成長を考える(続き)2022/05/06 19:39:22

成長といえばこんなことがあった。社会人一年めは、思い出すのも嫌なほどみじめな一年間だった。それはともかく、当時のテーマは、ある種の「成長」に関する研究開発だった。この成長を、当時の上司は必ず「生長」と書いていた。なぜ上司がそう書いていたのか私は知らない。上司はたまに「成長」と書いていたので、「生長」と書いていた意味があったのかもしれない。

私自身は当時から、いやもっと昔から成長していない。嫌な上司に「人間はいくつになっても成長する」と言われるぐらいなら(そう、きのうの話のある人とは、私の上司のさらに上司にあたる人だった)、成長なんてしてたまるか、と思っている。

ただ、成長はしなくとも、熟達はしたいと思っている。チェロはうまくなりたいし、将棋も強くなりたい。コンピュータプログラムもすらすら書けるようになりたい。そんなことは絶えず思っている。

ただそれと、成長というのは別だと思っている。私が思い浮かべる成長は、身体的な成長と人間的な成長である。身体的な成長は、こどもの背が伸びたり体重が増えたりする成長で、普通大人はこの手の成長はもうしない。では人間的な成長とは何かというと私にはよくわからない。たとえば、宮沢賢治の通称「雨ニモマケズ」の詩に出てくる「サウイフモノ」が一つの成長した人の姿なのかもしれないが、よくわからない。

人間は齢をとると丸くなるものかもしれないし、偏屈になるものなのかもしれない。一般的にどうかというのは、私にはわからない。ただ、私自身は、何かに熟達したいと思っている。

それにしても、こんな同じことを何度も書くなんて、私もついに武者小路実篤になってしまったのではないか。