ソナチネアルバム第1巻第7番を思い出す2023/11/25 19:02:20

私はピアノを稽古事として習ってきた。当時のピアノの稽古では、ソナチネアルバムを練習するのが普通だった。そのとき、ソナチネアルバムの最初に習うのだが、第1巻の第7番だった。あるピアノの本を読んでいて、「最初に習うソナチネアルバムの第7番」という記述を見て、思い浮かんだ曲は、たぶんその本の著者が思い浮かべていたのと同じものだった。譜例をみて確信した。さて著者はこのソナチネに関していう。「第1楽章の展開部の始まりが不吉な予感がする。なぜなら増4度だから」という意味のことが書かれている。確かに、左手のFと右手のHは増四度の音程だから不安だろう。しかし、右手のHに続いてはDHGGとくるのだから、この小節全体をとればただのメジャーセブンスに過ぎない。だから私にとっては不安という気分はほとんどしない。ただ、そんなふうに理屈をこねているから、すれっからしになってしまって、音楽を素直な気持ちで表現できないのだろう。

いま、この楽譜を書いていてこの増4度以上に不思議に思ったことがある。この譜面の最初の右手の H には調号がついていない。次の小節には H の音はそもそも出ていない。そして、3小節めの左手の H にはわざわざ本位記号のナチュラル(♮)が付与されている。これは何を意味するのだろうか。1小節めのメジャーセブンスが2小節めでマイナーのトニカに解決するからそこでハ短調の調号が意識され、Hに変記号の♭が付くと奏者が意識するのだろうか。その意識をひきずっているから、このあとHの音にずっと本位記号が付くのだろうか。一応は解釈してみたが、本当のところは謎である。