早川正昭「日本の四季」から「冬」を聴く(1)2023/03/01 23:59:59

早川正昭の「日本の四季」の「冬」第1楽章のメロディーは、「雪」から取られている。伴奏形は明らかに、ヴィヴァルディの「冬」の第1楽章なのだが、両者の違いがだんだん明らかになってくるのがおかしい。その後、低音にはヴィヴァルディの「ごしきひわ」第1楽章の伴奏形が出てくるのが意表を突いている。でも、よく考えれば付点音符の繰り返しは「雪」と「ごしきひわ」で共通だ。ほかにも何曲か引用がありそうだが、私にはわからない。

「春の海」が聞こえてくる2023/01/01 23:59:59

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、テレビを見ているといろいろな音楽が流れてくる。中でも多いのが、宮城道雄の「春の海」だ。閉店の音楽に「蛍の光」が使われるように、正月の音楽は「春の海」が使われる。刷り込みというのは恐ろしいもので、「春の海」を聞くたびにめでたい気持ちになってくるのだ。しかし、なぜ「春の海」を、テレビ局が正月に流すようになったのだろうか。

土屋賢二先生の随筆で、あることがきっかけで、土屋先生が「春の海」が嫌いになったということを知った。そういえば、富士山が嫌いな日本人がいる。誰もが好きなものなどない、ということを、「春の海」を聞きながら思い出した。

昔の仲間と会う2022/12/29 23:59:59

この日は某所で昔の音楽仲間と会ってバカ話をした。某所に集まったのは私を含めて7人で、当時集まっていた部屋の空間が再現された場所だった。バカ話の一つは、サザエさんの歌(〽お魚くわえたドラネコ、で始まるほう)の途中で、なぜかピッチが下がる話だった。

ヴィオラが活躍する弦楽合奏曲を調べる2022/10/29 22:51:46

ある方から、ヴィオラが活躍する弦楽合奏曲はないかと尋ねられた。私は困ってしまった。弦楽合奏曲のことはほとんど知らないし、ましてヴィオラが活躍する曲は私が知っているなかには見当たらない。

活躍、というのにはいろいろ意味がある。まずわかりやすいのは、ヴァイオリンがない編成というのがある。これは、結果的にヴィオラが最高音を取るので活躍するといえるだろう。しかし、私が知っている弦楽合奏曲でヴィオラが最高音を取る曲は、バッハのブランデンブルク協奏曲第6番だけだ。

弦楽合奏曲に限らなければ、ブラームスのドイツレクイエムの第1曲や、フォーレのレクイエム(第1稿、第2稿では全曲、第3稿では第1,2,4曲)などではヴァイオリンを使わないので、ヴィオラが最高音となって活躍する。しかし、弦楽合奏曲ではどうだろうか。探せばあるのだろうが、弦楽合奏曲でヴァイオリンを使わないというのは異例だろう。

そうなると、ヴァイオリンがあっても、ヴィオラが活躍する弦楽合奏曲があればいいことになるが、どのような形で活躍するかが問題だ。グリーグの「ホルベアの時代から」の最終曲はヴァイオリンソロとヴィオラソロが活躍するが、ヴィオラソロはなかなか難しい。ヴィオラ全員が活躍できるいい曲はないだろうか。

ドイツ三大B 人気曲ベスト30を考える2022/09/15 21:04:02

昔のブログに https://marinkyo.asablo.jp/blog/2005/10/16/109884 ドイツ三大B 人気曲ベスト30があり、思うところはあとでコメントする、と書いた。その後、コメントしないまま15年以上たってしまった。あわてて思うことを書いてみよう。以下はそのときの人気の順である。

30 ベートーヴェン トルコ行進曲
29 バッハ      管弦楽組曲第2番
28 ブラームス   愛のワルツ
27 バッハ     イタリア協奏曲
26 ベートーヴェン ワルトシュタイン
25 ベートーヴェン 熱情
24 ベートーヴェン 君を愛す
23 ブラームス   弦楽六重奏曲第1番
22 バッハ     インヴェンション第1番
21 ベートーヴェン 悲愴
20 バッハ     無伴奏チェロ組曲第1番
19 ベートーヴェン スプリングソナタ
18 ブラームス   交響曲第3番
17 ベートーヴェン 交響曲「英雄」
16 ブラームス   子守歌
15 バッハ     ゴルトベルク変奏曲
14 ベートーヴェン ピアノ協奏曲「皇帝」
13 バッハ     小フーガト短調
12 バッハ     ブランデンブルク協奏曲第5番
11 ベートーヴェン エリーゼのために
10 バッハ     平均率クラヴィア曲集第1巻第1番
09 ブラームス   大学祝典序曲
08 バッハ     トッカータとフーガニ短調
07 バッハ     G線上のアリア
06 ブラームス   ハンガリー舞曲第5番
05 ベートーヴェン 月光ソナタ
04 ベートーヴェン 交響曲「田園」
03 バッハ     主よ、人の望みの喜びよ
02 ベートーヴェン 交響曲「運命」
01 ベートーヴェン 交響曲「合唱」 

