ひたすら寝る ― 2019/08/11 22:42:05
フォーレのピアノと弦のための四重奏曲第1番を聴く ― 2019/08/12 22:59:40
演奏前の一言で、弦楽トリオの代表とピアニストが舞台に立ったんだが、
二人とも同じように
「フォーレを弾こうと気軽に考えていたがいざ譜読みをしたら
意外に手強かった」という意味のことを語っていた。
演奏はまさにこのことばを実証することとなってしまったのだけれど、
これに懲りずに、弦楽トリオもピアニストも、もっともっと場数を重ねて
フォーレの曲を披露してほしい。
なお、フォーレのほかには、ヴァイネル, L. の弦楽三重奏曲、コダーイ, Z. のインテルメッツォ、C. ドビュッシーのチェロとピアノのためのソナタが演奏された。
アイスを食べる ― 2019/08/13 20:09:52
チェロの練習をする ― 2019/08/14 16:11:56
原博の前奏曲とフーガを再度練習する ― 2019/08/15 18:25:46
チェロの稽古を受ける ― 2019/08/15 18:44:07
稽古の教本はウェルナーである。先生から稽古に使う教本のことを電子メールで聞かれた。「ウェルナーを持っていますが、時代遅れと言われているので、いい教本がありましたら教えてください」と返事を書いた。すると先生から「ウェルナーは時代遅れではありません。いい教本です」と一喝された。ということで、前回はウェルナーを最初のページからやった。もちろん、構え方、弓の持ち方からすべてである。
前回は2ページ進んだ。今回はもう少し進んだ。しかし、本当のことを言えば、きちんと音程を出せたから、ボーイングが正しいから進んだ、というものではない。カザルスだって、毎日の練習が音程との戦いだったのだ。
二宮町まで演奏会を聴きに行く ― 2019/08/16 21:02:26
日本・ハンガリー外交関係開設 150 周年 イベントスケジュール
おせっかいながら当日配られたプログラムを書いておく。
SHIRAI Vonós trio 4th Concert白井 ヴォノーシュ トリオ 第4回 コンサート
Guest Pianist | ピアノ | Kaoru JISTUKAWA 實川 風 |
Violin | ヴァイオリン | Eiji SHIRAI 白井 英治 |
Viola | ヴィオラ | Hidetaka SHIRAI 白井 英峻 |
Cello | チェロ | Aya SHIRAI 白井 彩 |
L. Weiner : String Trio Op.6 g-moll
L. ヴァイネル/ 弦楽三重奏曲ト短調 作品6
Z. Kodaly : Intermezzo for strings trio
Z. コダーイ/ インテルメッツォ
―休憩―
C. Debussy : Sonata for Cello and piano d-moll
C. ドビュッシー/ チェロソナタ 二短調
G. Fauré : Piano quartet No.1 in c-moll, Op.15
G.フォーレ/ ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 作品15
私はこの演奏会を開催日二日前、ぶらあぼの検索サイトで「フォーレ、四重奏曲」というキーワードを入れて初めて知った。今再度ぶらあぼの検索サイトで同じキーワードを入れたが出てこない。過去のコンサートの検索には対応していないのだろうか。
残りはいずれ書く。
ハンガリーの音楽を聴きに行く ― 2019/08/17 23:21:12
ヴァイネルという名前の作曲家は初めて聞いた。ハンガリーということもあって身構えていたのだが、実際に聴いてみると優雅で、品があって、しかも遠い世界に連れていかれそうな、まあ私の考えている音楽というものにぴったりあった、素敵な音楽だった。しかもそれが、弦楽三重奏という、凝縮された形で表現されていることに驚いた。
コダーイは、作曲者名こそ知っていたものの、インテルメッツォは初めて聞いた。こちらはヴァイネルと違って少し土臭く、しかし音楽の楽しさを十分伝えるもので、こちらも出色だった。
演奏はというと、ヴァイオリンはお年を召したためか多少省エネルギーの奏法で少しつんのめり気味になっていたきらいがあったが、そこはご子息であるヴィオラやチェロが受け止めていて、いい雰囲気だったと思う。
呼称を考える ― 2019/08/18 18:56:42
今日は自分にとって深刻な問題を考える。 今朝の東京新聞の社会面(28面)に次の記事があった。
☗谷川九段 歴代3位タイ1324勝
