アイヴズの「コンコード・ソナタ」を聴く2025/09/11 23:59:59

アイヴズの「コンコード・ソナタ」を聴いた。アイヴズのピアノソナタ第2番は、通常「コンコード・ソナタ」と呼ばれている。

このソナタを聴いたとき、何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。いや、今でもさっぱりわからない。ときどき、ベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章冒頭の動機が聞こえることだけがわかるぐらいだ。ただ、もう 30 年以上折に触れて聴いているので、たまに覚えているフレーズが聞こえると安心する。

なお、私が持っているのは第4楽章にフルートがない演奏だ。フルートがある演奏も聴いてみたい。

ハイドンのピアノソナタ Hob XVI/52 が聞こえてくる2025/09/12 23:18:22

少し前に、家から歩いて20分ほどのところにある、ある食堂でチキン南蛮を食べた。注文を済ませると、食堂の中でどこかで聞いたことのあるピアノが聞こえてきた。10秒ほどして、ハイドンのピアノソナタ Hob XVI/52の第3楽章だった。たぶん有線放送なのだろうが(実際、この第3楽章が終わった後ではピアノソロのジャズがかかっていた)、意外なところで意外な音楽が聞こえてくるのは、音楽の安直な消費のされ方かもしれないが、おもしろいと思うこともある。

八重洲室内アンサンブルの演奏会を開く2025/09/13 23:59:59

八重洲室内アンサンブルの演奏会が9月13日、武蔵野公会堂で開催された。曲目は次の通り。

  • パーセル:シャコンヌ
  • モーツァルト:ディヴェルティメント変ロ長調 K.137
  • バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調
  • モーツァルト:交響曲第25番ト短調(弦楽合奏版)

アンコールはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」であった。

天候がさえない中、ご来場くださったお客様に心から感謝いたします。

祭礼に出会う2025/09/14 23:16:05

今日は錦糸町に用事があった。最寄りの駅から電車を乗り継いで錦糸町の駅で降りることを考えたが、運動のために、そして運賃の節約のために、一つ手前の押上の駅で降りて、そこから錦糸町まで歩くことにした。押上の駅を出ると、神輿が何基か出ていて練り歩いていたので驚いた。そして、祭礼ということばから昔、よくやっていた「バンカース」というゲームを思い出した。

バンカースは、今のモノポリーに似たゲームである。バンカースもサイコロを振ってその場所の土地を買うゲームなのだが、止まるところの土地に「祭礼」というのがあって、そこに止まると5ドルほど(ドルである)寄付をしないといけないのだった。これがどこかいやで、祭礼という行事そのものに嫌悪感を感じるようにまでなってしまった。ただ幸いなことに、祭礼のために寄付を強要されたということは今のところない。ともかく、一駅分はあるいたので健康によかったし、運賃も節約できた。

三鷹に出かける2025/09/15 20:38:37

知人が出演する演奏会が三鷹であったので出かけた。三鷹に出かけたのは二十年ぶりだろうか。もっと前かもしれない。前出かけたのは現代音楽だけだったが、今回は現代音楽も古典音楽もロマン派音楽もある演奏会だった。やはり生演奏はいいですね。ただ、三鷹は越谷からは遠い、というのがよくわかった。

ブラームスの交響曲第1番を聴く2025/09/16 23:11:00

少し前に演奏会でブラームスの交響曲第1番を聴いた。何度も聴いているはずなのに、頭に入っているのはごく一部だ。特に第2楽章がほとんど思い出せない。聴いたときは、ああこれかと覚えているのだが、第4楽章が終わるともう忘れている。まあ、忘れていても別に減るものではないし、絶えず新鮮な印象で聴けると考えれば悪くはない。

レスピーギの『ローマの噴水』を聴く2025/09/17 23:27:25

レスピーギの『ローマの噴水』を聴いた。わたしはこの曲をあまり聴いていなかったようだ。どんな曲だったか、聴いても覚えがほとんどないのだ。困ったことだ。もっと何度も聴こう。 第3曲の『真昼のトレヴィの泉』では、最初「ミラシド」で始まったすぐあとに「ソドレミ」が重なる。

飲酒を考える2025/09/18 22:34:20

最近、久しぶりに日本酒を続けて飲んだ。少し前に催し物が終わった時の打ち上げで飲んだのが2合ぐらいである。またそれから数日後、身近な人が買ってきてくれたを飲んだのも2合ぐらいだ。どちらもいい気持ちで酔った。

