健康に感謝する2018/11/01 23:00:23

やっと風邪が治ってきたようだ。健康のありがたさを改めて感じた。

カレーを食べる2018/11/02 23:06:39

久しぶりにカレーを食べた。辛いけれど落ち着くなあ。カレーを発明した人は偉い。

バジル入りペペロンチーノを食べる2018/11/03 23:00:53

スパゲッティ屋でバジル入りペペロンチーノを食べた。この店は明日が最終営業日だ。いろいろとお世話になった。ありがとうございます。

ベーコン入りペペロンチーノを食べる2018/11/04 21:35:04

きのうとは違う店で、ベーコン入りペペロンチーノを食べた。昨日の店はコストパフォーマンスが高かったが、今日の店はチェーン店だからか、盛りが少ない。しかし、仕方がない。ダイエットにはこちらのほうがいいということで我慢するしかないだろう。

自分が俗物であることを痛感する2018/11/05 23:00:24

私は穏やかな性格だといわれることが多いが、十年に一度ぐらいは爆発する。
爆発するのは、恨みに思う相手があり、その恨みの総量が私の許容量を超えるときだ。
そしてその恨みは一生忘れない。たとえ、その相手が過去によいことをしてくれたとしても、また後になってよいことをしてくれたのがわかってくれたとしても、だ。

スマートフォンを充電する2018/11/06 23:00:03

今月から、毎月6で割り切れる日(6, 12, 18, 24, 30)に、スマートフォンを充電するようにしている。私のようにめったに使わない者でも、なぜだか放電してしまうからだ。どうせなら曜日にすればいいのにとも思うが、あえて曜日とずらすことでボケないようにという思惑もある。

ピーターの法則を思い出す2018/11/07 23:00:44

世の中には〇〇の法則と呼ばれているものが多くあるが、私が好きなのはピーターの法則である。ピーターの法則とは、「人はみな無能になるところまで出世する」というものである。つまり、平社員で無能なものは無能にとどまり、有能なものは係長に出世する。無能な係長は無能な係長にとどまり、有能な係長は課長に出世する(以下、この繰り返し)。この帰結として、組織はすべて無能なものだけで階層構造をなしている、ということになる。

しかし、現実はこのようになっていないないと思われる。もちろん、この法則が間違っているからというのも理由の一つだろう。他にも理由があるだろう。まず、有能でありながら上の職位につけずに現在の職位にとどまっていることは多いだろう。つまり、出世にはその職位で有能であることを評価するための時間がかかる。つまり、その職位で有能な社員もいる。実際には成り立たない。さらに、有能でなくとも出世する場合がある。これはディルバートの法則と呼ばれる。つまり、その職位で無能な社員を出世という行為によってその職位に属するメンバーから取り除くということだ。まあ、出世したらその職位にふさわしい有能さを獲得するかどうかは別問題だ。

ある人から共通の知人についてはるか昔こんなことを聞いた。その知人(Aくんとする)は大学に勤めている。その大学組織ではこんな議論があったそうだ「Aくんの言動は危ないから今のままでは何をするかわからない。助教授に昇進させれば当人も自覚して危ない言動はしなくなるだろう。」ちょっとこれは暴論すぎるが、話半分として面白いのでピーターの法則とからめて記した。

魚籃観音記を読む2018/11/08 23:00:17

自分ではその気がないのに、うっかりエロに関する本を電車で見てしまうことが最近起きる。その一つは、筒井康隆の文庫本を読んでいるときだ。「夢の検閲官・魚籃観音記」という新潮文庫を夏に買い、買ったすぐのときに読んでいなかった短篇を読もうとしたら、「魚籃観音記」にぶつかった。これは紛れもなくポルノ小説である。電車で臆面もなく読んでいる私ははずかしかったが、それでも面白くて電車を降りるまで読むのをやめられなかった。

人生の後半を生きる2018/11/09 23:00:24

勤務先でなんだかわからない仕事をしていると疲れる。息抜きのつもりで何人かの同僚の電子文書のプロファイルを見ると、ある同僚のプロファイルに「〇〇月いっぱいで退職します」と書かれていた。これをきっかけに、会社を辞めるとはどういうことかを考えてみた。

一般的に、会社を辞める人というのは、仕事ができなくなった人か仕事ができる人だ。前者について言葉を足すと、かつては仕事ができていたが現在では会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれた人が、「仕事ができなくなった人」という意味だ。こういう人たちには、「新しい仕事で、会社を見返してやれ」という。以上は、人生の後半を迎え会社を辞める元気さえなくなった老人(である私)のことばである。

嫌いなことばに気付く2018/11/10 23:00:41

以前「腹落ち」ということばが嫌いだと書いた。他にも「深堀り」とか「真逆」ということばが嫌いだ。前者は「再検討」ぐらいでよいはずだ(絶対深い検討なんかしていないはずだ)。後者は「正反対」ということばで間に合う。それにしても、なんでこのような特定のことばが嫌いになったのか、わからない。