ドッツァウアー113 の練習曲から No.58 を練習する ― 2021/06/11 19:43:54
前回はドッツァウアー113 の練習曲から No.57について書いた。今回はドッツァウアー113 の練習曲から No.58 を練習した。
見てお分かりのとおり、重音の練習である。重音の練習はすでに No.42、No.48、No.55 などにあったが、これらの重音は曲の一部分だった。ところがこの No.58 は最初から最後まで重音で、質量とも大変だ。今までの曲以上に時間をかけて何度も練習したが、当然のことながらなかなかうまくならない。
先生からの指示は次の通り。
- 冒頭、初速を速くすること。速く弾けば上の音をつぶすことがない。
- 中間部のスタッカートは、移弦に注意して一つ一つの音をはっきり出すこと。
- 再現部の上の音の3の指で取る D は開放弦のDの正確なオクターブとなるようにとること。
- 最後の段の f をしっかり出すこと
朱里エイコの「北国行きで」を聴く ― 2021/06/12 21:50:20
ムード歌謡の続きである。中条きよしの「うそ」の次は、朱里エイコの「北国行きで」だ。Wikipedia のムード歌謡の項にこの朱里エイコがあったが、どうみてもこの曲はムード歌謡ではなく、また朱里エイコもムード歌謡の歌手ではない。では、なぜここで取り上げるかというと、かっこいいからだ。パンチの利いた強い歌い方は、日本人にはなかなかいない。
Aメロはニ短調だがBメロはヘ長調に転じる。楽譜は転調したBメロを示した。私がこれを聴いたのはかれこれウン十年昔だ。そのとき、子供心ながらにこの転調に心をときめかした(こども転調といったのはどこぞの歌手である)。そしてこのフラット!たまらない。
伴奏も、中間部と終結部でナポリの六度を使っている。ここも心憎い。
欧陽菲菲の「雨の御堂筋」を聴く ― 2021/06/13 20:48:09
ムード歌謡の続きである。朱里エイコの「北国行きで」の次は、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」を聴いた。この曲もムード歌謡なのかどうか怪しいが、ある歌手による『ムード歌謡 〜歌姫昭和名曲集』と題したカバーアルバムの中にこの曲があったので、堂々とムード歌謡として取り上げることにした。それに、朱里エイコの「北国行きで」と同じく、かっこいい。
譜面はCメロを取り上げた。Cmに解決した後、Dbに行ってG7に進行しているのはまさしくナポリの六度である。この曲を取り上げるにあたって調べたら作曲はザ・ベンチャーズだったので驚いた。
「日立の樹」の作曲者が小林亜星であることを知る ― 2021/06/14 20:19:40
梅雨に入る ― 2021/06/15 23:00:00
梅雨明けの何を気にしているかといえば、暑中見舞いのことである。去年は暑中見舞いを書かなかったので、今年こそは書こうとしているのだが、出すタイミングが気になる。暑中見舞いは二十四節気の立秋までに相手に届くようにするのが基本であるが、ではいつからならばいいのか。気になって調べたら、夏の土用からだとか、二十四節気の小暑からだとかの説があるようだ。これに梅雨明けであることを条件に加えることもあるようだ。ただ、梅雨明けを条件に加えると、梅雨明けが異常に遅かったり、梅雨明け宣言がそもそも出せなかったりする年があることを考えると、困ってしまう。さいわい、まだ時間がある。もう少し出す時期を考えよう。
ドッツァウアー113 の練習曲から No.59 を練習する ― 2021/06/16 22:01:56
チェロの練習の続きである。ドッツァウアー113 の練習曲から No.58 の次に、ドッツァウアー113 の練習曲から No.59 を練習した。この曲もしんどい。Andante con moto だから、Moderato よりは遅いけれども、con moto だから動きを感じないといけない。そこがまずできない。アルペジオは幅が広いし指もすぐに移動しなければいけないので、とても私にはできない。先生からの注意は後程記す。
藤圭子の「圭子の夢は夜開く」を聴く ― 2021/06/17 22:50:42
ムード歌謡の続きである。 欧陽菲菲の「雨の御堂筋」の次は、藤圭子の「圭子の夢は夜開く」を聴いた。暗い曲というのはたくさんあるが、私が聴いた音楽の中で「暗い」曲としてすぐに思い出すのがこの曲だ。なんといっても歌詞で「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」と歌うのだから。私の人生も15歳から17歳のころが最も暗かったから、この曲を聴くとわが身のことかと思ってしまう。そればかりか、何か数を数える場面で誰かが「15,16,17」と勘定するのを聴いてしまうと、つい「私の人生暗かった」と合いの手を打ってしまう、悪い癖が出来上がってしまった。
カラスに恐怖を感じる ― 2021/06/18 23:00:00
歩道と車道が並行している路地がある。植木の剪定作業のため歩道が通行止めになっていたので車道を歩いていたら、カラスが何羽も群れていた。そのうちの一羽が私の胸の脇近くを通り抜けていった。するとこんどは別の一羽が私の頭上に急接近して飛び去った。今にも嘴が頭にぶつかるのではないかと思うほどで、このときほどカラスに恐怖を感じたことはなかった。幸い、ケガはなく、汚物をかけられたなどの被害もなかったが、カラスにまで私の生活をバカにされているように感じた。
金井克子の「他人の関係」を聴く ― 2021/06/19 21:23:27
ムード歌謡の続きである。藤圭子の「圭子の夢は夜開く」の次は、金井克子の「他人の関係」を聴いた。これもムード歌謡なのかと思う向きがあるかもしれないが、まあいいじゃありませんか。
この曲も大ヒットした。振付が静的かつデジタルなのが強く印象に残っている。動的かつアナログな山本リンダとは対照的だが、歌謡曲が歌謡曲になったのは振付が派手になったからだということを聞いて、なるほどと思ったのだった。
一度金井克子が出ている舞台を見たことがある。よみうりランドの屋外での催しものだった。そのときのことはどこかで書いているので繰り返さない。Wikipedia によれば、「他人の関係」が発売されたのは1973年 3月21日 だそうだ。再来年の3月21日を迎えたら、発売50周年を一人で祝うことにしよう。
増位山太志郎の「そんな夕子にほれました」を聴く ― 2021/06/20 14:25:37
ムード歌謡の続きである。金井克子の「他人の関係」の次は、増位山太志郎の「そんな夕子にほれました」である。低音の魅力といえば、フランク永井と並んで増位山太志郎の名があげられることが多い。実際、どっしりした体から発せられるどっしりした声を聴くと、ああ、いい、という安心感に包まれる。
ところで、この曲の歌いだしは「ミラシド」である。「ミラシド」の歌といえば内藤國雄の「おゆき」である。なんとなく歌も似ているが、声の質が決定的に違う。
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