じようにするだろう。

ある職場で、くだらない(と私が思う)宿題が私にある人から課された。まじめに解決に向けて取り組めばよかったのだが、私がくだらないと思ってしまっていたので取り組む気には全くならなかった。そのうちその宿題ののこと自体をすっかり忘れてしまった。宿題が提示されてから数か月して「宿題の件はどうなっていたか」とその人から確認のメールがあって、あわてて気づいたほどだ。ただ、くだらないと思っていたことは思い出した。今さら何もする気もおきない。何も返事を出さずに放置しておいた。そのうち私はその職場を去った。私に宿題を課した人はどう思っただろうか。律義に私の後任者を探して同じ宿題をお願いしているのだろうか。

こう書いてきて、これは繰り言なのだろうかと疑問に思った。繰り言というのは、泣き言、不平、不満、愚痴などを繰り返し、くどくどと、聴く側が嫌になるほど言うこと、あるいはその言った事柄である。繰り言のように仕上げるなら、「そんなくだらないことを俺に頼まなければいいのに、なんで俺に頼むんだよ、自分でやれよ、自分で!」ということをずっと書けばいいのだろう。ならば、最初からそう書けばよかった。