1位が「合唱」であるのには恐れ入った。私は「運命」のほうが上位に来ると思っていた。「歓喜の歌」の、使い減りしない有用さが、「合唱」が1位に来る理由なのだろう。

「主よ、人の望みの喜びよ」が3 位のきたのは意外だった、バッハの曲で有名なのはここにある 7 位のG線上のアリアと 8 位のトッカータとフーガニ短調が双璧だと思っていたからだ。この曲が上位に選ばれるのは当然だが、いったい何をもとにして順位を決めたのだろう。

4 位には「田園」が来たのも意外だった。ベートーヴェンの交響曲なら、「英雄」や第7番が来てもいいのではないかと思ったからだ。特に第7番は「のだめカンタービレ」が人気になっているので有名になっているだろうと思ったら、テレビ版は2006 年からだった。マンガでも評判にはなっていたが、やはりテレビの影響のほうが大きいのだろう。余談だが、この「田園」の第2楽章がテレビコマーシャルで使われていたのだが、商品がどうしても思い出せない。キッチンブライトのような気もするが、たぶん違うだろう。

5 位の月光ソナタがこの位置にあることは妥当だと思う。和音の推移だけで音楽を作るという玄人向けの曲は、この月光のほかにも後に出てくる。

6 位にハンガリー舞曲第5番が来たのは、ブラームスの知名度からすれば出きすぎのようにも思える。とはいえ、このメロディーは誰でも知っているから、ここにあるのも当然だろう。なお、ピアノ弾きにはこの曲は連弾曲で嬰ヘ短調で書かれているように覚えているが、オーケストラ編曲ではト短調になっている。わたしはオーケストラで弾くまで、オーケストラ版がト短調であることを知らなかった。おまけに、オーケストラの編曲は何種類もあることすらしらなかった。最初渡されたチェロの譜面は2拍子の頭の表の音だけ弾けばいい版だったので楽だな、と思って気を抜いていたら、あとで「これではつまらないからもっと音のある版にします」と言われ再度渡されたのは表の音だけでなく裏の音もある版で、にわかに忙しくなってしまった。

7 位の「G線上のアリア」が来ているのはいいが、考えてみればこの曲の取り上げ方に統一性がない。しかたないといえばしかたないのだけれど、「G線上のアリア」は元来管弦楽組曲第3番のうちの「アリア」のみを指すのだから、29 位に管弦楽組曲第2番が入っているのを見ると、アルバムとシングル曲を同じ次元に入れているようで、この順位付けに意味がないような気がする。

8 位の「トッカータとフーガニ短調」については、バッハ本人の作かどうか確実たる証拠がないことで知られている。私はこのあたりのことはよく知らないので逃げるが、「トッカータとフーガニ短調(ドリア調)」という作品もあり、こちらは非常に聴きごたえのある逸品である。

9 位にブラームスの「大学祝典序曲」が入ったのは意外だった。この曲を知っている人なんて、大学受験ラジオ講座を聞いていた還暦より上の人たちぐらいではないだろうか。うーん、大学に入って入学式で大学のオーケストラがこの曲を演奏することも多いだろうから、それで知った人が多いのかな。

10 位の平均率クラヴィア曲集第1巻第1番も意外だった。これはむしろ、グノーがこの前奏曲にヴァイオリンの旋律を付けて「アヴェ・マリア」としたので広まったのではないのかな。前奏曲は知られているが、フーガはほとんど知られていないのではないか。こういう非対称性はほかに、よく知られたパッヘルベルのカノンと、全く知られていないこれとついになっているジーグがある。

えらい長くなってしまった。11 位以降は明日以降に回す。

09 ブラームス   大学祝典序曲

越谷市の夕方の曲を書き留める2022/08/27 23:59:59

越谷市には、夕方流れる曲がある。おそらく防災放送なのだろう。昔はうるさいと思っていたら、今はあまり気にしなくなってしまった。慣れはおそろしい。いつかは書き留めておくべきかなと思い、譜面にしてみた。このあとも音楽は続き「よい子のみなさんは、もう、おうちに帰りましょう」という語りが加わる。


