斎藤雅広の訃報に接する2021/08/19 21:58:22

ドヴォルジャーク 弦とピアノのための五重奏曲Op.81 より第1楽章冒頭

今朝の新聞に目を通していたら、斎藤雅広氏の訃報が飛び込んできた。享年62。なんとも早すぎる死である。この訃報記事の前後に別の方二人の訃報も伝えられたが、その二人とも享年92であった。氏の若さが際立つ。

私には著名人の知り合いというのがほとんどいない(著名人とはどういうことかという定義はいろいろあるだろうが、とりあえずは Wikipedia に載っている人ということにする)。その数少ない方が斎藤氏だ。知り合いといっても、お会いしたのは一度だけ、それも越谷のホールで催された氏のリサイタルに行ってその後のサイン会で会話した程度である。サインをいただくときに「越谷の丸山です」といっただけで、氏は「まりんきょさんですね」と明るく応じてくださったことを今でも覚えている。なお、なぜ氏が私のことをまりんきょだと認識したかは私のホームページのどこかに書いている。

リサイタル後は年賀状をやりとりする程度のお付き合いであったが、私が一方的に恩を受けるばかりであった。何も恩返しできずに今日を迎えてしまったことは非常につらい。

越谷のリサイタルではさまざまな曲を見事な技巧で披露した。とりわけ印象に残っているのが、ファリャの「火祭りの踊り」だ。この小品はアルトゥール・ルービンシュタインの十八番として知られる。曲の面白さもさることながら、手を高々と掲げては高速に落下させる手の上下運動としての見世物としての芸もまたルービンシュタインの代名詞だった。当然ほかのピアニストもこの曲を弾くわけだが、斎藤氏の「火祭り」はピカイチだった。単にルービンシュタインの真似というのではなく、ピアノはいろいろな意味で楽しめるんだよ、ということを伝える思いが強く伝わってきたのだった。

氏はブログで食べ物に関していろいろ書かれていて面白い。手紙をやりとしていたときに、氏は自身が草加市に住んでいたときのことに触れ(草加市は越谷市の南で接している)、〇〇駅近くの◇◇という蕎麦屋は量が多いのでぜひ食べに行ってください、ということが書かれていた。

実はその蕎麦屋は妻と二人ですでに行っていて、氏の言う通り量が多かった。あるとき腹が減って二人でその蕎麦屋へいき、丼物2人前とそば1人前を頼んだら、この店の1人前は1.5人前ぐらいはありそうでつまり二人で4.5人前を頼んだ勘定になり、二人とも死ぬ思いで残さず食べたのだった。この話を斎藤氏に伝えたかどうかは覚えていない。もとに戻って、なぜ斎藤氏が市井の蕎麦屋のことを知っているのか不思議だったが、食に対する執念が強かったのだろう。

斎藤氏の音楽についてはまだほとんど語っていなかった。もとより語る力がないのだが、どうも決まったことばで語るのは違うような気もしている。私が最初に聴いたプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、剛腕でねじ伏せるような印象があったが、その後聴いたリサイタルやコンサートでは、曲によってアプローチを様々に変えているようだった。面白いことに、氏はピアノ独奏曲では華々しい技巧を豪華絢爛に披露するようなイメージがあり、これは氏のピアノ編曲からもうかがえる。一方で、歌の伴奏となるところりと姿勢がかわり、歌を立ててしかも伴奏も立てるという難しい技をさらりと実現しているようで興味深い。ジャズでは、あのオスカー・ピーターソンがソロと歌伴でスタイルが正反対であることが有名だが、斎藤氏の場合もまさにこのピーターソンスタイルであった。

とはいえ、私がよく聴く斎藤氏の CD は、ソロでも歌伴でもなく、室内楽である。フォーレを取り上げた演奏もいいが、一番好きなのは、ドヴォルジャークの弦とピアノのための五重奏曲 Op.81 である。ドヴォルジャークの、あの人懐こい節回しが、斎藤氏の明るさとよく合致している。