将棋の谷川浩司九段(57)は、十七日、大阪市の関西将棋会館で刺された第六十九期王将戦二次予選で高見泰地七段(26)を破り、歴代三位の加藤一二三・九段(79)と並ぶ公式戦通算千三百二十四勝目(八百五十一敗)を挙げた。
一位は羽生善治九段(48)の千四百三十八勝(五百九十四敗) = 未放送のテレビ対局は除く = で、二位は故大山康晴十五世名人の千四百三十三勝(七百八十一敗)。対局後、谷川九段は「羽生先生、大山先生まではまだ遠いですが、一局一局を大事に戦っていきたい」と話した。(後略)
ここで気になるのは、羽生九段のことを「羽生先生」と言っていることだ。大山十五世名人は大先輩でもあるので、先生という呼称を使うのは当然だろう。しかし、羽生九段は年は下だから先生をつけなくてもよいともいえる。しかし、大山先生を超える戦績を残しているのだから、やはり羽生九段にも当然、先生という呼称を使うことにしたのだろう。いや、これは下種の勘繰りだろう。偉大な記録を残した棋士だから、羽生先生、という呼称が当然のように出てきた、と考えるのが素直なのだろう。
以下はあえて敬称を省くが、むかしむかしの谷川の著書を思い出した。当時は複数のタイトルを保持していて、著書では、羽生君、と書かれていた。そののち、谷川は保持していたタイトルを次々と羽生に奪われた。インタビューを受けた谷川は、羽生さん、ということばで答えていた。そして今では、羽生先生である。勝負の世界は、かくも残酷である。
会社勤めの私には、年下で偉い人がたくさんいる。正確にいえば、年上はみな偉い人であり、年下でも私より偉い人のほうがほとんどだ。たまたま、私の職場では職位に関係なくさんづけで呼ぶのが通例なので、年上、年下、職位の上下にかかわらずさんづけで呼ぶ。ただ、親しい人にはくんづけで呼ぶこともあるが、わたしより偉い人なのでうっかり口に出してしまった場合は反省し、以後はさんづけで呼ぶようにしている。これは、当人を目の前にした二人称だけではなく、当人がその場にいない、三人称のときにも同様にさん付で呼ぶようにしている。ついでにいえば会社外のつきあいでも老若男女にかかわらずさんづけにしている。
私はぼんやりと生きてきたからその報いを受けて世捨て人のようにこのように身を処しているが、別段後悔はしていない。
遠いところの人を思う ― 2019/08/19 22:23:44
私はむかし、ピアノを弾くXという集団に出入りしていた。その集団Xに、育ちのよさそうな二十歳前の若者が来た。この若者は私に向かって、ピアノを教えてくださいと懇願した。正直私は困ってしまった。だいたい、私はピアノを教えたことなどないのに、そして集団 X には私以外にもたくさんピアノを弾く人がいるというのに、なぜ若者は私を選んでそんなことを尋ねたのか。選ぶも何も、そのときは私しかいなかったのだろうか。今となっては思い出せない。
しかし、これから述べることははっきり覚えている。無駄に悩んでいても仕方がないと肚を決めた。まずは教本を買って練習しろ、教本だったら一番バイエルがポピュラーだからそれを買え、と命令した。いい大人がバイエルというのも気がひけたが、口から出た言葉はもとには戻らない。私は若者を連れていき、集団Xの本拠地の近くにあった本屋だかレコード屋に行った。壁にあった棚をみると、1棚の半分ほどの狭いスペースに楽譜があり、そこにバイエルがあったので若者にバイエルを買わせた。ここでいうバイエルとは、子供用の赤いバイエルでも黄色いバイエルでもなく、無味乾燥の大人のバイエルである。
私がしたことはバイエルを買わせたことだけだった。それ以外は覚えていない。私がしたことといえば、若者からの質問に対して、自分なりの誠意をもって答えただけであり、弾き方などは(請われることがあれば教えていたが)ほとんど教えなかったような気がする(あとで知ったことだが、若者は子供のころ、別の鍵盤楽器を練習したことがあったようだ)。若者は熱心にバイエルを練習して、その甲斐あってどんどん上達し、バイエルを卒業した。その卒業前後で、もとから若者自身には弾きたい曲があったし、若者自身も曲を作ってみたいと思っていたようだ。そして、若者は前から弾きたかった曲も、自作の曲も、弾けるようになっていった。もう私の出番はなかった。
この若者は、今では音楽を飯の種にして生活しているようだ。もう遠いところの人である。
この若者の名前を思い出して検索してみた。すると、この名前であるブログが見つかった。そのブログにある、当時の若者の回顧談を見ると、どうも私を思わせる記述がある(ちなみにバイエルという文字は出てこないので念のため)。これだけで、私の人生は良しとすべきだろう。
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