成長を考える2022/05/05 09:36:17

音楽と少しだけ関係していることを考えた。成長についてである。 最近、といっても数年前のことになる。あるとき、ある場面で、ある人から言われたことがあって、「人はいくつになっても成長する」のだそうだ。もっともその人がそう思ったのは、その人の身近にいた、某銀行の某頭取の言動を見た結果だそうだ。「おまえには言われたくはねえよ」と心の中で悪態をつきながら、そういうこともあるのかと「人はいくつになっても成長する」ということばはいまだに覚えている。 それで、音楽とどう関係しているのかということになるが、それはもう少し置いておこう。 さて、私は音楽を趣味としている。将棋に「指す将」と「観る将」がいるように、音楽にも弾く楽しみと聴く楽しみの両方がある。弾く楽しみは聴く楽しみとは別種ではないかと思う。というのは、弾いて私が出す音は、観賞用としては聴くに堪えないものだからだ。では弾いて何が楽しいかというと、自分が考えたり操作したりした結果として音が出てくる、その過程が楽しいということだ。 もう私は年を取ったが、易しい曲ならば新曲であっても練習をすればある程度弾けるようになる。これは不思議なことだ。もっとも、ある程度弾けるという基準は私の場合甘くしている。テンポはだいたい一定で、ミスはよくて一段に一つ、悪ければ一小節に一つ程度としている。これをもって弾けるなどとは甘い、と文句をつける方もいるだろうが、それは私個人の基準だからそういうものだと思ってほしい。 そして、ある程度というのはそこまでであって、それ以上は改善しない。それが素人の悲しい定めであるが、他人様に聞かせるものではないと割り切っている。あ、最近は YouTube にアップロードしているからそうでもないか。いやらしいなあ。 今より年を取れば、練習をしても弾けない曲はさらに増えるだろう。そうなることは悲しいが、今まで弾けない曲が弾けてきたことをもってよしとしなければならない。 こう書いてきて、弾けなかった曲を弾けるようになることが成長なのかというと、それは違う気がしてきた。どう違うのかは、追って書こうと思う。

ミュージックの日を迎える2022/03/19 10:22:19

今日はミュージックの日である。319 という数字の並びを読むとミュージックと読めなくもないからだろう。毎年 3 月 19 日を迎えると、この日も音楽が聴けてよかったという喜びを感じる。

それで今日はどんな音楽を聴いたかというと、それは内緒にしておく。

つい最近聴いた音楽は、タンゴである。バンドネオン奏者の二人がピアソラについて語った番組があって、その録画を見ていた。バンドネオン奏者の一人が曰く、「リベルタンゴはタンゴではない」。いわれてみれば、なるほどである。私はタンゴというものはほとんど知らかったが、タンゴバンドにいたことのある八重洲室内アンサンブルの仲間から少しタンゴのことを教わった。このアンサンブルには、古典タンゴしか知らない仲間もいたし、ピアソラの目の前でタンゴを演奏したこともある仲間もいた。

古典タンゴというと、私はフアン・ダリエンソを思い出す。さきほどの番組で、ダリエンソが指揮する映像があって、その攻める指揮ぶりがなんともおかしかった。

聴いていないCDがあるのに気づく2022/03/17 23:59:59

まだ聞いていない CD がたくさんある、という知人がいてびっくりしたことがある。もらいものならまだしも、買って聴いていない CD があるとはもったいない、と思った。しかし、かくいう私も、まったくどのトラックも聴いたことがない CD があるのに気づいた。その 1 枚は買ったものである。といっても店で買ったのではない。20 年以上前だと思うが、当時の職場にいた事務の若い人が、「こんど東京の島に行って漁師をすることにしました。ライブの CD を作ったので餞別と思って買ってください」というようなことを言われて、つい情にほだされて買ってしまったのだ。この CD を聴くことがあるだろうかと思ってずっとしまったままだったのだ。そろそろ聴いてみることにしよう。

リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」を聴く2021/08/28 21:02:08

私は歌劇が苦手だ。ただ、名曲といわれる歌劇や、大作曲家が残した過激派歌劇は、聴いておきたいと思っている。ということで、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」を聴いてみた。

わたしはリヒャルト・シュトラウスの音楽が苦手だ。なぜかというと、ほとんどが大規模な音楽だからだ。なぜ大規模な音楽が嫌いかというと、人が多いのが嫌いだからだ。だから聴く音楽はほとんどが独奏曲か室内楽曲だ。おまけに、ヨハン・シュトラウスなどと区別するためにいちいちリヒャルトの名前をつけないといけないのが嫌いだ。以下は、リヒャルト・シュトラウスのことをたんにシュトラウスと呼ぶ。

そんな与太話はさておいて、2時間以上ある歌劇を数日かけて聴いてみた。シュトラウスの音楽は大仰で、店長転調が落ち着かず、音楽や劇に入り込むことができなかった。ある場面では眠りこけてしまったほどである。ただ、こんな場面があったのは面白かった。登場人物が、オペラの題材に何がいいかというところで、論争している。そのうちの一人が、「『ダフネ』や『ナクソス島のアリアドネ』はダメだ」というところで笑ってしまった。もちろん、『』内のタイトルの歌劇を、シュトラウスは作っているのである。

そんなわけであまり楽しめなかったこのオペラだが、序曲代わりの冒頭の弦楽六重奏はなかなかよかった。その理由は、室内楽だからだろう。