さて、酒のことで昔からたまに思い出す人が何人かいる。

学生時代お世話になった方にAさんがいた。いつも愉快な酒を飲む人だったが、一度だけ私に向ってかなり挑発的なことを言うなど、ちょっとこの酔い方は大丈夫だろうか、と危機を感じたことがあった。その後、私が社会人になったこともあり、その方とは疎遠となり、消息を聞くこともなくなった。その後、その方は 60 歳を迎えることなく亡くなったことを人づてに聞いた。死因はわからないが、事情を知る人は「酒がやめられなかったらしい」という。

社会人になると、周りの人はほとんどが酒を飲む人であった。私が飲む量は「中の上」程度であったと思う。そんな中、「上の上」にあたるBさんという方がいた。この方もふだんは愉快な方だったが、深酒すると人が変わったようになることがあった。その深酒のとき、昔私が行なったある行為に関して、こてんぱんに否定されてしまい、素面であればそんなことは言わないだろうに、酒の力でそういうことまで言ってしまうのかと思い、なんとも悲しくなった。その方はその後、アルコール中毒を治療するための病院に入院したらしい、という噂を聞いた。治癒したかどうかはわからず、ずっと気になっていたら、あるとき訃報を受け取った。お別れの式は遠方だったため行けなかったが、無理をしても行くのだったかもしれない。

転職した先にも酒を飲む方がいた。なかでも、あるとき私の上司になったCさんという方は酒豪だった。特に日本酒が好きなその方と2人で名古屋近辺に出張に行き、用事を終えて帰ろうとして予約した新幹線まで1時間ほど余裕があることに気づき、名古屋駅地下の店で時間まで二人で二合徳利を10本ほど開けたことがある(二人で二十合ということは一人で十合も、つまり一升も飲んだのだろうか?)。その方も愉快な方だったが、いろいろ仕事で負担があったのだろうか、だんだん口数が少なくなっていった。私はそのころ他の部門に配置換えになっていて直接話をすることはなくなったが、当時のその方を知る人は、朝から酒の匂いがプンプンしていたという。ほどなくしてCさんは退職した。その後の話は聞かない。

暗い話になってしまった。毎日飲むといろいろ健康によくないことがあるかもしれないと思っている。今年の夏は暑かったので、何度か缶ビールをまとめて買って夜に飲もうかと考えたのだが、健康のことと、それから金のことを考えて買うのをやめた。自分は今、アルコール依存症ではないと思うが、この先何があるかわからないのが不安だ。

ハンディファンを考える2025/09/19 22:32:38

夏の暑さも一段落したようだ。そこで、今年の夏を振り返ってみる。

私はほとんど家にこもっていたが、たまには外に出た。すると、道行く人がたいてい持っているのがハンディファン(携帯用扇風機)だった。ハンディファンとは持ち運びできる小型の扇風機のことである。電源には電池式と充電式に分かれるが、中には両方の機能を持っているものもある。最近とみにハンディファンを持っている人が増えた印象があるのは、充電式の機種が増え、便利になったからだと思う。

私はハンディファンを使わない。なぜかというと、ハンディファンで苦い体験をしたからである。これは自分が使ったからではなく、他人が使ってそのとばっちりを食ったことである。

もう十年以上前のことだろうか。私はある将棋道場で、太った男性を相手に将棋を指していた。当時の道場は喫煙可で、その太った男性もタバコを吸いながら私と指していた。私が指すと相手は考え込み、タバコを吸いながら首につるしていたハンディファンを回し始めた。そのとき、ファンによる風がタバコの灰を飛ばし、まだ熱い灰が私のズボンに落ちた。その瞬間、ズボンの生地が焼けこげ、そのズボンは外行きには使えなくなってしまった。

今思えば損害賠償を請求してもよさそうなことだったが、気の弱い私は何も言えぬまま将棋を指し続けるしかなかった。

私自身はタバコを吸わないからたとえハンディファンを使っても火のついたタバコの灰を自分からまき散らす心配はないが、他人が使っているのを見ると将棋道場の件を思い出し、自分が使うのをためらってしまうのだった。

マーラーの「大地の歌」を聴く2025/09/20 23:19:42

マーラーの「大地の歌」を聴いた。私はマーラーが苦手で、何を聴いても同じように聞こえてしまう。交響曲に合唱があるのもなじめない。時々管楽器がベルアップするのもハッタリのような気がして何を考えているのだろうと不思議に思ってしまう。

そう思いながら「大地の歌」を聴いた。通して聴くのは生まれて5回めぐらいだろうか。たぶん1度聴いて、また忘れて、を5回繰り返したのだと思う。曲はわからないが、酒に因んだ歌詞が一部にあるのが好きだ。